第1話 ぬるっと異世界転移?
「っ、おい! 大丈夫か?!」
落ちていた意識が、そんな声によって少し引き上げられた。
重い瞼を無理やり上げて、声の主を見るべく努める。
ぼやける視界の中、私を抱き起し必死に呼びかける男の人の顔が見えて。
尖った耳、口元に見え隠れする鋭い犬歯、そして現代日本には似つかわしくない、コスプレでしか見ないような騎士服。
ボーッとする頭で理解する。
あぁ、これは――。
「あー、異世界の扉、戸締りするの、忘れてたぁー……」
眠気に逆らい発したその言葉は、日が傾きつつある広い古民家の室内に、少し間抜けに響いたのだった。
◆ ◆ ◆
時を戻して、半日ほど前。
私はある一件の古い日本家屋の前に立っていた。
「うん、相変わらず古い!」
腰に両手を当て家を見上げて、思わずそんなふうに笑ってしまう。
そもそもここは、田舎である。
一応これでも集落で民家は隣接しているけど、現代において『集落』という言葉を使うあたり、どの程度田舎かはお察しだろう。
私は今、Tシャツにジーバン姿で、何なら首にはタオルを下げている。
これでも一応、都会育ちだ。
その上普段ならなるべく楽な、締め付けの少ないダボッとした服を着ているような人間だ。
それがこんなある種のやる気に満ちた装いをして立っているのは、何を隠そう「今日は頑張るぞ!」という気持ちの表れだった。
「よし、やるか!」
言いながら、近くに止めていた軽トラに目を向ける。
そこには、おおよそ普通に暮らしていれば必要のない量の、テーブルとイス。
更に、ちょっとオシャレな小物が所狭しと詰まれていた。
実はこれ、個人で不動産屋さんをやっている友達が、「あるカフェが閉店したんだけどさぁ、内装全部置きっぱなしで。次に貸すにも『中身は要らない』って言われちゃってさぁ。捨てるのも手間がかかるんだよなぁ」とぼやいていたのを、「タダでくれるなら」と言ってもらってきたのである。
私はその時、ちょうど先日亡くなった田舎のお祖母ちゃんの家の遺品整理が終わって、親と「あの家、どうする?」と話していたところだった。
父方の祖母で、父は一人っ子。
祖父も既に亡くなっている。
「あんな田舎じゃあ、買い手もなかなかつかんやろお。俺も母さんも、仕事があるけんあっちには住めんし、たまに風を通しに行っちゃらんと家っていうのはすぐに朽ちるしなぁ」
ガワこそかなり古いけど、お祖母ちゃんのたっての希望で二年前くらい前に、一度耐震工事をしている。
マメなお祖母ちゃんだったので、こまめに掃除をしていたし、中身の劣化もかなり少ない。
風呂やトイレも現代らしくちゃんと水洗の綺麗なものだし、台所だってゴト新しい物を付けている。
まだまだ十分住めるのだ。
というか。
「むしろ和洋折衷な感じで、古き良きと現代の良きの融合、みたいな?」
内装を凝れば、ちょっとオシャレな古民家っぽくなるだろうなと思っていた。
子どもの頃から長期休みの度にここには家族で来ていたけど、社会人になってからは私一人で来たりもしていた。
少なからず土地勘もあれば、ご近所さんとも顔見知りだった。
その上いい家だし、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんとの思い出が詰まった家だし、朽ちていくのを放っておくのは気が引けた。
元々私は、パソコンさえあればどこででもできる仕事をしている。
ネットの電波さえ通ればどこにでも住めるし、お祖母ちゃんの家がそうなのは、調べるまでもなく分かっている事だった。
問題は、凝るために費やすべきお金が手元にない事と、切っ掛けが掴めずに思い切れなかった事だったけど。
「めっちゃ喜んでたなぁ、あの子」
小さく思い出し笑いをする。
「貰ってあげようか? タダでくれるなら」
「本当に?!」
私の手を、彼女は両手で強く握った。
大型ゴミを処分するためには、お金を祓わなければならない時代である。
どうやら捨てるだけ、手元に何も残らない物に費やす出費程むなしい物はないらしい。
そこには感謝の気持ちと同時に、「言ったからね? 逃がさないからね?!」という感情もあったように思う。
彼女は「全部持ってって!」と言っただけでなく、彼女は軽トラまで貸してくれた。
その上現地での積み込みまで、同僚の男手と共に手伝ってくれたのだから、本当に至れり尽くせりだった。
そうして持ってきた物に、改めて目を向ける。
トラックの上の家具たちは、温かみのある色の木で統一されていた。
黒いパイプで骨組みがされているけど、それもシンプルかつ少し武骨な感じがして、柔らかさと硬さのマリアージュというか、甘さと辛さがちょうどいい塩梅で私はなかなかに気に入っている。
「古き良き日本家屋との相性も良さそうなのが、ポイント高いよね」
そんなふうに呟きながら、大きく伸びをしがてら軽く準備運動。
そして。
「よし、じゃあやるか!」
そんな言葉で自分に活を入れる。
元来なまけもの気質な私である。
家について腰を落ち着けてしまったら、おそらく二、三日は作業が滞る。
こういう事は、先に纏めて済ませておくのが吉なのだ。
「せっせと運ぶぞーっ!」
言いながら、私はドンドン荷台の上の物を家の中に運び入れていった。
物を並べたり配置換えをしたりするのは、好きだ。
それこそ社会人になってから、世間から何年も遅れで某『村に移住し部屋を拡張しつつ近隣住民と交流したり拾ったりして、家具を集めていい感じに内装レイアウトをして遊ぶゲーム』に嵌ったりした。
実は今でも、たまにゲーム機を引っ張り出してきてはやっている。
人がゲームをしているのを横で見るのは好きだけど、自身はあまりやらない質の私が、唯一やるゲームと言っていいかもしれない。
物を整頓したり、並べて綺麗になったところを見た時に得られる達成感が、癖になる。
そんな人間が、大人になって運動を滅多にしなくなり、体力ゲージにそれなりの頭打ちを感じているとはいえ、熱中すれば。
「多分コレ、明日には間違いなく筋肉痛だぁ。ほら、軽トラは一週間のうちに返せばいいとはいえ、やっぱり今日の内に片付けちゃって正解だったよ」
作業開始から、約四時間。
私は最後の一つにまで、荷台の上の物を減らしていた。
筋肉痛になったりしたら、それを理由に数日間その場から動かなくなる自分の未来が見えるようだ。
そういう意味でも、やっぱり一気に片付けてしまうのはいい案だったに違いない。
そんなふうに思いながら、軽トラに積んだ最後の荷物、最後の椅子を荷台から降ろし、開けっぱなしの引き戸の中に運び入れにかかる。
玄関でサンダルを脱ぎ、板の廊下をドッドッと歩いていく。
廊下を抜ければ、そこには大きな居室空間が。
向かって左手側に台所と板間のリビング、右手側に先程襖を外して壁をなくした、畳張りの空間があって――。
「え」
昼下がりだった。
廊下を抜けた突き当たりはちょうど縁側になっていて、室内が埃っぽくなる事を嫌って窓を殆どすべて開け放っていた。
そこから見える景色は、山と田んぼと、畑と青空だ。
それを見て「これを置いたら、今日は天気もいいし、縁側に座って景色でも見ながら、ちょっと遅い昼ごはんのコンビニお弁当を食べよう」と、ちょうど内心で思った時だった。
一変、目の前が暗くなったのは。
……いや、何も真っ暗になった訳ではない。
ただ、開放的で日の光もよく入るあの家と比べれば、何だかジメッとして薄暗い事この上ない場所だったと思った。
だから落差で、一層暗く見えたのだと思う。
何が起きたのか、分からなかった。
思わず椅子を抱えたまま、目をパチクリとさせる事しかできなかった。
そこには仮装をした人たちがいた。
魔法使い、王様、貴族たち……。
そう、まるで西洋ファンタジーの中の住人のような。
それは人だけに留まらず、部屋の内装までかなりそれらしく、おあつらえ向きに足元には、なんと魔法陣らしき落書きまであった。