□月星暦一五四一年七月〈レイナが短髪な理由〉
□月星暦一五四一年七月㉔〈忠臣 後〉
の後あたり。アトラスが伏せっている時のエピソードです
□【ペルラ】
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ペルラが病室に訪れると、モースに絶対安静を言い渡されているアトラスは、目を閉じて横になっていた。
すっとのびた鼻梁。くっきりとした眉。男性にしては長めの睫毛。改めて見るとなかなか整った顔をしている。
顔色は良くない。
ほんの数日前に失血死寸前の大怪我を負ったばかりだから無理もない。
ペルラが枕元に歩み寄ると、アトラスは目を開けた。
眠ってはいなかったのだろう。ペルラを認識して、意外という顔をした。
「何?」
「あなたに謝罪を。ケイネス様がレイナ様にさせようとしたことは判っていたのに見過ごしたわ。その結果、あなたは怪我を負った」
「要らない。俺が勝手にヘマをしただけだ。あんたが謝る相手は別にいるだろう?」
「次の主はレイナ様と決めたわ。考えることを止め、見ぬふりをしてきた無責任は、彼女を支えることで償うと決めた」
「それで良いんじゃないか。レイナは喜んだだろう?」
ペルラは微笑った。
レイナと同じことを言う男に興味を覚えた。
「まだ何か?」
「レイナ様の髪が短い理由はあなたにあるそうですね」
レイナの短髪を気になっていたが誰も聞けず、ペルラが代表して問い詰めたのだ。
「自分で切った」という答えに理由は「邪魔だったから」。
レイナは昔と変わらず、嘘は下手だった。
渋るレイナから聞き出した答えが、「アトラスと喧嘩をして腹いせに断ち切って投げつけた」だった。
「俺が切れと言った訳でも、俺が切った訳でも無い。その後伸ばさなかったのはレイナの意思だ。俺に言われても困る」
アトラスのめんどくさそうな言動にため息が出た。
「女の髪を一体何だと思ってるんですか」
「何って言われてもな。長く伸ばしている男もいる。髪の短い女がいたって構わないだろう。本人は気に入ってるらしいぞ」
「長ければ応用の幅が広がるでしょう?それに、これからレイナ様には立場というものがあるんです。周りに奇異な目で見られます」
「女だろうが男だろうが、好きな髪型すればいいじゃないか。結い上げることに大して意味なんぞ、ないだろう」
レイナも似たようなことを言っていた。
「切ってみたら案外楽でね。別に良いじゃない。女だって好きな髪型にすればいいのよ」と。
明らかにレイナはこの男の影響を受けている。
良家の令嬢は幼い頃から入念に髪の手入れをするものである。
これからレイナは国主として対外的にも様々な対応をせねばならない。あんな少年のような頭では侮る者もいよう。
髪担当に雇われたハールが嘆いていた。
「では、レイナ様が髪を切った喧嘩の原因は何だったのか?お聞きしても?」
「レイナに聞けよ。俺にもよく判らん」
げんなりとアトラスはため息をついた。
「状況を伺っても?」
「あれは、あいつか十三歳か。疲労で熱を出したことがあって、知り合いを頼ったんだ。看てくれる人を紹介したら、怒り出してな」
具合が悪くて機嫌が悪かったのだろうとアトラスは言うが、そんなことでは喧嘩にはならない。
「その方は女性ですね?」
「そりゃそうだ。レイナの看病を頼んでいるんだぞ」
「何歳の方ですか?」
「えっと、アウラは当時十七歳、だったかな」
「アウラ様とおっしゃるのですか。どんなご関係で?」
「子供の頃からの知り合いだ」
「さぞかし美しい方なんでしょうね」
「そうだな。アウラは碧い瞳と栗色の髪が美しい、綺麗な娘だよ」
「そうですか」
大体察しがついた。
十三歳の子供にとって、十七歳は随分大人に見えるものだ。
その綺麗な見知らぬ女性が、当時のレイナが唯一頼りに思っているアトラスと親しげに話している。
それも具合の悪い自分の前でとくれば、怒りたくもなろう。
「だから『腹いせ』ね⋯⋯」
(この朴念仁!)
ペルラは心の中で毒づいた。
「おい、ペルラ。何を怒っているんだ?怖いんだが」
怒気が気配に出てしまったようだ。
レイナがアトラスに向ける眼差しには気づいていた。
ここは少し、レイナに代わって意趣返ししてやろうという気になった。
「どうして止めなかったのです?」
「どうしてって、いきなりだったから、そんな暇はなかった」
「その後も短いまま維持させて。そこは伸ばすよう説得しなさいよ。あなたが整えていたのでしょう?」
「本人が望むから、切ってやっていたんだ。男装の方が旅がしやすいって言うし」
「莫迦!その後のことは考えなかったのですか?」
今、城の中では合同葬儀に向けて準備が進められている。レイナの喪服を一から作る時間は無いから母親のセルヴァのものを直して使う。
肩幅や長さは合うが、胸の辺りは詰めねばならない。
葬儀はベールで髪を誤魔化せるが、その後の戴冠式はそうもいかない。
「別に、公用の時は鬘かなんかで代用すればいいだろう?」
「鬘や髢をつくるにもレイナ様の髪色では調達が難しいんですよ」
レイナの髪は一口に亜麻色とは呼んでいるが薄紅がかった、やや変わった光沢をしている。
しばらくねちねちと耳許で文句を言ってやったら、アトラスが音を上げた。
「わかった、わかったから」
アトラスは疲れた顔で部屋を見回した。
「俺の荷はあるか?」
寝台脇の椅子の上にあるのを見つけて持ってくると、アトラスに開けるように指示された。
「下の方に、緑色の巾着袋があるだろ。出してくれ」
袋の中から出てきたものに、思わずペルラは声を上げた。
「取っておいてくれたのですか!」
切り落とされたレイナの髪が、両端を束ねた三つ編みの状態で丁寧に布に包まれていた。
「欲しいのはそれだろう」
「気が利くじゃありませんか!」
素直にペルラは喜んだ。
まさか取ってあるとは思っていなかった。
「レイナがそれなりのお嬢さんなのは判ってたから、回収しておいたんだ。もう、いいか?あんたの声は傷に障る」
そう言って目を閉じるアトラスの顔色が悪くなっている気がした。
少し言い過ぎただろうか。
「感謝いたしますわ」
訂正しよう。
この男はちゃんと物事を考えている。レイナのことを見ていてくれている。
ペルラは上機嫌でアトラスの病室を後にした。
二章〈苛立ち〉でアトラスがライかに愚痴っているときに回想した場面です。