同人誌で見たやつ
教室を襲った揺れは5秒ほどで収まった。
顕微鏡は全て床に落ち、あれほど慎重に扱っていたプレパラートは粉々になっている。
「もうびっくりしたよ。こんな大きい地震なんて久々」
机の下から這い出た恵が、安堵の息を漏らす。クラスの面々も安全を確認したのか、各々の席へと戻っていった。
しかし私の動悸は収まっていなかった。真堂の姿だけが見つからない。倒れた実験道具が不幸にも頭部に当たり、気絶しているのかと辺りを見回したが、けが人がいる様子もなかった。
「ねえ真堂君がどこ行ったか知らない?」
「えっ、真堂君?さっきまで一緒に梓といたよね。二人でくっ付いて顕微鏡見ちゃってさ」
恵がニヤニヤと目を細めて私の肩をつつく。
「いやあ、確かに真堂君アリだよね。クラスじゃ目立たないタイプだけど、なんか影がある感じ?ミステリアスっていうのかな。うんうん、梓が気になるのも分かるよ」
「そうじゃなくて!さっきの揺れの後に急に姿が消えたの」
「でも外に出られなくない?教室の扉は閉まったままだし…」
私たちの席は入口から離れているので、そもそもあの5秒ほどの間に扉を開けて出ていくのは不可能に近い。だとすれば唯一の外に出るのが可能なのは…
「窓って最初から開いてたっけ?」
教室の窓は運動場に面しており、さらにここは3階だ。飛び降りることはまずありえないが、出入りが可能なのは現状窓しかない。
「いや、来たときは開いてなかったはずだよ。実験中は風でプリントが飛ばされないように閉め切ってた。あの先生いつもそうしてるもん」
その窓が今開いている。
「もしかして真堂君、あそこから外に出たんじゃない?」
「なんのために?地震で学校が崩れるとでも思ったのかな」
私たちの真堂の行方についての推理は、再び発生した大きな揺れによって中断された。
「ま、また地震⁉」
「梓、あれ見て!運動場のほう!」
恵が教科書で頭を守りながら、窓の先に広がる運動場を指さした。
白線の引かれたグラウンドの地面が割れて、中から巨大な触手が蠢きながら伸びてきている。ぬらぬらと光る緑色のそれは、運動場に生えている木が小さく見えるほどのサイズ感だ。1本や2本ではない。瞬く間にそれは10本以上にまで増え、サッカーゴールや体育倉庫をなぎ倒していく。
「なんなのあれ!キモイって!」
恵は膝から崩れ落ちて、私の腰に抱き着いてくる。教室中は大パニックだ。あまりに非現実的な目の前の光景に、私も言葉を失った。
あれ、でもこの触手、どこかで…。
四方八方にうねりながら、運動場にあるものを片っ端からなぎ倒していく触手。それはかつて、親の目を盗んで見た深夜アニメの敵キャラクターそのものだった。触手が動くたび、粘性の液体が糸を引いている。
クラス中が大パニックになっている中で、私は1人幼少期の記憶に入り浸っていた。画面の向こうで、触手に体を締め付けられて苦しむ美少年ヒーロー。その姿に当時の私はどれほど興奮を覚え、性癖を捻じ曲げられたことか。
「なにしてんの梓、早く逃げないと!」
恵が私の肩を掴んで揺り動かすが、自分の視線は目の前の光景に釘付けになって動かすことが出来ない。ここに足りないのは美少年ヒーローだけ。巨大な触手なんてファンタジーなものが現実に現れたなら、ヒーローの一人や二人いてもいいはずだ。
「危ない!」
恵の悲鳴が聞こえたのと同時に、私はバランスを崩して教室の床に頭から倒れこんだ。
「ちょっ、なにこれ、ヌルヌルしてキモイ!」
触手が私の両足首に絡みつき、ずるずると引っ張ってくる。恵に助けを求めて手を差し伸べたが、あと一歩遅かった。彼女の手が私を掴む直前、触手が大きく波のようにうねり、私の体を窓の外へと引きずりだした。一切の抵抗をする暇もなく、私は仰向けの状態で宙へと投げ出される。視界には雲一つない青空が広がっている。
あ、死ぬんだ。部屋にあるエロ同人、処分しとくべきだったな。死後に親があれを見つけたら、恥ずかしい娘だと思うかな。
遺品のラインナップを後悔しながら地面が近づくのを待っていた。しかしなかなか後頭部に衝撃が訪れない。3階から落とされたなら、もうそろそろのはずだが…。
恐る恐る目を開けると、そこには晴れ渡る空を背景にした少年の顔があった。長い睫毛に、どこか影を感じる色っぽい表情。それはまさしく、あの時アニメで見たヒーローそのものだった。
「へ?なにこれどういうこと?私死んだの?これって死後のボーナスタイム?」
「落ち着いて」
少年の声は優しく、でも少し無理をして低い声を出しているような響きがあった。まるで声変わり前の男の子が、背伸びして大人な声を作ろうとしているみたいだ。
そして私は、彼にお姫様抱っこの形で抱きかかえられていることに気付いた。
少年はそのままふわりと地面に着地し、私の体を運動場から離れたテニスコートの裏にそっと降ろした。
「ここで待ってて。危ないから出てきちゃダメだよ」
尻もちをついた状態で私は少年を見上げた。細い体のラインを際立たせる、肌に張り付くタイプのヒーロースーツ。まさにアニメで見たものと一緒だ。
「あのモンスターは僕がなんとかする。任せて、戦いは慣れてるから」
そう言い残して少年は運動場のほうへと飛んで行った。
勝てるの?あの触手に?
いや、勝たないでほしい。むしろ負けてあんな姿やこんな姿を…。




