美少女だったもの
梓の言っている意味が分からなかった。ななみは今、拷問に近い扱いを受けている。手足からは出血し、殴打された顔面は痛みでヒリヒリとしていた。おまけにドラムスティックで尻を打擲されるという、痛みと屈辱の両方を一気に味あわされる最悪のシチュエーションだ。それなのに梓は聞いてきた。気持ちがいいのか、と。
「な…なにを言うてんのよ。ウチはそんな変態とちが…」
「まだ口がきけるほど元気なのね。ほんとよく喋る魔法少女!」
ドラムスティックの先端が、的確に同じ個所を狙って振り下ろされた。
「うぅっ…!」
せめて違う場所を狙ってくれれば痛みを分散できたのだが、クロエルがそれを許すはずもない。ななみの尻は、一部分だけが分かりやすく赤くなっていた。
クロエルからの執拗な攻撃は続いた。叩かれるのも、もう何度目か分からない。
母親に甘える子供のように、梓に体を預ける体勢のななみ。痛みを少しでも和らげようと、梓の腕をぎゅっと掴んだ。これまではまるで本当に赤ん坊のようだが、全身の力が抜けて逃げることも出来ないので、せめてこうするほかない。
「そろそろ限界かしらね?」
艶のあるななみの黒髪を乱暴に掴み、顔を無理やり上げさせるクロエル。頭皮が引っ張られた痛みに、思わず悲鳴が出た。髪の手入れには毎日気を遣ってきたのだ。あまり雑な扱いはしないでほしい。
「うわちょっと…、マジでひどい顔になってるじゃない」
家の中に出たゴキブリを見るみたいな、クロエルの蔑んだ視線。そんな目で見られるのは、ななみの人生において初めての出来事だった。容姿を悪く言われたことなど一度も無く、可愛いとか美人とかの言葉に囲まれて育ってきた。
クロエルが掴んでいた髪の毛を離し、再び梓の胸に顔を埋める形になった。
「橘さん、よだれが…」
「へ…?」
梓の着ているニットに、500円玉サイズの染みが出来ている。彼女の服を濡らしたのが、自分の口から流れ出た涎であると気づいたのは、梓に指摘されてからだった。空腹でもないのに涎が止まらないのは、クロエルに責められている間ずっと、だらしなく口を開けていたことを意味していた。痛みに耐えようとする時、普通は歯を食いしばる。必然的に口は閉じられているはずだ。しかしななみの口は、力なく開いていた。
「ほら写真撮ってあげたわよ。自分の顔がどんなことになってるか見てみな」
クロエルがスマホ画面を向けてきた。そこに映っている写真の中の人物が自分であると、ななみは一瞬認識できなかった。
紅潮した頬に、力なく開いた口。収まるべき場所を見失ったように、舌はだらりと垂れている。口の端から止めどなく溢れる唾液の洪水。そこに汗と涙も混じり、顔全体からあらゆる水分が分泌されていた。目は焦点が定まっておらず、どこか遠くを見ているようだ。
これが自分。美少女と誉めそやされて育ってきた、橘ななみの姿。まるで家畜ではないか。一切の愛情を排して育てられ、人間の胃袋に収まるためだけに生まれてきた家畜。エサを求めて涎を垂らし、下品に与えられたものをかっ食らう。昔にテレビで見たそんな哀れな動物と、今の自分がぴったりと重なった。
「顔面ぐちゃぐちゃじゃない、汚いわね!」
赤くなった皮膚が破れ、血が滲みだした箇所へ容赦なく襲い来るドラムスティック。
「はっ…あぁ…」
痛い。痛いはずなのに、全身をぽかぽかとした暖かさが包んでいく。
梓のニットは涎でぐっしょりと濡れ、もう変色してしまっている。
「そろそろフィニッシュといきましょうか」
クロエルは指先から触手を出現させ、鞭のようにしならせて地面を打つ。乾いた鋭い音が、ライブハウスの中に反響した。




