私がこんなになったわけ
ヒーローとは実に性的な存在だ。英語で書くとHERO。そこからHを取ればエロになる。これだけで説明は十分ではないだろうか。
このシンプルかつ隙のない理論に納得いかないというのならばしょうがない。順を追って話すとしよう。
私は宇羅未梓。この春から中学生になったばかりで、お受験のストレスがまだ癒えていない。私の通う中学はいわゆる進学校というものに分類される。偏差値の高い人間を寄せ集めて、より良い高校へ送り出すのが使命だ。遊び呆けてなんぼの小学校時代に親から勉強を強いられ、周りの友達から仲間外れにされながらも挑んだ中学受験。もともと地頭は良い方なので、受験をすること自体はなにも苦ではなかった。
しかし過度なストレスは子供に悪影響を与えるものだ。ゲームやアニメなど、勉強の妨げになる娯楽はすべて取り上げられ、参考書とにらめっこするだけの生活。それを小3あたりから3年間も続けていると、どこかおかしくなるのも当然だ。健全な子供なら、スポーツや友達との会話でうまくストレスを発散できるだろうが、私の場合は違った。
勉強漬けの毎日が続いたある夜のこと。子供ながら眠気覚ましにブラックコーヒーを飲む習慣がついていた私は、カフェインの過剰摂取により深夜に目が覚めてしまった。あれは忘れもしない、深夜2時37分。外が暗い時間に短針が2を指していることところなど初めて見たので、鮮烈な記憶として脳裏に焼き付いている。
親が寝静まった時間に目を覚ました子供がやることといえば決まっている。普段は見られない深夜番組の視聴だ。幼き私も例に漏れず、テレビのリモコンを手に取った。震える指で電源ボタンを押すと、月明かりの何倍も明るい人工的な光が部屋を満たした。眩しさに目を細めながら、画面に映る番組を凝視する。そこに映し出されていたのは、いわゆる深夜アニメというやつだった。
私がアニメを見ることを親から許されていたのは小2まで。受験に向けた勉強が始まってからは、内容にかかわらずいかなるアニメの視聴も禁止された。夕方4時くらいに放送されている教育番組のアニメでさえもだ。
そうして娯楽から切り離された私にとって、深夜アニメは特別なものに感じられた。まず登場するキャラクターの作画が、日中にやっているものとはまるで違う。親からの禁止令が出る前、私が最後に見た番組は、一昔前の少女漫画のようなデザインのキャラクターしかでてこない、いかにも子供向けだった。顔の大きさに対して異様なまでに大きな目。声もキンキンしており、聞いているだけで疲れてしまう。
しかしその時に見たアニメは違った。キャラクターの年齢は今の私と同じくらいの設定だが、どっか大人びた雰囲気を醸し出している。それは繊細なタッチと美しい色彩、そして華麗に動くアニメーションが織りなす芸術だった。
なかでも私の目を引いたのは、作中の主人公である少年だ。どうやらヒーローものらしく、敵のモンスターと少年が、ビルの崩落した街を背景に対峙していた。彼を見て私はこう思った。
エロい。
ヒーローといえばピチピチのスーツが正装だ。少年の服装もヒーローらしく、伸縮性の高そうなゴム製の素材だった、アメコミのように、筋骨隆々の男が着ていても何も感じない。だがアニメの中でスーツを着用しているのは、華奢なスタイルの美少年だったのだ。体のラインが浮き出る素材にも関わらず、胸筋も腹筋もまったく見えない。見ようによってはかなり貧相だが、私の目は釘付けになった。
なんでこの子はこんな格好をしているのだろう。ヒーローに選ばれるのは、普通もっと頼りがいのありそうな男の子ではないだろうか。自分のクラスの野球部の男子を思い出す。足も早くてクラスの中心的存在である彼ならヒーローに適任かもしれない。しかし画面の中で敵と対峙しているのは、病弱にさえ見えるほどの細身の少年だ。このアニメの設定は知らないが、もし本人の意思に反してヒーロー活動を捺せられているなどのストーリーだったら、そう、とても興奮する。
着たくもないピチピチスーツに身を包み、望まぬ戦いに身を投じる美少年。深夜テンションでなくとも興奮するのに十分すぎるほどの材料だ。私は思わず少年の下半身に視線を這わせた。少し、ほんの少しだが女にはない膨らみがある。私はアニメの制作スタッフに心の中で拍手を送った。録画ではないので、一時停止できないのが悔やまれる。
そしてすべてが変わったのはここからだった。少年の必殺技が炸裂し、敵のモンスターは倒されたかに思えた次の瞬間。損傷した部位からぬらぬらと光る触手が10本映えてきたのだ。まるでそれそのものが意思を持った生き物のように、少年に狙いを定めて襲いかかる。必殺技を放ってスタミナが付きていた少年は逃げることもできず、職種に体を絡め取られてしまった。美しい顔が苦悶に歪む。首、腹、足を締め付けられ、うめき声を上げるその姿。先程までの勇ましさはどこへやら。すっかり立場が逆転し、責められる側になった少年に、私の鼓動は早くなった。敵の触手が蠢くたび、私の指もそれに呼応するようにテレビ画面をなぞる。決して触れられないのは分かっているが、そ の時の私は少年の体を求めて高ぶっていた。
触手が少年の頬を撫でると、粘液が彼の口のなかに入りそうになる。強い腹部への締付けに対して、歯を食いしばることで声を出すのを押えていたが、やがて少年の我慢も限界に達したようで、ついに口を大きく開けてしまった。そこへ粘性の液体が待ってましたとばかりに流れ込む。私は画面の前でガッツポーズを取った。このアニメスタッフは分かっている。いかに少年ヒーローをエロく、性的に、いやらしく見せる方法というものを。
少年の瞳がうるみ始めた。それは苦しみによるものか。はたまた…。
そこまで考えたところで、アニメはエンディングに突入してしまった。バラード調の落ち着いた音楽で、主人公役の声優が歌っているらしい。私は呆然としてスタッフロールを眺めた。一体今のはなんだったのだ。私は見てはいけないものを見たのかもしれない。
曲がサビに入っても気持ちはまだ上の空だった。次回予告では、どうやら少年が起死回生の一手をくりだしそうな雰囲気があった。そのまま蹂躙されてほしいという気持ちが自分の中で生まれていることに気づき、途端に恥ずかしくなる。続きが見られるのは1週間後。これから来週までは勉強に身が入らないかもしれないと思った。
長い長い、永遠とも思える一週間が過ぎた。予想していた通り、というかそれ以上に勉強には集中できなかった。授業を聞いていても、参考書を読んでいても、頭に浮かぶのはあの少年のことばかり。ピチピチのヒーロースーツに身を包み、悪と戦うその姿。触手に締め付けられ、なすすべなく苦しみに喘ぐ淫靡な光景が、昼夜問わず私の頭を支配していた。恋をするというのはこれに近い感覚なのだろうか。
その日の夜は、とにかく眠気覚ましに全力を注いだ。放送開始時間は深夜の2時30分。それまで仮眠をとることも考えたが、万が一にも寝過ごしてしまってはいけない。録画すれば親にバレることは避けられないので、その時間まで起きておくしか少年と再会できる方法はないのだ。
普段は夕食後のコーヒーは一杯だけ。だがこの日は3杯飲んだ。飲み過ぎで気分が悪くなったが、背に腹は代えられない。娘がカフェイン中毒になったのかと母親が心配そうな顔をしていたので、明日の小テストに向けて今晩は遅くまで頑張るから、とそれらしい言い訳をしておいた。無論小テストの勉強などしない。アニメのことばかりで、テスト範囲がどこかすら把握していない始末だ。だがそれでいい。私にはテストよりも大事なものがあったのだ。
一旦は眠るフリをしてベッドに入り、両親を欺く。私の親は2人とも早寝なので、遅くとも23時までには夫婦揃って寝室に行き、朝の5時まで起きてくることはない。ベッドは別だが私も同じ寝室で寝ているので、2人が寝付くまでは寝たフリを続けた。
そうして迎えた2時20分。あと10分で放送が始まる。私はベッドをこっそりと抜け出そうと、そろりと体を起こした。
ごそり。両親のベッドの上でどちらかの体が動く気配がした。心臓が早鐘を打つのを感じる。最悪なタイミングで目を覚ましたのは父親のほうだった。いつも朝まで熟睡するのに、夜中に目が覚めるなんて珍しい。トイレだろうか。
私は父が寝室に戻ってくるのを悶々として待った。早くしてくれないと放送が始まってしまう。しかし父は帰ってこない。耐えかねて廊下へ出ると、リビングから光が漏れているのを目にした。父しかいないはずのリビングから複数人の笑い声が聞こえてくる。聞き覚えのあるタレントの声だ。
そう、父はこの日に限って夜中にテレビを見ていたのだ。半開きになった扉から顔を覗かせて中の様子を伺う。テーブルの上には缶ビール。だらしなく捲られたパジャマの下からは、中年太りの太鼓腹。深夜のバラエティ番組はゴールデンタイムのものとは違って過激な内容らしく、当時の私には理解できない下ネタが飛び交っていた。お昼の時間はにこやかなタレントの顔に、あまり上品とはいえない笑みが刻まれている。父はそれを、特に面白くもなさそうな顔で、ぼーっと眺めている。そんなつまらないなら私にアニメを見せてくれ。そう言いたいが、そもそもアニメの視聴は禁止されているうえ、今は深夜だ。もし起きているのがバレたら大目玉。一週間待ち望んだ楽しみを奪われた私は、悔しさに涙を流しながら寝室へと戻った。
アニメの放送終了を知ったのは翌週のことだった。
父親の気まぐれも2週連続で発動することはなく、私は放送時間ぴったりにテレビの前に陣取っていた。しかし時間を過ぎてもあの少年はでてこない。勉強の妨げになるという理由で、スマホもパソコンの使用も親から禁止されていたので、数少ない友達のスマホを借りて例のアニメの情報を検索した。
嘘だ。嘘だ嘘だ。
公式ホームページには、放送打ち切りの文言が記載されていた。
こうして私の性癖を捻じ曲げた美少年ヒーローは、突然姿を消したのだった。




