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バー・ヘムロック

 

 戦闘で深手を負った私を抱えたまま、クロエルは雑居ビルの階段を昇る。てっきり病院に連れて行ってもらえると思っていたが、どうやら違うらしい。ビルの壁には長年かけて成長したであろう植物の蔦が、模様の一部のように張り巡らされている。階段も清掃が行き届いておらず、落ち葉やペットボトルの空き容器が放置されたままだ。

 

 「こんなところに連れてきてどうするつもりなんですか?」

 

 お姫様抱っこされた状態でクロエルの顔を見上げると、フェイスラインが異様なまでに美しいことに気付いた。ボンテージというふざけたファッションのせいで隠れているが、この人は顔がいい。悪の組織の幹部にはセクシー担当が1人はいるのが定番だ。クロエルはノクターン・ロゼにおけるセクシー要因なのだろう。

 

 「いったん避難するのよ。このビルには魔法がかけられてるから、ヒーローたちに見つかることはないわ」

 

 「悪の組織のアジトってやつですか。そういうのって普通もっと禍々しくて、いかつい鉄の門とかで閉ざされてるもんでしょ」

 

 「夢見すぎよ。そんな建物を街中に作ったら目立ってしょうがないでしょうが」

 

 だからといって薄汚れた雑居ビルじゃなくてもいいだろう。せめて小奇麗なコワーキングスペースみたいなのが良かった。

 

 クロエルがビルの2階の扉を開く。鍵はかかっていないようだ。

 

 昭和のドラマで見るような、今にも潰れそうな建築事務所みたいな内装を想像していた私は、眼前に広がる光景に驚いた。

 

 中はまるで高級ホテルのバーだった。コの字型のカウンターに、バックバーに並べられた洋酒のボトル。両親はどちらも酒飲みだが、スーパーで買えるような安酒しか飲まないので、おしゃれなボトルを生で見るのは初めてだ。中にはハリウッド映画で見たことのある銘柄もある。

 

 クロエルがボックス席に座り、対面の座席に私を横たえた。

 

 30秒ほど経った頃、カウンターの奥から1人の男性が現れた。クロエルが彼に向かって手を軽く上げる。

 

 「マスター、いつもので」

 

 「こちらのお嬢さんは?」

 

 マスターと呼ばれた男性は、年のころはおそらく40代くらい。ロマンスグレーの髪に、黒を基調としたバーテンダーの制服が似合っている。ボックス席に転がる私を見て、マスターが怪訝そうに眉を顰めた。

 

 「新入りの梓ちゃんよ。この子なかなか筋がいいの。ノクターン・ロゼ期待のホープとして、私が育ててるってわけ。で、梓ちゃん。こっちの渋いおじ様が、マスターの鯉坂さん」

 

 鯉坂は恭しく私に頭を下げた。

 

 「ようこそいらっしゃいました、梓様。ノクターン・ロゼ直営のオーセンティックバー、ヘムロックへ」


 いつもので、と言って決まった酒が出てくるのには憧れる。クロエルのもとへ運ばれてきたのは、ミラーボールのようにきめ細かくカットされたロックアイスが浮かぶウイスキーだ。服装のせいで大抵どこにいても周りから浮いているクロエルだが、キャンドライトの光を受けながらグラスを傾ける様子は、なかなか絵になる。

 

 鯉坂が私の前にドリンクを運んできた。カクテルグラスを満たしているのは、エメラルドを溶かしたようなグリーンの液体だ。こんな鮮やかな緑は見たことがない。メロンソーダなどの人工的な色合いとは違う。

 

 「アルコールは入っていませんのでご安心を」

 

 悪の組織にも法令遵守の意識はあるらしい。

 

 私はグラスの脚を親指と薬指で摘まもうとして、指がないことを思い出す。いつの間にか痛みが引いていたのと、初めて訪れるバーの雰囲気に圧倒されていたのとで、指の欠損という重大な事故から意識が逸れていた。

 

 「どうやって飲めって言うんですか。なにこれ嫌がらせ?」

 

 「口で迎えにいけばいいのよ。無作法だけど気にしないで。どうせお客は他にいないんだし」

 

 「嫌ですよ、そんなお下品な。というか私の指はいつ生えてくるんですか。そのうち再生するって言いましたよね」

 

 「私レベルになると一瞬だけど、梓ちゃんじゃまだ回復力が足りないわ。だからここに連れてきたの。そのドリンクには回復力を高める成分が含まれてるのよ。飲めばすぐに生えてくるわ」

 

 グラスを満たすグリーンの液体が、急におぞましいものに見えてきた。アルコールは入っていないと言っていたが、代わりに何が入っているというんだ。

 

 しかしいつまでも指を失ったままでは困る。家に帰って親にどう説明するというのだ。

 

 私は観念して、ボックス席の上で体を起こして前かがみになる。まるで犬が皿から水を飲むような体勢だ。あまりにバーの雰囲気にミスマッチな作法であるが、致し方ない。

 

 いきなり飲み下すのは怖いので、まずは液体を口に含んで下で転がした。少し舌にしびれが走ったが、ミントのような爽やかさの奥に、ラズベリーの風味を感じる。うん、悪くない。謎の液体への信頼を寄せたところで、一気に飲み込む。

 

 それは喉元を過ぎた瞬間、本性を現した。

 

 熱い。とんでもなく熱い。喉が焼けるようだ。激しくせき込み、ボックス席のソファに沈み込んだ私の背中をクロエルが撫でる。

 

 「まあ最初はそうなるよね。思い出すなあ、初めてウイスキーを飲んだ日のこと。でもこのパンチの強さが癖になってくるのよ」

 

 「事前に言っといてもらえますか!刺激が強いから一気に飲むなって!」

 

 私は少しでも喉の痛みを和らげようと、自分を首を擦った。

 

 「あれ、指が戻ってる…」

 

 首元に触れた指先の感触で、切断された指が元通りに生えてきたことに気付いた。回復力は想像以上らしい。ついでに爪も以前よりつやつやしており、人差し指に出来ていた切り傷もなくなっている。

 「はい元通り。ね、悪の組織も悪くないでしょう?」



 

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