形勢逆転?
「クレオパトラが襲ってきたんです!あと少しで首を噛まれるところだったんですよ。私無理やり押し倒されて、それで…」
状況を説明しようとすればするほど、あり得ない言葉ばかりが出てくる。クレオパトラに襲われるなど、古代エジプト人でも体験することはなかっただろう。当然私の説明を聞いているスタッフの男性も困惑した顔になっている。
「えっと、よく分かりませんがシステムの故障ですかね。僕このアトラクションに配属されたばっかりで、こういう時の対応まだ習ってないんですよね」
「システムとかそういう問題じゃないんですよ!ていうか自分の目で見ればいいでしょ。あれですよあれ!」
少年が剣を振り上げ、クレオパトラに切りかかった。一撃で終わるかと思ったが、クレオパトラは腰から上だけを反らして斬撃を避ける。普通の人間がやれば骨がどうにかなる動きだが、あれはモンスターだ。関節もなにもあったものではない。
「え…、なんすかあれ。このアトラクションってスタントショーでしたっけ」
「だからあれはアトラクションの仕掛けじゃないんですって。クレオパトラが動いてるのも、あれが人間じゃなくてモンスターだからなんです!」
「それでもう一人いますけど、あっちの男の子は?」
「彼はヒーローってやつですよ。私も一度助けられたことがあるんです」
梓の王子様ね、と恵が余計な茶々を入れてくる。
クレオパトラが腕を突き出して、少年の左足を掴むが、あっけなく振り払われて体ごと壁に叩きつけられた。やはり彼の脚力は半端ではないらしい。クレオパトラは衝撃で力を失い、だらんと四肢を投げ出した恰好で動かなくなった。
「決着…しましたよね。僕ちょっと上の人呼んできます」
スタッフが従業員用の通用口を開けて出ていこうとしたのと同時に、脱力していたクレオパトラが息を吹き返した。それまでとは比べ物にならないスピードで蹴りを繰り出し、少年の腹部にクリーンヒットした。突然繰り出された不意打ちに防御が間に合わず、蹴りをもろに食らった少年の口から唾液の飛沫が飛ぶ。私は胸の高鳴りを感じた。
ついに見られるのか。敵の猛攻にもだえる美少年の醜態が。
撮影を続けていた恵のスマホを、興奮で震える手でひったくり、少年にフォーカスする。
「浴びたい!」
「えっ、なにが?」
「腹を殴られた美少年、その口から飛んだ唾液のしぶきだよ!」
「さすがにキモくて友達やめようかと思った」
恵の前で性癖をあらわにしたのはこれが初めてだったので、彼女が顔を引き攣らせるのも無理はない。
一歩、また一歩と私から遠ざかっていく。だがそんな事に構っていられない。先程までモンスターに襲われて、恐怖でパニックになっていた私は、もうどこかへ消え去っていた。
さあ現代に蘇りし女王クレオパトラよ。存分に暴れるがいい。
私は両手を横に広げ、天を仰いだ。周囲に設置されていたミニサイズの棺桶が一斉にガタガタと震えだす。一斉に棺桶の蓋が開き、中から安っぽいミイラの人形が飛び出してきた。本来であればアトラクションの終盤で作動するクライマックスの仕掛けだったのだろう。
「すごい。まるで梓が女王様みたいだよ」
ミイラ男たちを従えるのはクレオパトラの役目であるが、本人は今それどころではない。少年を襲うのに忙しいわけで。というか私にも使命があるではないか。少年の窮地を撮影するという使命が。
私は恵から強奪したスマホを、蹴られた腹部を抑えている少年に向けた。少し顔にズームすると、撮影されていることに気が付いたらしく、少年が視線だけをこちらに向けてこの場から逃げるように促す。
いいえ逃げませんとも。逃げるものですか。
クレオパトラが首元に巻かれている包帯を乱暴に引きちぎると、ぼろぼろの布だったそれが硬度を増し、鞭のようにしなる。
「あれって何が起きてるの。一瞬で包帯が固くなったみたいに見えたんだけど」
「化学で説明できない現象でしょ。今更珍しくもない。大体クレオパトラが生きて動いてる時点でおかしいんだから、包帯が鞭になったくらいで驚かないでよ」
恵はなにか言いたそうにしていたが、結局そのまま口を噤んだ。私の正論に打ち負かされたらしい。
クレオパトラが鞭を少年に向かって打ち付けた。間一髪のところで攻撃を交わしたが、すぐに追撃が繰り出される。2発目の打擲は見事に少年の右ふくらはぎを捉え、打たれた部分のヒーロースーツに裂け目が現れた。
私は祈った。いいぞその調子で鞭うちを続けろ。
その祈りに呼応するように、ミイラ男の人形たちもカタカタと震え出した。




