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野良の猫には手を出すな

 

 秋は私にとって辛い季節だ。2学期になった途端に練習が始まった体育大会はあっという間に本番を迎えたが、日々の運動不足がたたり、チームに多大な迷惑をかけてしまった。

 

 そしてそれが終わると次は文化祭だ。私のクラスは焼きそばの屋台を出すことに決定し、生徒がそれぞれの役割に振り分けられた。恵は調理と呼び込み担当。私は屋台の設営の担当に任命された。材料も自分たちで用意しなくてはならず、木材やペンキを買い出しに近所のホームセンターまでお使いを頼まれた。

 往復にかかる時間はおよそ30分ほど。買い物の時間も含めると、多めに見積もって1時間は学校を抜け出すことができる。少し遅めに歩いて、出来るだけ文化祭の準備をさぼってやろうと考えた。

 

 担任から渡された5000円入りの封筒を鞄に入れて教室を出ようとすると、恵に呼び止められた。

 

 「まさか1人で行くつもり?ペンキの缶って結構重たいんだよ」

 

 ペンキなんて触ったこともないので知らなかった。所詮は液体だし、せいぜい1リットルのペットボトル程度の重さかと思っていたが、どうやら違うらしい。

 

 「もう一人設営担当から誰か連れていきなよ。今空いてそうなのは…」

 

 屋台の設計図を囲んでいる5人のクラスメイトに近づき、恵はそのうちの1人の背中を叩いた。

 

 「真堂君、買い出しお願いしていい?」

 

 真堂も私と同じ担当だったが、なぜわざわざ彼を選ぶのだ。男手が必要だったとしても、真堂よりも体格のいい野球部の男子だっている。恵のチョイスには確実に意図があるように思われた。こちらを振り向いた恵の目が三日月型に細められているのを見て、そう確信した。

 

 「うん分かった。ペンキとブルーシートね」

 

 特に断る理由もなく、真堂は買い出しの依頼を快諾する。

 

 「良かったね梓。真堂君が一緒に行ってくれるってさ」

 

 

 いつも通っている道も、2人で歩くと景色が違って見えた。というかそれより気まずい。さっきからこれといった会話がなく、当たり障りのない話題で二言三言のラリーが終わってしまう。思い返せば1学期の時から、真堂と2分以上の会話を続けたことがない。片道15分、ホームセンターまでの道のりが異様に長く感じてしまう。

 

 目的地のホームセンターまでは、商店街を通ると近道になる。ほとんどの店が閉まっており、昼間でも一切の活気を感じない寂しい場所だ。私と真堂の足音だけが、シャッター街にカツカツと響く。クモの巣が張られたアーケードの天井はすっかり黒ずんでおり、日光が差し込むすきを与えていない。

 

 車の走行音すら聞こえない静かな商店街を歩いていると、静寂を破るようにか細い猫の鳴き声がした。

 

 「今の声って、猫だよね?」

 

 「うん。どこかに隠れてるのかな」

 

 私たちは立ち止まって辺りを見回した。また一声、ニャーと聞こえてくる。

 

 「あっ、あそこにいる!」

 

 準備中の札がかけられたスナックの扉の前で、段ボールに入った猫が寂し気な顔でこちらを見ていた。私は真堂に手招きして、2人で猫を覗き込む。

 

 「真堂君は猫好き?」

 

 「好きだよ。家で一匹飼ってるんだ」

 

 「なんていう種類の猫なの?」

 

 「ブリティッシュショートヘア」

 

 いかにも真堂に似合いそうな、高級感のある猫だ。真堂の膝に乗って、顎を撫でられてゴロゴロと言っている猫を想像して、少しうらやましい気持ちになる。

 

 目の前で切なげに鳴いている茶トラも顔は可愛いが、体は野生らしい汚れ方をしている。ノラ猫はどんな病原菌を持っているかも分からないので、万が一にも引っかかれたりしないように距離を取った。

 

 しかし真堂は猫好きなせいか、それとも全ての猫は自分に心を許すと勘違いしているのか、警戒感なくノラ猫に手を伸ばした。

 

 「やめなよ真堂君、危ないって」

 

 私の警告は数秒遅かった。ノラ猫はそれまでの態度を一変。いきなり手を伸ばしてきた人間に対して毛を逆立て、真堂の指をがぶりと一噛みした。

 

 「いたっ!」真堂が手を引っ込める。

 

 「だから言ったじゃん。野生の猫は飼い猫とは違うんだよ。ちょっと傷口見せて」

 

 クロエルと出会ってから怪我の回数が異様に増えたせいで、私は常に絆創膏と消毒スプレーを持ち歩くようになっていた。応急処置をしておかないと、傷口から雑菌が入ってしまう。

 

 傷は思ったよりも大したことは無かった。小さな血の玉がぷくりと浮き出ているだけだ。これなら簡単に処置が出来る。

 

 「ちょっとだけ染みるよ。我慢して」

 

 消毒スプレーを噴射しようとした瞬間、私の視界が急にぼやけ始めた。手から力が抜け、スプレーを取り落としてしまう。もう秋口とはいえ、まだ熱い。もしや熱中症だろうか。

 

 私を心配する真堂の声が遠くに聞こえた。意識が猛烈なスピードで薄れてゆくのを感じる。しかし次の瞬間、長距離を走り終えたときのような速度で心臓が拍動を始めた。それと同時に、私の意識はただ一点に集中する。真堂の指先から浮き出た真っ赤な血液。吸いたい。吸いたい。

 

 これは下心ではない。初めて覚える感情だ。

 

 私は口を半開きにして、真堂の指に吸いついた。



 

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