丸眼鏡は大声を出さない
まだ頭がくらくらする。丸眼鏡をかけた人間から、耳をつんざく大声が飛び出すなど、誰が予想できようか。野暮ったい丸い眼鏡が似合うのは、ぼそぼそと喋る根暗だけと相場が決まっているのに。
「うう…、こめかみあたりがズキズキする…」
視界が二重にぼやけ、千鳥足になっている私をクロエルが抱きとめた。
「いつも言ってるでしょ、アルシア。あんたの声でかすぎんのよ」
「こりゃ失敬。初めて見るお顔だっので、つい!」
「コミュニケーション苦手な人の典型よね。距離感分からずに近づくからドン引きされるのよ。梓ちゃんの鼓膜が破れたらどうするつもり?」
「どーせすぐ再生するじゃないですか!クロエルさんがここへ連れてきたということは、その方も私たちの仲間なんでしょ?」
「メールで伝えた子よ。てかあんた返信遅いんだけど」
「ああ、一昨日メール頂いてた件ですね!はいはい、例の期待のホープ!」
聴覚がまだ戻らず、水の中にいるような聞こえ方だが、2人の会話はなんとなく理解できた。出会い頭に私の鼓膜を破壊しかけた丸眼鏡の女は、アルシアというらしい。しかしメールでやり取りをするとは、まるで普通の社会人じゃないか。悪の組織であれば、テレパシーだったり特殊な能力を使った伝達方法だったりするものだと思っていた。
知れば知るほどちぐはぐな組織である。
夏休みにクロエルと出かけたときは普通に交通機関を使って移動していたくせに、今日は平日朝の空を、人目もはばからずに飛んできた。オフィスビルに本部を構えたり、雑居ビルの中にバーを作ったりと、人間社会に溶け込もうとして溶け込みきれていないような印象を受ける。
すぐ再生する、というアルシアの楽観的な言葉通り、ものの数分で私は聴覚を取り戻した。改めて挨拶をしようとニコニコ笑顔で近づいてくるアルシア。クロエルが背後に回り、両手で私の耳を抑えた。
「小さな声でね」
「分かってますよ。えーと、梓さんですよね。出会い頭に鼓膜を破りかけてほんとすいませんでした」
「えっ、なんですか?」
耳を塞がれているのに加えて、丸眼鏡らしくぼそぼそと喋られては何も聞こえない。
クロエルが測定器を使い、一般的に日常会話で交わされる音量とされる60デシベルになるまで、アルシアの声量を調整した。基準値の声量をアルシアが出せるようになるまで、約三分程度の時間を要した。
測定器の画面を見て、クロエルのゴーサインが出たので、ようやく私はアルシアと面と向かって話せるようになった。
「ね、私ってコミュ障じゃないですか。コミュ障って最初はガンガン喋れる生き物なんで、つい初対面の人相手だとグイグイ行っちゃうんですよね。人との距離感って分からないし、とにかく暗いやつだと思われたくないんで、こんな大声になっちゃっうってわけですよ!」
65デシベル。クロエルが「うるさい」と注意する。出会い頭の声は130デシベルだったらしく、飛行機のエンジン音と同等だ。
アルシアが慌てて口を手で押さえた。
「こいつコミュ障で、歩く公害みたいなやつだけどさ、一応ノクターンロゼの幹部なおのよ。だから梓ちゃんの上司にはなるのかな。ま、そんなに畏まらなくてもいいわ」
野暮ったいこともあり、アルシアの見た目は若く、まだ高校生くらいに見えなくもない。遊びを知らない田舎の高校生といった感じだ。それで幹部とは、きっと秘めたる力があるのだろう。
「話が短い本部の人って、アルシアさんのことだったんですか」
放っておけばいつまでも喋りそうなのだが。
「コミュ障だからね。喋りたいことだけ喋ったら気まずくなって黙るわ。ほら見てごらん、もうネタが尽きたって顔してる」
アルシアは視線をあちこちに泳がせて、こちらが話題を振るのを待っていた。




