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虫攻め

 

 ななみの魔法は攻撃に特化している。魔法を使い始めた頃からそればかり練習していたので当然であるが、防御魔法を会得してこなかったのは、クロエルとの戦いで学んだ反省点だった。もしも防御をうまく行っていれば、戦況は大きく変わったかもしれない。

 

 思い立ったが吉日。ここ数日で練習を重ね、少しだけではあるが防御魔法も使えるようになっていた。まだ実戦で使ったことはないので、どれくらいの攻撃に耐えられるかは分からないし、アルシアの攻撃が物理なのか魔法なのかも読めない。とりあえず気休め程度に、防御魔法を展開した。

 

 「あれれ、魔法を打ってこないんですか?もしかしてビビッてます?またメス豚みたいに、ひーひー言わされるって思って身構えてます?」

 

 丸眼鏡の奥の細い目をさらに細めるアルシア。くすくすと漏れる、吐息交じりの笑い声が不愉快だ。

 

 「自分さっきから聞いとったら、ほんまに失礼やな。せやから友達もできひんのと違う?」

 

 「おっと精神攻撃ですか。やめてくださいね、それ普通に効きますから」

 

 挑発する割にメンタルは弱いらしい。

 

 「ほな、いくで。その眼鏡、叩き割ったるわ!」

 

 光の柱が出現し、ななみを照らした。ステッキの先から、殺人級の威力を持つ光線を放つ。ショッピングモールは無事では済まないが、あと2年で建て替えるとか言っていたので、工事の時期が早まるだけだ。

 

 「おわあぁ!」

 

 アルシアは真横に飛びのき、すんでのところで直撃を免れた。スニーカーの底に光線の端が当たり、焼け焦げている。惜しい。あと少しずれていれば、アルシアは本屋ごと消し炭になっていたのに。

 

 「噂には聞いてましたけど、マジで暴力的な魔法ですね!魔法少女のイメージが壊れちゃいそうなんですけど。魔法少女っていうと、なんかもうこう…可憐でかわいい魔法を使うべきじゃないですか!?マジカルふわりんなんとかパワー、みたいな」

 

 「そんなファンシーな魔法、反吐が出るわ」

 

 「やだなあ、この魔法少女。フリフリの服を着ただけの殺人鬼じゃないですか」

 

 「今度はそっちの番やで。はよしいや」

 

 アルシアは歯茎を剥きだして、下卑た笑みを浮かべた。

 

 「では、遠慮なく」

 

 来る。あらかじめ張っておいた防御魔法に加え、どの方向から攻撃が来ても対処できるように、周囲を警戒する。

 アルシアが取り出したのは、スケッチブックと鉛筆だった。

 

 「ちょっと待っててくださいね。10秒くらいで出来ますから」

 

 高速でスケッチブックの上に鉛筆を走らせるアルシア。鉛筆の芯が折れずに耐えているのが不思議なくらいの速度だ。彼女の手が止まって見える。

 

 しかしいきなり戦闘中に絵を描きだすとはどういうつもりだ。ななみは拍子抜けして、警戒を緩めた。

 

 それが間違いだった。

 

 「はーい、完成でーす!」

 

 アルシアがスケッチブックに描かれた絵をこちらに向けた。そこに描かれていたのは、ななみの姿だった。10秒程度で描いたとは思えないクオリティで、美術コンクールに応募すれば、入賞間違いなしの画力だ。モデルが良いというのもあるが、かなりの完成度だった。

 

 「ウチの絵を描いてどうするつもりなんよ。お絵描きやったらよそでやって…」

 

 ななみが喋れたのはそこまでだった。口に猿ぐつわが嵌められ、口を閉じられなくなった。

 

 「んっ⁉んんっ、んー!」

 

 声を出そうにも言葉にならない。

 

 「私の能力を説明してませんでしたねえ。これですよ。このスケッチブックに描かれたものは、すべて現実になるんです。私は今、橘さんの絵を描いたわけですが、そこにちょちょぃと猿ぐつわを書き足したんですよ。こんなの1秒あれば描けます」

 

 そんなの、あまりにもずるではないか。描いたものが現実になるなど、ななみの魔法よりも強力だ。そこには科学も物理も魔法でさえも通用しない。やったもの勝ちの能力だ。

 

 猿ぐつわを外そうと手を伸ばすと、アルシアがまたスケッチブックに何かを描き足した。

 

 「んぅっ、んー!」

 

 今度は両手に手錠を嵌められた。これで手も動かせないし、口も動かせない。手が拘束されたので魔法のステッキも握れない。非常にまずい状況だ。

 

 「おやおや、また涎がダラダラと…。まるで赤ちゃんみたいですねえ」

 

 口が閉じられないから涎が垂れてくるのは自然な反応だろう。なんでもかんでも快感に感じていると思わないでもらいたい。

 

 「さーて、もう勝負は決したようなものですね。ここからはボーナスタイム!アルシアのワクワクお絵描きコーナーです!」

 

 アルシアは、ななみの魔法で吹き飛んでいない本棚から、本を物色し始めた。

 

 「橘さん、虫はお好きですかあ?」

 

 アルシアが本棚から抜き出したのは、昆虫図鑑だった。

 

 「んん、んん!」

 

 ななみは首を横にぶんぶんと振った。虫は嫌いだ。嫌いなんてものではない。見ただけで卒倒しそうになる。一般的に気持ち悪いとされる芋虫などの幼虫やゴキブリの類だけでなく、虫全般が苦手だ。ななみはよく美しい蝶に例えられることがあるが、蝶だってもとは蠢く幼虫。なんなら成虫になった後も、本体部分は幼虫の名残が思い切りあるではないか。柔らかそうな腹は、グロテスクな見た目だった頃を思い出させる。あれがひらひらと宙を舞い、頭にとまってきた時は、思わず叫んでしまった。羽の美しいデザインで誤魔化されないほどに、胴体部分が気持ち悪い。

 

 男の子はみんな好きだというカブトムシとクワガタムシも、何がいいのか分からない。角が生えただけのゴキブリではないか。あれが家の台所の奥から、カサカサと手足を動かして出てきたら、迷いなく殺虫スプレーをかけるだろう。

 

 アルシアは昆虫図鑑を恐怖の目で見るななみから、何かを察したらしい。

 

 「おほほ、虫が苦手なんですね。ならこいつで決定!」 

 

 アルシアはスケッチブックにまた鉛筆を走らせる。

 

 数秒後、ななみの肩に親指ほどのサイズの芋虫が現れた。

 

 「んんんんんんんー!」 

 

 振り落とそうとしても、やたらと多い足でななみの肩に張り付いているのか、全然落ちない。しかもアルシアが独自に生態を追加したのか、芋虫はななみの耳元で、甲高い鳴き声を発した。ただでさえ気持ちが悪いのに、そのうえ鳴くとなると、もう耐えられない。

 

 ななみは膝から崩れ落ちた。

 

 「芋虫一匹で堕ちないでくださいよ。まだまだ図鑑には、かわいい子たちがいっぱい載ってるんですから!」

 

 アルシアの虫攻めは続いた。ムカデにゴキブリ。クモにミミズ。ミミズが耳の穴に入ってくるわ、ゴキブリが太ももを這うわで、ななみは気絶寸前になった。

 

 「降参ですかあ?クソザコ魔法少女さん」

 

 「ん…んん」

 

 ななみは目に涙を浮かべて何度も頷いた。これなら体を切り刻まれたほうが幾分マシだ。降参すれば、この虫地獄から解放されると思い、プライドもすべて捨てて敗北を認めた。

 

 だがアルシアは、あろうことかさらに鉛筆を走らせている。

 

 出現したのは、3メートルはある巨大カマキリ。

 

 「んぅっ⁉」

 

 降参と言ったのに、なぜかまだ攻撃を続けてくる。

 

 カマキリはその大きな鎌でななみの体を挟んで持ち上げた。カマキリの顔が目の前まで迫ってくる。緑色のツヤツヤした眼球の中に、黒い小さな点がぽつんとある。その点が、泣きじゃくるななみを真っすぐに捉えた。

 

 「カマキリの顎の力はすごいそうですよ。嚙み砕かれたらひとたまりもない、って図鑑に書いてます」 

 

 カマキリが口を開き、ななみの頭は、底の見えない闇の中に吸い込まれた。

 

   


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