第3話 戸締りするの、忘れてたぁー……
スリッパを履いていたから転移先で裸足という事にはならずに済んだ代わりに、部屋履きスリッパがすっかり外履きになってしまった。
プラスチックやゴムなどの元々外履き用の物ではなく、普通の室内スリッパなので、足を上げて裏を見てみると、案の定というべきか真っ黒になっている。
「これは仕方がないなぁ」
言いながら、スリッパを脱いで板間に上がった。
しゃがんでスリッパを拾ってから、引き戸を閉める。
「ちゃんと玄関じゃなくて納戸に繋がったのもよかったなぁ。なんか勝手口みたい」
古い日本家屋にしては珍しく、この家に勝手口はない。
だからある意味この開通は、この家がより古き良き日本家屋に近づいたとも言えるのではない?
「まぁ、普通の家は異世界に繋がったりしないけどね」
言いながら、トタトタと部屋に入り、とりあえずスリッパはビニール袋へ。
洗ってみるかこのまま捨てるかは、また後で考える事にしよう。
今はちょっと、疲れたし。
「あっ、そうだ。椅子」
あっちに行っちゃう前に、最後の椅子を持って入ってきたところだったと思い出す。
「こっちでスキルって使えるのかなぁ。……あっ、使えた!」
心の中で『出てこぉい!』と唱えれば、床にゴトッと椅子が現れた。
「接地面がちょっと浮いちゃんだなぁ。気を付けないと床を傷つけるかも。これって練習すれば、衝撃なく物を出したりできるようにもなるのかなぁ」
独り言の傍らで、よいしょと椅子を持ち上げて、最後の一つを定位置に決めた場所に置いて。
「できたぁ」
辺りを見回せば、「何という事でしょう!」という某テレビのリフォーム前後の見比べ時に差し込まれるナレーションのような言葉が咄嗟に思い浮かぶ。
逆に言えば、ガランとしていた室内が、その言葉が似合うくらいには代り映えした。
まず、廊下から中に入った正面の長い縁側沿いには、貰ってきた木と黒いパイプで作られた長テーブルを配置。
五つの椅子を等間隔に並べた。
和室には背の低い大きな木のテーブルを。
こちらは昔から祖母ちゃん家にあるやつで、座布団もくたびれてない綺麗な奴だったので置きました!
お祖父ちゃんとお祖母ちゃんもいるお仏壇も置いてあって、こちらは二人がもしお盆なんかに帰ってきても落ち着く空間に。
反対側の板間の奥にはこれまた、元からあるカウンターキッチンがあるけど、その前には貰ってきた背の高いテーブルを三つ配置。
この部屋は元々大きな食器棚とか、古くてちょっともう動作させるにも心許ない餅つき用の機械とか、ファミリー用より更にデカい業務用の冷蔵庫とかがあったけど、遺品整理に際してそれらを撤去。
代わりに自分の家から持ってきた家電の数々を配置して、それでもスペースが空いていたから、場所埋めにちょうどいい感じなった。
撤去したものの中に食器棚もあったけど、これに関しては新しい物は置いていない。
代わりに、元々壁に埋め込んであった棚を使う事に。
ここにはたくさんの本と皆に貰ったり自分で買ったりしたお土産品の数々が、所狭しと並んでいた。
こちらも遺品整理でかなり数が減ったので、食器を置くスペースくらい簡単に作れた。
何なら小さな家電も並べている。
元々私が持っていたのも、ちょっと武骨めでシンプルな家具家電だった。
だから貰ってきた物と混ぜても、違和感はなし。
和と洋がいい塩梅なこの家とも、中々に似合ってるんじゃないだろうか。
「古き良き一人で住むには広すぎる家が、たった一日でお洒落な古民家カフェ風に!」
誰がいる訳でもない、誰に見せている訳でもないけど、一人で両手を前にして「ジャーン」とする。
うんうん、いい感じ。
めっちゃいい感じ!
何ならこの縁側、ちょうど南西向きだから、夕日だってパノラマで見えちゃうもんね。
カフェに行かずにカフェ気分が味わえるなんて、贅沢すぎる。
「本当ならお祝いに初コーヒーを決めたいところだけど、ちょっとタンマー」
言いながら、部屋の西側――畳の部屋に向かった。
そして。
「ふぃー……」
滑り込むように、うつ伏せになる。
畳が少しだけひんやりして、頬に気持ちいい。
畳特有のいい香りが、鼻孔を微かに刺激してきて、落ち着く。
「帰ってこれてラッキーだったなぁ。まぁ『収納』が空間魔法の系譜っていうのは、割とファンタジーではありがちだけど」
あの世界にいる人たちはその事に、あまり気が付いていないのだろうか。
……いや、もしかしたら気が付いていて、私と同じように帰ってきていて、そういう人が書いた小説なりマンガなりアニメなりが私の知識になっていた可能性も……。
少しずつ瞼が重くなる。
そりゃあそうだ。
そもそも軽トラに乗った家具を運び入れるだけで、それなりの運動量だったのだ。
その後、まさかの異世界に飛ばされて、ちょっとした冒険をした気分になって。
こんなの疲れない筈がない。
昼はとうに過ぎていて、「そういえばちょっとお腹が空いたかもしれない」なんて考える。
それでも私の三大欲求は、食欲より睡眠欲の方に傾いているみたいで――。
「っ、おい! 大丈夫か?!」
落ちていた意識が、そんな声によって少し引き上げられた。
ゆさゆさと誰かに体を揺さぶられる。
重い瞼を無理やり上げて、声の主を見るべく努めれば、ぼやける視界の中、私を抱き起している誰かのシルエットが見えた。
必死に呼びかけてきているのは、男の人の声。
ぼんやりとした視界に映るのは、少しずつピントが合って鮮明になっていく顔立ち。
尖った耳、口元に見え隠れする鋭い犬歯、そして現代日本には似つかわしくない、コスプレでしか見ないような騎士服。
それでもそんな事など気にならない程の、整った端正な顔立ち。
ハッキリとした目鼻立ちに、顔に影を落とす程の長いまつ毛。
肩から滑り落ちてくる長い髪は、何だか柔らかそうにしなやかで。
ボーッとする頭で理解する。
あぁ、これは――。
「あー、異世界の扉、戸締りするの、忘れてたぁー……」
こんな綺麗な顔の人、日本どころか現代に存在する筈がない。
それほどまでの、それこそ『幻想的』という言葉を景色ではなく誰かに対して使う事になるくらいの造形美を目の前に、私は思わず顔を両手で覆った。
幸野 ゆかり、二十六歳。
彼氏はおらず、別に欲しいとも思わない。
それでもこんな至近距離で異性――しかも超絶美の人に寝起きの顔をガン見されたら、私だって恥ずかしい。
「大丈夫だから、寝てただけだから、お願いだからそろそろ離して……」
居た堪れなくなって呻くように言えば、彼はハッとした顔になって、視線を明後日の方に泳がせて。
「……すまない」
言いながら、私を寝かせてくれる。
改めて自力で体を起こして、それから彼を見て――。
「あ」
彼の足元を見て言った。
「とりあえずそのブーツ、脱いでくれない? この家、土足厳禁なの」