□月星暦一五八五年七月〈散髪〉
□サクヤ
「はい、終わり!」
「いつも、助かるよ、ハールさん」
刈って貰った髪を触りながら、庭師のガードナーは露台から庭へと降りて行った。
庭師と言っても、植木の手入れだけでなく、菜園の管理など庭にまつわることは全般手がけるひとりである。
飼育担当のプレリーと二人で、屋敷の庭を作業し管理している。
「この館の人の散髪、みんなハールがしてるの?」
ガードナーを見送るハールにサクヤは声をかけた。
「あら、サクヤさま。そうですよ。わたしほど適任はございませんでしょう?」
ハールはレイナの侍女だったが、当初は髪係として雇われてた。
「サクヤさまも、毛先を整えましょうか?」
「そうね。お願いしようかな」
サクヤは自分の髪を触りながら答えた。
領主邸が逼迫し、使用人に暇を与えてからというもの、サクヤはろくに髪の手入れをしていなかった。
前髪くらいは自分で整えていたが、アミタの手を煩わせるのもと思い、枝毛は見ないふりをしていた。
伸ばしっぱなしだったと言っていい。
この屋敷に来て、質の良い洗髪剤等を使わせてもらえるようになって、少しづつ補修されている気はする。しかし、一度出来てしまった枝毛は切るしかない。
促され、座るとケープをかけられた。
「長くて綺麗な御髪ですね。今度結わせてくださいませ」
サクヤの髪を梳りながら、ハールが嬉しそうだ。
「女王様の髪結係として雇われたとのだと思ったのに、髪結より、結い上げているように見せるアクセサリー作りに頭を捻る方が多ございましたからね」
「それは、改めて聞くとなんだか申し訳なかったわね」
サクヤは苦笑した。
レイナが生涯短髪を貫いたのは、あの髪型が楽だし気に入っていたからだけではなかった。
『女だからこうじゃなければならないという世の中への抵抗』の意味も、実はあった。
王が自ら示す。その影響力は大きい。
半世紀近く経った現在では、好きな髪型を自身で選べるというのは、誰にでも許される自由の証になっている。
ささやかだが意味はあったようだ。
ハールの手許から、鋏を操る軽快な音が聞こえてきた。
さすがの手つきである。
「やっぱり上手ね」
「そりゃあ、これでお給金頂いていましたからね」
手を休めず、ハールが微笑した。
「昔は殿方の散髪を私がするなんて、思いもよりませんでしたよ」
男性の髪は男性の理髪師がするもの、という世の中だった。
「私が初めての髪を切った男性は、アトラス様だったんですよ」
「そうなの?」
「ええ。レイナ様が王様になられてわりとすぐ、アトラス様が半年位出かけてらっしゃったことがありましたでしょ?」
ユリウスの剣を探しに行っていた時期のことだと、サクヤはすぐに思い立った。
「帰ってきたばかりのアトラス様に呼びつけられましてね、半刻後にお茶会に出ろと言われてるからどうにかしてくれって言われたのですよ」
あの時のアトラスは、半年間伸び放題の髪に無精髭、埃っぽい外套という、なかなか凄惨な姿で帰って来た。
「たった一時間でよくここまで身綺麗にして現れたと、確かに当時思ったわ」
「あの頃は、わたしもまだそこそこ若い独身娘ですよ?風呂の準備をさせてる横で上はシャツ一枚のお姿のアトラス様。しかも自身はおヒゲを剃りながら言うんですもの」
見ちゃいけないものを見せられているような心地で、心臓がバクバクでしたよと懐かしそうな顔でハールは笑う。
「そういうとこ、あの人頓着しないわよね」
「本当に!」
特に上流階級の殿方なら、支度の途中を他人に、しかも異性になど見られたくはないものだろう。
だが、良くも悪くもアトラスは気にしない。
その辺の意識の低さは、本人の意識があろうがなかろうが、神官達に怪我を診られていた少年時代に起因するのだろうとサクヤは思っている。
いつの間にか、鋏の音が止んでいた。
「はい、終わりです」
ハールから声がかけられた。
指通りが良く、軽くなっている髪にサクヤは満足する。
「ありがとう、ハール。お話してたらあっという間ね」
「昔話が出来て楽しかったですね」
外したケープをはたきながら、ハールは眩しそうに微笑んだ。
何の違和感も無く話していたが、ハールが『レイナ』と会話していたのだと、今更ながらサクヤは気づいた。サクヤ自身も『レイナ』の気分で話をしていた。
周りには、こうして認めてくれる人がいる。
だが、肝心のアトラスは何も言わない。話題になるのを避けているふしがある。
ここでの生活は充実していた。
サンクに護身術や体術等を教わり、アトラスには剣術を学ぶ。こちらはレイナが習得しているから思い出して身体に馴染ませる感じである。
ハールや他の使用人から食事やお菓子を教わりながら作り、時には掃除も手伝って館の維持に貢献する。
竜に乗れる者はアトラスの他にも一人いたが、サクヤが加わることで買い出しなどが分担出来て早く済むと歓迎されていた。
望めばどこにでも行かせてくれる。させてくれる。
文句のつけようの無い環境である。
夕食は主人の意向でなるべく全員でとり、夜は用意された自室で眠り、サクヤは一人夢を見る。
以前の様に夢と現実の落差に泣くことは無くなった。
ここにはアトラスが居る。
サクヤの話をアトラスは聞いてくれる。
時には微笑し、時には痛みをこらえる様な顔をもしながら、懐かしむ眼差しで相槌を打つ。
だが、それだけだ。
アトラスの方から話題にすることは無い。
未だ埋まらない溝がそこにはある。
夢が進めは進展はあるのだろうか。
夢が終われば認めてくれるのだろうか。
もどかしい想いを抱えながら、サクヤの離島の館での生活は続いている。
閑話▶〈散髪〉
完