■月星暦一五七六年一月〈一悶着〉
□月星暦一五七六年一月末⑮〈後継者〉直後
蒼樹星から月星に馬車で帰ったアトラスとレクスが、首都アンバルに到着した時の話です。
月星首都アンバルの街門は、徒歩も馬車も入り混じって行列ができている大門と、特別な旅券持ちしか使えない、馬車が一台通るだけの幅しかない小門とに分かれている。
レクスとアトラスが乗った馬車は当然小門に向かった。
例え王子といえ、検問は免れない。
月星では基本、街を出る分には大したチェックは無いが、入るのは厳しくしている。
検問官は四十歳絡みの実直そうな男性だった。
「お帰りなさい、殿下」
レクスに旅券を返した検問官は、難しい顔をアトラスに向けた。
「旅券の偽造、あるいは他人の旅券を使ってのなりすましは重罪です」
「これは竜護星国主直筆の旅券なんだがな」
「アトラス殿下は御年五十六歳になられる方です。貴方のような若ぞ⋯⋯若い方の筈は無い!」
アトラスに指を向けて言い放つ検問官。
レクスの顔が青ざめた。
旅券が偽造である訳が無いのだが、見目に関しては反論の仕様がないのでアトラスも困った顔をした。
「この方の身許は私が保証する。この方は紛れもなく伯父上だ」
レクスが良い添えるが、検問官は引かない。
「ありえません。入門は許可出来ません。お引き取りを」
埒が明かない。
「君にとって、アトラスとはどんな人物なのかな?」
「王の弟君で、そちらのレクス殿下の叔父にあたり、女神の刻印を持つタビス様です」
「なら、タビスの証を見せれば納得するのかな?」
アトラスは右腕の袖を捲りあげて刻印を見せた。
「こんなものまで!なんと用意周到な」
「はぁ?」
レクスがぽかんとした。
「どうせ塗料で描いているのでしょう」
検問官は布を取り出して、ごしごしと擦りだした。
「痛いのだが」
「落ちないな。入墨ですか?」
この反応は想定外。アトラスは思わず笑った。
「大神官を呼んで来なさい。判別させれば良い」
「こんなことで、大神官の御手を煩わせるわけには……」
「大神官以外誰が言ってもお前は納得しないだろう。さっさと連れて来い!」
レクスが苛立ち混じりの声で命じた。
※
「長引きそうだ。先に行っていてもいいぞ」
「そういう訳にも行きません。叔父上には一緒に戻っていただかねば、私が父上に怒られます」
十年も帰らなかった身である。
レクスには門を入れなかったからという理由でまた姿を消されたらかなわない、とでも思われているのかもしれない。
入れないなら入れないで、竜を呼んで直接乗り入れるという手段がある。
アトラスとしては正直な所どちらでも良い。
小門をいつまでも塞いでいるわけにもいかない。
馬車は脇に止め、検問所の隣の小部屋にて待つことになった。
他の検問所所員は蒼い顔をして、お茶や菓子を持ってきては、平謝りしていく。
「現在の大神官は誰だ?」
「先日代替わりをしまして、プロト猊下です」
「プロトか!あいつ出世したなぁ」
名を聞いて、アトラスは膝を打つ。
数いる神官の名前を全員覚えているのかというレクスの問いに、
「プロトは俺の側仕えをしてたことがあるんだ」と顔を綻ばせた。
あれから三十年以上の時が経つ。プロトも四十歳台半ば。
早い方ではあるが、大神官になっていてもおかしくは無い年齢にはなっている。
※
やがて到着した大神殿《王立セレス神殿》からの豪奢な馬車から、大神官プロトは転がる勢いで降りてきた。
アトラスの姿を認めるや、高級な白い神職衣が汚れるのもかまわず叩頭した。
「お帰りなさいませ、アトラス様!!」
「プロト、大神官になったんだろう?ほいほい道端で膝をついちゃ駄目だろう」
苦笑いで立たせてやると、プロトは飛びつく勢いでアトラスに抱きついた。
「アトラス様、このプロト、ずっとお待ち申し上げていたのですよ。一刻も早く、アトラスにご報告申し上げたかったのですよ」
歳を重ねてもプロトは相変わらず犬っぽい。
ぶんぶん振る尻尾が見えるようだ。
「ああ、よく頑張ったな。おめでとう」
背を叩いてやり、やっと離れたプロトの顔は涙で潤んでいた。
「本当にタビス様なのですか?」
呆気にとられている検問官を、プロトはきっと睨みつけると、ダンダンと足音を立てて近づいていった。
「貴方ですか、タビス様を疑った上に足止めしているという無のぅ……無礼な検問官は!?」
「ですが、御歳が合いませんし……」
「そんなの、女神様の御威光を体現なさっているタビス様だからに決まっているでしょう!」
プロトはびしゃりと言い切った。
「あなた、お名前は?」
「ハルトと申します」
「ハルトですね。憶えました。後で神殿から厳重に抗議させていただきますからね」
続けてプロトは他の所員を呆れた顔で見回した。
「何をしているのです?タビス様がご帰還の時はどうするのかお忘れですか?」
ハッとした顔でバタバタと所員達が動き出した。
鐘が鳴らされ、紫と白に塗り分けられた旗が街壁の上に掲げられる。
ネウルスと神殿で決めたタビス帰還の合図である。
そういえばあった。
アトラス自身も忘れていた。
プロトは神殿からの馬車にアトラスを乗せたがったが、城に行かねばならないからと丁重に断った。
渋るプロトに、あとで絶対に大神殿《王立セレス神殿》に寄ると約束させられて、アトラスはやっと解放される。
城に向かう道中、沿道で馬車を拝む人達を眺めながらアトラスはため息をついた。
「俺一人の帰還で、とんだ大騒ぎだ」
「十年も帰って来ないからですよ。さすがに叔父上も悪い」
呆れた口調で、レクスにまで咎められてしまった。
アウルムかマイヤに、見た目について注意書きを旅券に一筆書いてもらおうとアトラスは心に誓った。
※※※
後に検問官ハルトは、大神殿から、タビスをぞんざいに扱ったとして三日間の奉仕活動が言い渡された。
レクスからは、王子二人を無用な手続きで煩わせたとして、三日間の謹慎を命じられた。
アトラスからは、勤務に忠実な姿勢を評価され、金一封が与えられた。
〈一悶着〉完