盛り上がらない前夜祭
なにはともあれ、指が元通りになってよかった。あのままの状態で学校に戻りでもすれば、教室中がパニックになること間違いなしだ。買い出しに行って指10本失うなど、絶対にあり得ないことなのだから。
「あの、私学校に戻りますね。今文化祭の準備中なんです。早く戻らないとサボってるって思われちゃうので」
「別に戻るのはいいけど…。同じクラスなのよね、あの男の子」
クロエルに言われてハッとした。私は真堂と一緒に買い出しに来たわけだが、その道中でお互いに正体を明かして激闘を繰り広げた。なんなら私は真堂に腹を思い切り蹴られたし、私だってスライムで彼の服を溶かしたのだ。教室で顔を合わせたとして、冷静でいられる気がしない。
「な、なんとかやり過ごします。せめて今日だけでも」
「明日以降はどうするの」
「出来るだけクラスでは関わらないようにします」
「向こうは完全にやる気だったわ。見たでしょあの目。今回は相手に助太刀が入ったりと想定外なことが多かったけど、多分サシだと殺されてたわよ?」
クロエルの言う通りだ。仮にもクラスメイトの、しかも女子の指を容赦なく切り落とす冷酷さを真堂は持っている。まさか白昼堂々学校の中で命を狙われることはないだろうが、私の身に危険が迫っていることは明白だ。
しかし今は学校に戻らないといけないので、私はクロエルと鯉坂に軽く挨拶してからバー・ヘムロックを出た。振り返ってみると、やはりそこには薄汚れた扉がある。こんな雑居ビルの中に豪奢なバーがあるなど、誰が想像できようか。
色々と考えながら学校へ向かい、ついに教室の前まで着いてしまった。もう真堂は帰ってきているだろうか。扉に手をかけるが、なかなか腕が動かない。まず頭の中でシミュレーションしてみよう。真堂がいた場合、何事も無かったかのように振舞う。なんならこっちから話しかけてもいいかもしれない。逆に真堂がいなかった場合は、誰か他のクラスメイトとの会話に興じよう。後で戻ってきた真堂が私に声をかける隙を与えないくらいに。
私は扉を横にスライドさせて、素早く中の様子を伺った。前方の黒板から、後方の掲示物コーナーまで一瞬で目を走らせる。
いた。
真堂はいつもの制服に着替え、友達と一緒に屋台の設計図を見ていた。
文化祭の準備期間はおよそ2週間。毎日放課後に屋台の設営準備や、焼きそばの試作品作りに明け暮れた。一応任意参加となってはいたが、自分だけ帰るとは言い出しにくい雰囲気だったので、骨組みの組み立てや看板の装飾などに明け暮れる日々を送った。それ自体は新鮮な体験だったし、小学校までとは違うクラスの一体感を感じられて楽しかった。だが問題は真堂だ。
出来るだけ距離を置いて過ごすように心掛けてはいたものの、どうしても会話を交わさないといけない場面は出てくる。私が声をかけようとすると、真堂は敵意をむき出しにした視線を一瞬寄こしてくるようになっていた。周りのクラスメイトに察知されない程度のものではあるが、その瞬間は毎回心臓がずきずきと痛んでしょうがない。隙あらば私を成敗しようと考えているかもしれないので、うかつに二人きりになることがないよう、細心の注意を払う。
そんな私の気苦労など知らず、真堂と距離が縮まったかと頻繁に聞いてくる恵。縮まったが最後、今度は蹴りでは済まされないだろう。校舎裏に連れていかれ、心臓を串刺しにされる可能性もある。
文化祭の準備期間は私にとって、一瞬たりとも気の抜けない時間となった。
「明日はいよいよ本番だねえ。あーもう楽しみ!今日は寝られる気しないかも」
文化祭を翌日に迎えた前夜祭。恵はテンションが上がり、ずっと小躍りをしていた。
「私はよく眠れる気がする。この2週間くらい、ずっと疲れてたし」
「分かるわかる。準備大変だったよね」
ストレスの原因はそこではないのだが、恵に説明するわけにもいかないので、黙って頷いておいた。
「明日は他校の生徒もいっぱい来るみたいだよ。もしかしたら小学校時代の友達に会えるかもね!」
小学校時代がはるか昔のように思われたが、まだ卒業から1年も経っていないという事実に、時の流れの遅さを感じた。大人になれば時間が早く過ぎるようになると聞いたことがある。私はまだ若いという証拠なのだろう。
「梓は誰か会いたい人っているの?」
「いや別に。小学校でそんな特別仲良かった人もいないし」
そう言いつつ、私の脳内には1人の友人の姿が浮かんでいた。特殊な性癖によって自分の世界に閉じこもりがちだった私にとって、唯一の友人とも言える存在だった人のことを思い出す。




