夜のコンビニ
下校途中の買い食いは学校から禁止されているが、素直にルールを守る生徒の数はたかが知れている。教師が目を光らせているのは学校周辺に限った話で、通りを一本入ってしまえば、もう監視下から逃れる事ができる。
真堂との関係を余計に複雑化させてしまった日の帰り道、私は気を紛らわすためにコンビニに立ち寄った。別に何か買いたいものがあるわけでもなく、ふらふらと商品棚を見て回る。倉庫に閉じ込められていたせいで下校時間が遅くなり、あたりはすっかり暗くなっていた。私がこの時間帯のコンビニに来ることは珍しい。仕事帰りと思しきサラリーマンたちが、疲れた顔で缶チューハイとつまみを買っていく。隣にいた若いOLは、つまみの袋を一度手に取ったが、値札を見てそっと棚に戻していた。酒のつまみというのは、案外高い。普通のスナック菓子のほうが安上りだ。
テストも近いので、今夜は勉強を頑張ろう。そのためには、勉強のお供になる夜食が必要だ。深夜に食べるカップラーメンの背徳感を想像しながら、カレーヌードルを手に取って、ついでにコーラも一緒にレジに持っていく。こうやってお膳立てをした時に限って眠気に襲われ、結局勉強できずに朝を迎えるのだが、今日こそは睡魔に勝てる気がする。
なにせ脳はまだ興奮状態から脱していない。視界がほぼ真っ暗だったとはいえ、確かにこの手で真堂の体を愛撫したのだ。彼の体は冷たかった。あのまま続けていたら、真堂の体も熱を帯びて火照ってきたのだろうか。まだ手にあの時の感覚が残っている。
ちなみに恵と教師を気絶させたあと、真堂を束縛から解放して、反撃される前にそそくさと逃げてきた。理不尽に殴られた2人もそのうち目を覚ますだろう。恵には申し訳ないことをしたが、あの場面を見られてしまってはしょうがない。気絶させて夢を見ていたと思わせるしか、私には思いつく手段が無かったのだ。
「レジ袋お願いします。あっ、お箸はいらないです」
夜のコンビニで買い物をするという、中学生には刺激的なシチュエーションにワクワクしながら会計を済ませた。
店の前に設けられた喫煙スペースから、たばこの香りが漂ってきた。私の家庭に喫煙者はいないので、あまり嗅ぎなれない匂いだ。副流煙で肺を汚される前に退散しようとして、灰皿の前で紫煙を吐き出す人物に目を留めた。
クロエルだ。いつもと変わらないボンテージ姿で、美味しそうに目を細めて煙を吐き出している。
今日はもう面倒ごとには巻き込まれたくない。私は何も見なかったふりをして、コンビニから足早に遠ざかった。
「あれ、梓ちゃんじゃない。こんなところで会うなんて奇遇ね。何買ったの、それ」
あえなく逃走には失敗した。クロエルは私を見つけ、半分ほどの長さになったたばこを咥えたまま近づいてくる。もうそこはコンビニの喫煙スペースからはみ出ており、路上喫煙にあたる気がする。
「夜食ですよ。今夜は勉強しないといけないんで」
「悪の組織と学生の両立は大変ねえ。そうだ、ちょっと待ってて。すぐ戻るから」
店に入っていったあと、1分ほどしてクロエルは戻ってきた。その手には缶ビールが握られている。350ミリではなく、でかいほうの500ミリのやつだ。
「今夜は天気もいいし月も綺麗だから、外で一杯やろうと思ってたのよ。梓ちゃんもちょっと付き合って。ね、いいでしょ。一人で飲むより2人のほうが美味しく感じるの」
「そういうのは大人同士でやってくださいよ。未成年と一緒に酒飲んでるって、絵面的にまずいですって」
「いいのいいの、誰も見てないんだから。ほら、喫煙スペースの隣にベンチあるから、そこ座ろ」
プシュッといい音をさせて、クロエルが缶ビールを開けた。私もその横で、買ったばかりのコーラを開ける。こちらも同じくらい、プシュッといい音がした。つまみも何も食べず、たばこの煙と酒を交互に飲むクロエル。その隣でコーラをちびちび飲む中学生とは、なんとも奇妙な絵面だ。不良に絡まれていると勘違いした誰かが通報しないか心配になる。
「クロエルさんって一日どれくらい飲んでるんですか?」
「飲むときはとことん飲むわよ。ビールにハイボールに焼酎。それにウイスキー。前に一緒に行ったバーヘムロックってあるでしょ。あそこのマスターの作るカクテルも絶品よ。大人になったら飲ませてあげる」
大人になったら。ノクターンロゼは学校と違って、3年で卒業という区切りはない。それは分かっていたが、もしかして一生続けることになるのでは、とふと考えてしまう。自分よりもはるかに年下となった少年ヒーローを嬲り、辱めるだけの人生。今はまだいいが、30歳になった時に、原動力となる邪な感情がまだ燃え続けているのかどうか不安だ。性欲は加齢に伴って減退していくというし…。
「そんなに飲んで体壊さないんですか。酒の飲みすぎで肝臓がやられるとかよく聞きますけど」
「私は人間みたいに脆くないわ。外見だけじゃなくて、内臓だって丈夫よ。回復力だってすごいんだから、臓物を引きちぎられたとしても死にはしないわ。3日もすれば全部元通り」
「えっ、グロ…」
「梓ちゃんだって指を切られても再生したじゃない。人間から遠ざかるほどに回復力は高まっていくの。私レベルになるとほぼ不死身ね」
臓物を引きずり出される自分を想像して、吐き気に襲われた。思わずコーラを吹き出しそうになる。
クロエルがビールを飲み終え、缶を逆さまにした。もう中身は入っていないというのに、卑しい行動だ。
「さーて、帰りますか。家まで送っていこうか?」
顔を少し赤くしたクロエルが両手を広げる。朝のようにぞんざいに掴まれて空を飛ぶのはごめんだ。しかも今のクロエルは酒が入っている。酒気帯び運転なら、なおさら怖い。
「結構です。歩いて帰ります」
中身の残ったコーラをレジ袋に押し込めて立ち去ろうとした時、向かいから見覚えのある人物が歩いてきた。
「こんばんわ」
語尾の上がった関西弁のイントネーション。ななみがにこやかに手を振ってきた。




