第四話 静寂の裏側
灰色の空が低く垂れ込め、冷たい風が草原を渡っていく。
タナは倒れた巨木のそばに立ち尽くし、白く浮かび上がる石碑の文字を見つめていた。
空気はひんやりと湿っていて、彼女の吐息が白く霧となって漂う。
「第五の転生者……最後の者」
その言葉が胸の奥で重く響いた。
首に刻まれた五本の線がじんわりと熱を帯びる。冷たい風に晒される肌とはまるで別の世界にあるような、不思議な感覚だった。
背後の草がざわめき、葉先がかすかに震える。
タナは振り返る。だが、そこにはただ深い緑の闇が広がっているだけだった。
遠くの地面に口を開けた洞穴から、青白い光がゆっくりと漏れ始めていた。
その光はまるで生き物のように揺らめき、風とともに彼女の胸の奥をざわつかせる。
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裂け目の前に立つルトは、薄暗い洞穴の中で炭の欠片を手に握っていた。
手のひらに黒い粉がこぼれ落ち、静かな空気の中でかすかな音を立てる。
彼は自分の首に目を落とした。そこには――何もない。
線は、もともと「存在しない」。
「こんなもの、いらないはずなのに……」
そう呟きながら、細い指で炭を取り、首に五本の線を描く。
まるでそれで自分が普通のひとりに見えるように。誰かと同じようになれるように。
「……気づかれなきゃ、それでいい」
ただ、首筋に伸びた黒い線は、少しずつ滲んで崩れ始めていた。
裂け目の光が強まり、冷気が身体を包み込む。
ルトは目を閉じて、小さく息を吐いた。
なにかを振り払うように、ぎゅっと拳を握る。
「壊したいんじゃない。…変えたいだけなんだ」
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タナは一歩、また一歩と裂け目の光に近づく。
草は踏まれるたびに微かに光り、風が彼女の髪をやわらかく撫でる。
耳に届くのは風の音だけ。
けれど、確かに――誰かの声が、聞こえた気がした。
「……ルト?」
思わず息をのむ。胸の奥がぐっと苦しくなる。
(どうして……ここに?)
声がした方向を見つめながら、一歩踏み出す。
けれど、そこには誰もいない。
ただ、光と風と草の匂いだけがあった。
「……そんなはず、ない……」
あのとき、自分で彼を置いてきた。
ついてこようとしたルトを、危険だからと、自分勝手な理由で拒んだ。
「……来ないでって言ったのに」
胸の奥に広がるのは、不安と後悔、そして……怖さだった。
なぜ今、彼の声がするのか。
どうして、ここに――?
「ルト……なの? ほんとに……?」
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裂け目の向こうで、青白い光が波打つように広がっていく。
タナがゆっくりと手を伸ばすと、光がまるで彼女の存在を確かめるように揺れた。
同じ頃、ルトもまた光に触れていた。
「……どうか、タナに届くな。間に合え」
彼の声は風にかき消され、それでもどこかに向かって届こうとしていた。
裂け目を挟んで、ふたりの影がわずかに近づく。
沈黙の世界が、それを静かに見つめていた。