見え見えの甘い罠
男は口元に柔和な笑みを浮かべた。ノラ猫のように強い警戒感を示すななみを、少しでも安心させようとしているようだ。しかしあまりにもその笑顔はぎこちなかった。吊り上げた口角は引きつっており、おまけに目はまったく笑っていない。普段から人に笑いかける事をしてこなかったのだろう。
「そんなに警戒しないで下さいよ。あっ、もしかして私のこと、やばいやつだと思ってます?」
「悪いけど思ってます。平日の昼間にスーツ着て、公園にいる小学生に声かけてくるやなんて、まず普通の人はやりません」
ななみは後ずさりしながら、いつでも走り出せるように膝を曲げた。
「そういえば自己紹介もまだでしたね。これは失礼。不審者だと思われても仕方がありませんでした。私こういうものです」
男はスーツの内ポケットから名刺入れを取り出し、その中から一枚を抜いて、ななみに差しだした。名刺を受け取るときのマナーがあると父親から聞いた気がするが、今は気にしている場合ではない。ななみは男との距離を取りながら、腕を伸ばして名詞を掴んだ。
ソルガム・ナイツ。所属している組織名の欄には、そう書かれていた。役職などは特になく「営業部」としか書かれていない。そして男の名前は「宮木」というらしい。
「宮木さんって言うんですね。名前は分かりました。ほんでソルガムナイツっていうんは、会社の名前かなんかですか」
宮木は一瞬迷うそぶりを見せた後、「そのようなものです」と答えた。
「正確には法人ではありませんし、営利目的の団体でもありません。一般的な言い方をすると、秘密結社のようなものでしょうか」
一般的にそんな言葉を使うことは珍しい。秘密結社など創作の世界の存在ではないのか。
意味不明な事を言い出した宮木が怖くなり、ななみは名詞を突き返した。
「秘密結社かなんか知りませんけど、ウチには関係ないことです。もう帰っていいですか」
「私はあなたをスカウトしに来たんですよ。橘ななみさん」
こちらは名詞を渡したわけでもないのに、名前を知られている。秘密結社などと大そうな組織を名乗るのだから、個人情報の特定など造作もないことかもしれないが。
「モデルにはスカウトされたことありますけど、こんな話は初めてです。一度親を通してもらわんと」
「ああ、もしかして芸能事務所か何かだと?まったく疑り深いな」
宮木は小さく溜息をつく。
「分かりました。分かりましたよ。もう正直に言います。ソルガムナイツはヒーロー組織なんです」
「ヒーロー組織?そんなん現実にあるわけないやん」
「全て知ってますよ。あなたがヒーローに憧れていること。そしてヒーローに完膚なきまでに蹂躙される、敵幹部がお好きなこともね」
「な、なんでそれを!」
名前が知られているのはまだいい。性癖が筒抜けなのは、いくらなんでもおかしいではないか。
「あなたには素質がある。ぜひ我がヒーロー組織に入ってほしいんですよ。橘さん」
ベンチの横に置いていたビジネスバッグから、宮木が一冊の本を取り出して、ななみの眼前で広げた。そこには、ヒーローの攻撃によって衣装がボロボロになった、艶っぽい敵幹部の姿が描かれていた。ワイルド系のヒーローに腹部を踏みつけられ、口からほとばしる唾液の飛沫。もう一度強く踏まれると、粘っこい胃液のような液体が口からあふれ出ている。体液の流出を見せるのは恥だと思っているのか、必死に歯を食いしばって胃液が流れてるのを我慢しているその様に、ななみの体が熱くなった。
「こういうのがいいんでしょう?ソルガムナイツに入れば、こんなことも出来ちゃうんですよ」
ななみは震える手で漫画を受け取った。
「入ります」




