何も起きなかった
魔法というのは実に便利、というか都合のいいものだ。人類が長い年月をかけて開発した科学技術。それに携わった先人たちの努力を踏みにじるかのごとく、念じるだけで何でも出来てしまう。相手を傷つける武器にもなるし、オイルもなしで発火させることも出来る。
しかし記憶の消去までとは、予想外だった。
ぽかんと口を開けた女性店員は、先刻までの出来事をすっかり忘れ去ったようだ。寝起きのように目を擦り、変わり果てた職場を見て絶叫した。驚くのも無理はない。強盗に襲われたことも忘れ、意識が戻ったとたんに勤務先が焼けていれば、大抵の人間は冷静ではいられない。
これで証拠隠滅は完了だ。強盗が店員を襲ったタイミングでは他の客はいなかったはずなので、一連の火災はただの事故として処理されるに違いない。通りすがりの魔法少女による放火という線で捜査される可能性は消えたというわけだ。
ななみは警察にこれ以上何か聞かれる前に、現場を辞した。
変身解除のコツも掴んできた。先ほどは寝ている間に服装が戻っていたが、どうやら全身の力を抜き、リラックスすることで変身が解けるようだ。ななみは人気の少ない通りを選んで座り込み、深呼吸して肩の力を抜いた。
ドレスの繊維がほどけて、タバコの煙のような模様を描きながら空へと消えていった。同時にワンピースの生地が、無から生成された。これは私服が戻ってきたのか、それとも魔法で作られたまがい物なのか分からない。どちらにしても、魔法少女の姿で街を歩くのは憚られる。
家に戻ろう。
ステッキに強引に導かれるままに思わぬ人助けと犯罪を犯しているうちに、時刻はもう夕方を過ぎていた。母の帰宅前にご飯を炊かないと。
帰路には例の公園がある。前を通り過ぎる際に横目で公園内を見ると、ブランコには宮木が座っていた。ブランコをこぐわけではなく、ただキイキイと揺られている。大の大人が、しかもスーツ姿でブランコに座っている光景は、実に奇妙だ。リストラされたのを家族に言い出せず、無為に時間を公園で潰しているサラリーマン。そんな想像が頭に浮かんだ。
声をかけるべきか。
いや、ななみの意思を無視して、一方的に魔法少女になる契約を結ばせてきた張本人だ。変に関わりを持つべきではない。
沈みかけた夕日に照らされてブランコに揺られる、哀愁漂う宮木から目を背けて自宅へと向かう。
あと2回角を曲がれば家だ。ポケットから鍵を取り出す準備をして、1度目の角を曲がった。
「初めての戦闘はいかがでしたか?」
「宮木さん⁉」
曲がった角の先に宮木が待ち構えていた。




