締め出し
ノックの音が止んだ。諦めて帰ってくれただろうか、と薄目を開けて窓の外を確認すると、まだクロエルはそこにいた。
「せっかく本部から梓ちゃんに招待が来たんだけどなー。まだ下っ端なのにこの待遇、相当期待されてるってことなのに、まさか来ないつもりじゃないでしょうね?」
窓越しにクロエルが、招待状の入った便箋をひらひらとさせている。封をするのに糊付けではなく、この時代に不似合いなシーリングスタンプが使われている。赤い蝋をたらして、そのうえからスタンプを押す、映画でよく見るあれだ。ノクターンロゼは文明が進化していないのか、ただのオシャレでやっているのか。
本部から招待を受けるというのは本来名誉なことかもしれない。しかし今の私には、名誉よりも睡眠が大事だ。
「ちょっと!招待状いらないの?」
「あ…そこ、置いといて…ください…」
眠気でまともに声が出ない。もうすでに意識は半分夢の中だ。
「そこってどこよ。窓開けてくれないと置くに置けないんだけど!」
今までクロエルは勝手に侵入していたように感じていたが、それは私が鍵をかけていなかったからのようだ。夏から秋口にかけては暑い日が続いていたので、換気のために常に窓は開けていた。クーラーをつけているときも、またすぐに開けられるように施錠はしていなかったので、クロエルも当たり前のように部屋に入ってきていた。
ここのところ夜は冷え込んでおり、窓の鍵もしっかり閉めるようになっていたので、私が解錠しないと入室できない様子だ。クロエルの力なら窓を壊すことなど容易いが、さすがに部下の住居を破壊するほど非常識な人ではない。
「さ、寒い…。自分だけ布団で温まってないで、私も中に入れてよ。いいの?ピンポン鳴らして正面玄関から堂々と入るよ?お母さんびっくりするよ?こんな恰好の女が夜に訪ねてきたら!」
昼でも関係なくびっくりだろう。
窓を開けなくてはいけない、と頭で分かっていながらも、睡魔に襲われて手が動かせない。
ごめんなさい、クロエルさん。私は限界です。
謝罪の言葉を口にしたつもりだが、実際は声に出ていなかったかもしれない。夢の中でははっきりと言ったので、勘弁してほしい。
私は深い眠りへと落ちていった。
その日見た夢は、とても楽しいものだった。
翌朝目が覚めると、窓は閉まったままだった。
締め出しを食らってしびれを切らしたクロエルが、強行突破した痕跡はなかったので一安心だ。
リビングに降りていき、朝食の用意を済ませている母親と、ニュースを眺めている父親に「昨日の夜に変な人が来なかった?」と訊いてみたが、2人とも知らないという。
どうやら諦めて帰ったらしい。
せっかく招待状を持ってきてくれたクロエルには悪いことをした。今度会ったら謝っておこう。
その今度はすぐに訪れた。
制服に着替えて家を出て、角を曲がった瞬間、私の体がふわりと宙に浮かんだ。
「昨日はよくもやってくれたわね」
クロエルに後ろから抱きかかえられる形で、空を飛んでいると気付くのに、数秒かかった。まだ脳が完全に覚めていない証拠だ。
「ほんと悪気は無かったんです。眠くて眠くて…」
猛禽類に襲われたネズミのような姿勢のまま、言い訳と謝罪が半々の言葉を並べる。
「それで、行くんでしょ?本部」
「まあ、招待されたなら行きますよ。でも今から?」
「朝礼が始まるまであと何分よ」
「いつも早めに登校してるので、20分くらいは余裕ありますけど」
「それなら問題ないわ。本部の人って話短いから」
学校と真逆の方向へと、私を抱えたままクロエルは飛んで行った。




