第19話 去勢の契約と鉄の理想郷
本日2話目
「……条件は以上です。将軍、ペンを。あなたの躊躇は、一秒ごとに帝国の債務を増やすだけですよ」
帝国の外交使節が待つ別館。七歳のリヒトは、分厚い条約書をテーブルに叩きつけた。
帝国将軍は、震える手で書類を読み返している。そこに記されているのは、領土の割譲ではなく、帝国の「心臓」をアステリアに差し出すという過酷な内容だった。
「アステリア基準の電信網を帝国全土に敷設し、その管理権を我が家に委ねること。さらに、帝国近海の灯台と港湾の運営権を五十年間譲渡……。これでは、帝国はアステリアの属国ではないか!」
「語弊がありますね。私は帝国を『便利な道具』にしたいだけです」
リヒトは冷たく微笑んだ。
「電気がなければ動かない街、電信がなければ届かない命令、そして我が家の鉄道がなければ運べない物資。これらに依存して初めて、帝国は『平和』を維持できる。……自力で立てない子供に、反抗は不可能です」
(……まずは通信とエネルギーを独占する。軍事力という名の剣を振るう前に、彼らの指先すら動かせないネットワークの檻に閉じ込める。それが私の『去勢』の定義だ)
将軍は絶望に染まった顔で、アステリア伯――いや、アステリア侯爵家の紋章が刻まれた契約書にサインをした。
王都からアステリア領へ戻る馬車の中で、リヒトは新しく手に入れた領地の地図を広げていた。
旧ルガード領から海沿いに広がる、不毛な荒野。だが、リヒトの瞳にはそこが黄金の平野に見えていた。
「マルク、ここがアステリア侯爵領の心臓部……『アステリア重工業地帯』となる。まずは海岸線に沿ってアスファルトの高速道路を通せ。そして港から一直線に電気鉄道を引き込み、巨大な高炉(溶鉱炉)と化学コンビナートを建設する」
「……若君。あの土地は塩害も酷く、人も住み着かない場所ですが」
「人が住まないからこそ、大規模な区画整理ができる。……いいか、農業で細々と稼ぐ時代は終わった。これからは『半導体』と『精密機械』の時代だ。この荒野にシリコン精製工場と、内燃機関の量産ラインを構築する。……三年以内に、ここを大陸最大の生産拠点へと変える」
リヒトの構想は加速する。
(……セシリアが戻ってくるまでに、この国のGDPの半分を私の領地で叩き出せるようにする。金融と工業。この二つの歯車が噛み合えば、秘密結社がどれほど政治を操ろうとも、彼らの資金源そのものを食い潰せる)
だが、リヒトの脳裏には、捕虜から聞き出した「あの男」の影が消えない。
結社が送り込んだという、純粋な暴力の化身。
「……バド。守備隊の訓練内容を変更する。これからは集団戦だけでなく、至近距離での『対個人』の格闘術と、暗器を用いた自衛術を徹底させろ。……科学が追いつかないほど速い怪物がいるなら、我々はそれ以上に非情な罠を用意するだけだ」
リヒトは自らの小さな手を見つめた。
七歳の肉体。知識というチートを持っていても、物理的な破壊を前にすれば脆い。
(……私の知識は、文明という盾を作れるが、肉体という矛にはなれない。ならば、その盾をより強固に、より冷酷に作り上げるしかない)
その頃、隣国の教国。
十二歳になったセシリアは、アステリアから届いた「海戦の写真」を、暖炉の火に照らしながら眺めていた。
「……相変わらず、可愛げのない戦い方ね、リヒト。……でも、それでいいわ。あなたが『鉄』で世界を固めるなら、私は『金』で世界を縛り上げる。……あと二年。待っていなさい」
セシリアの瞳には、幼い頃の面影を残しつつも、リヒトと同じ「支配者」の光が宿っていた。
一方、王都の王宮。
十歳のエリザベートは、リヒトから贈られた電球の下で、秘密裏に届けられた帝国の極秘文書を解読していた。
「……『蛇』の動きが早まっているわ。リヒト、あなたが作ったこの輝かしい文明を、彼らは根こそぎ奪おうとしている。……でも、そうはさせないわよ。私があなたの『目』になってあげる」
アステリア侯爵家を中心とした、鉄と金と知性の同盟。
それは着々と完成に近づいていたが、それを見つめる「蛇」の瞳もまた、冷たく静かに、リヒトの首筋を狙っていた。
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