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似ているあの子

 「梓?なにしてんの。次移動教室だよ」

  中学に入って出来た友人の一人、中井恵が私の肩を揺らす。

   

 「もう昼休み終わり?まだ体感5分も経ってないよ」


 「もたもたご飯食べてるから時間なくなるんだよ」

 

 恵の指摘はもっともだ。私は受験期のストレスか、運命的な出会いと別れを経験したショックからか、あの時を境に食事の量が一気に増えた。すべての娯楽を奪われ、欲求を食にぶつけるしかなくなったのだ。

 

 「毎日そんな食べててよく太らないよね。梓って運動とかしてたっけ」

  私が平日の放課後と休日を使ってやっていることといえば、もっぱら少年ヒーローの性的イラストを描くことだ。到底カロリーを消費しているとは思えないので、おそらく太りにくい体質なのだろう。

 

  まさか正直に話すわけにもいかないので、「たまにジョギングとかしてる」と当たり障りのない嘘をついて誤魔化す。実際は1分も走れば息切れを起こすに違いない。

 

  小学校の頃はクラス単位で同じ先生から授業を受けていたので、移動教室の機会がそれほど多くなかったが、中学になってからは移動ばかり。あっちで授業。こっちで授業。一つの教室で出来ないものだろうか。

  「もう時間ないよ。ほら走って!」

  

  恵が私の手を無理やり引いて走り出す。

 

  「廊下は走っちゃダメだって先生が…」

 

  「授業に遅れたほうが怒られるでしょ。そういうとこ臨機応変にいかないと!」

 

  食後のダッシュに胃袋が悲鳴を上げる。キリキリと痛む横腹を抑えながら、なんとか5限目開始の30秒前に教室に入ることが出来た。

 

  今日は生物の実習。机の上には顕微鏡がすでに用意されていた。今年から着任したという生物教師が、あまりやる気のなさそうな声でクラス全員に呼びかける。

 

  「顕微鏡の使い方はもう分かるな?先週の授業で教えた通り、なにも難しいことはないから。ああそうだ、プレパラートは割れやすいから気をつけろ。じゃ、各自始めろ」

 

  スライドガラスとプレパラートの間に挟まれている一滴の液体。この中に微生物がいるらしく、それを観察してスケッチするのが今日の課題だ。先生の忠告を聞かずにプレパラートを早速割った生徒が何人かいるようで、私の背後でも騒ぐ声が聞こえてくる。

 

  「あれ、これ壊れてる?」

 

  私は顕微鏡を手順通りにセットして覗き込んだが、そこに映るのは暗闇だけ。ライトをつけてみたり、倍率を変えたりしても変化はない。仕方ないので、椅子の背もたれに体重を預けて、完全にリラックスモードに入っていた先生のもとへ行き、顕微鏡の交換を要求する。

 

  「先生これ壊れてます。新しいのに変えてくれませんか」

 

  「ちゃんと説明通りにやったか?」

 

  「間違いないです。疑うなら先生が試してみてくださいよ」

 

  めんどくさそうに目を細めたが、一応生徒の手前確認しないわけにもいかないのだろう。先生は私の顕微鏡を覗き込み、手元のレバーやライトをしばらく操作した。

 

  「ああこれダメだ。不良品だね」

 

  私を疑ったことへの謝罪は一言もない。すぐに新しいものに交換してもらえると思ったが、先生は困ったように頭をかき、「そういえば在庫ないんだったわ」と言った。

 

  「じゃあ実習に参加できないじゃないですか」

 

  「誰かほかのやつのを使わせてもらえ」

 

  それだけ言うと、また椅子に体を預ける体制に戻ってしまった。なんてやる気のない先生なんだろう。

 

  私は自分の席に戻り、誰か既に顕微鏡を使い終わった人がいないかと視線を巡らせた。

  そしてふと目があってしまった。

  入学以来ひそかに気になっていたクラスメイトの男子。真堂晴に。

 

  真堂は決して教室で目立つタイプではない。活発にスポーツに興じるわけでもなく、お調子者のムードメーカー的な立ち位置にもほど遠い。どちらかというと大人しい方で、こちらから話しかければ応じてくれるという程度だ。

 

  私が真堂に惹かれている理由はたった一つ。

 

  すごく似ているのだ。あのアニメのヒーローに。


 成り行きで真堂の隣に座ることになった私は、もう微生物の観察どころではなかった。顕微鏡を操作する指先が震え、スライドガラスにプレパラートを被せようとしても狙いが定まらない。そんな挙動不審な私を見かねた真堂が、困ったように眉を下げて笑いながら顕微鏡をセットしてくれた。

 

  「あ、ありがとう真堂君。こういうの慣れてるの?」

 

  「僕も前の授業で使ったのが初めてだよ。宇羅未さんこそ、理科の実験とか得意そうに見えたけどね」

 

  それはどういう意味だろう。暗に私が引きこもり気質のオタクだと言いたいのではないか。少なくとも明るく活発そうなイメージの相手に向けて言う言葉でないことは確かだ。

 

  何も観察する気もないが、真堂が準備を整えてくれた顕微鏡を使って接眼レンズを覗き込む。なるほど、これが微生物か。目も鼻もない、まるで生命の輝きを感じないフォルムだ。せめてミジンコくらい可愛げがあれば観察のしがいもあるのだが。

 

  「うまく見えてる?」

 

  相手の姿が見えない状態で、耳元で囁かれるのは心臓に悪い。私は悲鳴を上げてレンズから顔を放した。

 

  「ちょっとどうしたの?なんか変なモノでも見えた?」

 

  見えたのではなく聞こえたのだ。声変わりがの初期に差し掛かっている周りの男子とは違い、真堂の声はまだ少年そのもの。美しく透き通るような声色で、前に少し会話したときから、一度じっくり聞いてみたいとは思っていた。しかしまさか耳元で囁かれるとは思わなかった。

 

  「大丈夫!もうバッチリ観察できたから!」

 

  「あの一瞬で?」

 

  「私記憶力はいいの。そう、瞬間記憶ってやつ?完全に脳みそに刻まれたよ。あのうねうねした気持ち悪いフォルムもね」

 

  私は人差し指で自分のこめかみをとんとんと突き、煩悩に満たされた脳みそのくせして頭のいいアピールを繰り出した。だが実際はほとんど何も記憶していない。今日の課題は観察したものをスケッチして提出することだったので、仕方なく真堂に助けを求めることにした。

 

  「あの、やっぱりスケッチ見せてくれないかな?」

 

  「えっ、瞬間記憶はどうしたの」

 

  「忘れた。そうなんだよ。覚えたって忘れることもあるでしょ、人間なんだから」

 

  真堂は何かを言いたそうな顔をしていたが、自分の描いたスケッチの紙を私の前に滑らせてくれた。なかなか上手に描かれている。見た目からして手先が器用そうだという私の見立てに間違いはなかったようだ。

 

  真堂のスケッチを丸パクリしていたその時だった。教室の窓ガラスがカタカタと音を立て始めたかと思うと、天井の蛍光灯が割れて破片が落下してきた。教室中が悲鳴に包まれる。

 

  「机の下に隠れろ!早く!」

 

  あの無気力教師でさえも焦るレベルの非常事態だ。私も指示に従って机の下に潜り、両手で頭を抱えた。

 

  「あれ、真堂君?どこ?隠れないとやばいよ!」

  周りを見ても真堂の姿はない。さっきまで隣にいたというのに、一体どこへ行ったのだろうか。


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