第20話 シリコンの鼓動と氷の令嬢
本日3話目
アステリア高等専門学校の最深部、クリーンルームと化した一室。
七歳のリヒトは、高倍率の顕微鏡を覗き込み、極細のピンセットで、高純度シリコンの薄片に微細な配線を施していた。
(……真空管はもう限界だ。物理的なサイズ、消費電力、そして寿命。何より、演算速度が遅すぎる。私の望む『未来』を構築するには、情報のオンとオフを、電子の移動だけで完結させる必要がある)
リヒトの手元にあるのは、ゲルマニウムとシリコンを組み合わせ、不純物を精緻にドーピングした「点接触型トランジスタ」の試作機だ。
「リヒト様、回路に電圧をかけます……。……確認。増幅現象、およびスイッチング動作を検知。安定しています!」
助手役を務めるカイルの震える声。リヒトは顕微鏡から目を離し、小さく息を吐いた。
「……初期型半導体の完成だ。これこそが『情報の心臓』。今はただの小さな石の欠片だが、数年後にはこれが何億個と集まり、人間を超える速度で計算を行う『電脳』となる」
(……ようやく一歩。だが、これさえあれば、複雑な弾道計算も、膨大な市場予測も、すべて『自動化』できる。秘密結社が人間を使って暗躍するなら、私は機械を使って彼らを凌駕するだけだ)
リヒトは内心の昂揚を押し殺し、次の工程――集積回路(IC)の概念図を脳内に描き始めた。
その日の夕刻。帝国との追加交渉を終えたマルクが、不穏な報告を持ってきた。
「若君。帝国将軍との会談中、気になる噂を耳にしました。帝国の宮廷内に、あの『蛇の紋章』を持つ者たちから『聖女』と崇められる娘がいるようです」
「聖女? 秘密結社が偶像を用意したか。非合理な宗教的アプローチだな」
「いえ、実態はもっと不気味です。彼女の名は、イゾルデ・フォン・ガリア。帝国の皇族に近い血筋でありながら、感情が一切欠落していると言われ、『氷の自動人形』と恐れられています。そして何より……彼女の周囲では、『不審死』が相次いでいるとか」
リヒトの手が止まる。 「……暗殺術を極めたのか、あるいは未知の毒物、もしくは……」
(捕虜が言っていた『人の皮を被った獣』。その正体が、その娘だというのか。……私の知識という盾が効かない相手だとしたら、早急に接触してサンプルを確保するか、あるいは排除するしかない)
夜、リヒトは一人、月明かりの下でリチウムイオン電池の放電テストを行いながら、遠い空を見上げた。
セシリア(12歳)は教国で金を操り、
エリザベート(10歳)は王都で情報を握り、
自分(7歳)は領地で鉄と石(半導体)を練り上げている。
だが、その足元には「イゾルデ」という名の、底の見えない闇が広がろうとしていた。
(……面白い。非合理の極致のような存在が、私の構築した合理の城を壊しに来るというわけか。……受けて立とう。私のシリコンの頭脳が弾き出す生存確率、それを君の『本能』が超えられるか、見ものだ)
リヒトは、完成したばかりのトランジスタを愛おしそうに眺め、冷徹な笑みを浮かべた。
侯爵領という名の要塞は、今、物理を超えた戦いへとその門を開こうとしていた。
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