第二話 静かな歪み
境界線を越えた先は、驚くほど静かだった。
風が吹いている。けれど、音がない。空は黒に近い灰色で、雲が裏返るように回転している。
タナは一歩、また一歩と足を進める。重力がほんの少し軽い。空気もわずかに冷たい。
草のようで草でない植物が足元を覆い、踏むと微かに光った。
「ここは……どこ?」
息が白く浮かぶ。返事はない。
けれど、感じた。自分が「見られている」ことを。
それは人ではない。形を持たない何か――この世界そのものの視線だった。
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一方、ルトは洞穴で目を覚ました。
タナがいない。置きっぱなしになったスカーフが、かすかに冷たくなっていた。
「……まさか、行ったのか」
ルトは立ち上がろうとして、崩れるように座り込む。
痩せ細った身体が、もう限界に近づいている。
それでも、目は鋭く、遠くを見つめていた。
「行くなって言ったのに……」
洞穴の壁の奥、誰も知らないもうひとつの小さな裂け目。
ルトはゆっくりと手を伸ばす。そこに、彼だけが隠していた“ある印”があった。
彼の首にも、五本の線が刻まれていた。
「もう、ここには長くいられないんだ」
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タナは歩き続ける。やがて見つけたのは、倒れた巨木に覆われた白い石碑。
そこには文字が刻まれていた。けれど――読めない。
ただ、視線を離そうとしたとき、文字のようなものがゆっくりと浮かびあがった。
「この先に進む者、第五の転生者にして最後の者――」
「……第五?」
タナは自分の首を触る。五本の線。その意味を、知らない。
でも、何かが確かに始まりかけている――そう直感した。
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遠く、洞穴の奥で、ルトの目にわずかに光が射す。
「タナ……もう、止まらないんだな」
そして、ルトは気を失いその場に倒れた。