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消えた思い出


 「…いい加減に、しろっ!」

 

 体を丸めて防戦一方だった少年が、1分間で15回目となる臀部への攻撃をまさに加えようとしていた包帯を、力いっぱい掴んだ。クレオパトラが驚愕に目を見開き、食いしばった歯がギリギリと音を立てる。せっかく気分よく責め立てていたのに、その流れを断ち切られたことが気に食わないのだろう。

 

 私だってそうだ。少年のもだえ苦しむ様をもっと見ていたかった。触手と戦ったときは冷静沈着で、まったく焦る素振りさえ見せなかった彼の苦痛と恥辱に塗れた表情。スマホにしっかり収めたので、あとで静止画保存して印刷し、部屋の壁に貼るとしよう。

 

 少年は自分をいたぶった憎き包帯を、綱引きの要領で引っ張った。クレオパトラがバランスを崩し、呪いの館の床に頭から転倒した。壁の装飾は凝っているが、よく見ると床は安っぽいリノリウムだ。

 

 クレオパトラが顔を上げようとする直前、少年がその後頭部を踏みつけた。

 

 「散々好き放題やってくれたね、女王様。でも今からは立場逆転。僕に足蹴にされて、気分はどう?」

 

 少年の目に冷たさが戻っている。しかし先ほどまでの鞭うちで紅潮した頬と妙にミスマッチで、それがまたいやらしい。

 

 「良かった良かった。ヒーローさんが勝ったんだね。どうなることかと思ったけど一件落着だ」

 

 「欲を言えば逆が良かったな。立場逆転するなら最初がSで、あとから鞭でしばかれてMになるみたいな、そういう展開がいいと思わない?」

 

 「思わない」

 

 「それでも私の友人なの?」

 

 「なんだか今日は梓の新しい側面を見ちゃったというか、見すぎたと言うか…。まあ友達であることには変わりないんだけどさ」

 

 少年が体重をいったん後ろに反らし、全体重を乗せてクレオパトラの頭部を踏みつけた。ぐちゃ、という生々しい音が響く。間違いなくグロテスクな光景が広がっているので、私はそちらを見ないように目を背けた。

 

 少年の姿だけを横目で捉えながら、「あの、ありがとうございました」と軽く頭を下げる。

 

 「後の処理はしておくから早く行きな。あとさっき動画撮ってたのバレてるからね。ちゃんと消しておいてよ」

 

 「もちろん!」もちろん消すわけがない。

 

 私と恵は呪いの館から脱出し、外の空気を肺一杯に吸い込んだ。

 

 「なんだかスリリングなアトラクションだったねえ」


 

 遊園地から帰宅した日の夜、私は恵のスマホから無理やり送らせたデータをパソコンに転送した。少年がクレオパトラによってむち打ちの刑にされている一部始終を収めた映像だ。これは私にとって一生の宝物になるだろう。万が一パソコンが故障してもデータが消えてしまわないように、クラウドにもアップロードしておこう。

 

 ファイルをドラッグ&ドロップでクラウドにアップしようとした瞬間、パソコンの画面が真っ暗になった。

 「えっ、嘘!まさかデータ消えてないよね?」

 

 急いでパソコンを再起動すると、例のデータはクラウド上にも、そしてスマホからも綺麗さっぱり消えていた。

 

 「嘘だ嘘だ噓だ嘘だ!」

 

 何度もパソコンを開いては閉じ、開いては閉じを繰り返すも、そんな事で失われたデータは復旧されない。スマホのカメラロールを上に下にと反復してスクロールしても、やはり映像はどこにも見当たらない。

 

 終わった。私の宝物はいとも簡単に、デジタルのトラブルによって奪われてしまったのだ。涙が頬を伝う。これは悲しみからか、それとも悔しさの涙なのか。

 

 私はベッドに飛び込み、枕に顔を埋めた。枕を涙で濡らすなんて言葉があるが、まさか枕もこんなタイミングで濡れることになるとは思わなかっただろう。

 

 「…もう無理、なにもしたくない。あの苦痛のうめき声も、赤らめた顔も、もう見れないなんて、世の中は腐ってる」

 

 こんなに泣いたのはいつ以来だろう。幼い頃に転んで膝を擦りむいた時でも、ここまで涙を流すことは無かったのに。人はあふれ出す感情が止められないと、こうなる生き物なのか。 

 

 ベッドに沈み込む私の肩を、誰かがトントンと叩く。誰かと言っても家にいるのは両親のどちらかだ。

 

 「放っておいてよ。あなたの娘は今人生最大の悲しみの中にいるの。ご飯ならいらない。お風呂も入らない!」

 

 「ねえ、あの映像、また見たくないの?」

 

 その声は酒やけした母の声でもなければ、地響きのように低い父の声でも無かった。

 

 驚いて振り向いた先には、黒光りするボンテージ姿の女性の姿が。

 

 「だ、誰⁉てかなにその恰好、SM嬢のやつじゃん!そういう出張サービスなんて私呼んでませんけど!」


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