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タビス閑話集  作者: オオオカ エピ
十三章名無しの王女
15/21

[※]□月星暦一五四八年〈空色〉【メラン】

□メラン


 夏の暑さが、影を潜め始めていた。

 見上げた空はどこまでも高く、深く青い。

 

 その空の青は、私の心に深く残る後悔の色である。


 かつて私の傍には、この空の色をそのまま映したような青い瞳を持つ少女が二人いた。


 一人は仕える主人イディール・ジェイド・ボレアデス——王の娘だった。

 私は長年面倒を見てきた彼女を見捨てた。


 もう一人はサラ・ファイファー——同僚であり、友人だった。

 私は長年共に働いた彼女を見殺しにした。


   ※※※


 十数年前。


 私の父は、王に仕える文官だった。

 かなりの高官であった父は、通常なら私の様な侍女には知り得ない情報をもたらしてくれた。


『そろそろです。準備をしておきなさい』


 城の廊下ですれ違う時、渡されたメモにはそう書かれていた。


 やはりと思った。


 先日、王の甥、仕える王女の従兄弟が亡くなった。

 その父親である王の弟も亡くなったばかりだった。


 

 それにより、唯一の王位継承権を持つのが、私の仕えるイディール王女だけになった。

 人当たりは良くとも、甘ったれで何もできない世間知らずの彼女に、女王など務まるはずがなかった。


 万が一の時は、私はその王女に付き添い、一緒に神殿に入る手筈になっていた。


 王が討たれ、『万が一』が現実となった時。

 当初の予定通り城を共に出たものの、混乱の中で馬車に乗れなかったことをいいことに、私はその場から逃げ出した。


 状況は混乱を極めていた。

 ここで私が離脱しても、誰にも咎められまい。


 私に仕えよと命じた王は死んだ。

 もう、この無力な王女の面倒を私が見る必要がどこにある?

 私はもう充分尽くした。


 そう思ったのだ。


——魔がさした。


「次の馬車を拾います」


 そう告げたくせに、王女がどこに連れて行かれるのかを知ったくせに、私は別の方向へと足を踏み出した。


 あの後、王女はどうなったのか。

 ずっと棘のように引っかかってはいたが、私は確認することからも逃げていた。


   ※※※


 私はその日、リメールの軽食屋で遅めの昼食を摂っていた。


 その女性は木箱を抱えて入ってきた。 

 やけに姿勢がいいと思った。

 何かが引っかかったが、さして気にすることもなく私は食事を続けた。


「おや。ハルスの奥さん、こんにちは」


 店の女将が女性に声をかけた。


「女将さん、こんにちは。どんな感じ?」


 女将に応じる女性の声を聞いて、どくんと心臓が鳴った。


 私はその声を知っていた。


「なかなか好調だよ。来月は十本増やして貰ってもよいかも」

「嬉しい。助かるわ」

「お宅の塩、評判が良いよ。パッケージも可愛いからさ、ちょっとしたお土産ににもいいんだってよ」

「そういう需要もあるのね?」

「塩はあっても困らないからね」


 私は顔を上げて女性を確認した。 


 やはりまず、姿勢の良さに目が引かれた。

 私はその背中を知っている気がした。

 

「とりあえず今月分に三十本置いていくわ。空き瓶あったら回収するけど?」

「空瓶はそこの横においてあるよ」


 ハルスの奥さんと呼ばれた女性は、持ってきた木箱と空瓶の入った木箱を交換した。


 女性の青みがかった砂色の髪に心がざわついた。

 化粧っ気はなくとも美しい横顔に確信を持った。


 間違いなかった。

 私が見捨てた王女——イディール様だった。


「はい。これ代金」

「頂戴いします」 


 イディールは、実用一辺倒の綿のスカートに清潔な生成りのブラウスと革の胴着。使い込んで色の褪せた丈の短い外套を羽織っていた。


 逃げる時に着せた衣装を、こんなの着られないと捏ねた姿が思い出された。


 代金受け取りながら、一緒に渡された包みにイディールは首をかしげる。


「これは?」

「新作メニューさ。セルさんとお食べよ。お宅の塩を使って作ったんだ。後で感想聞かせとくれ」

「わぁ! ありがとう。嬉しい。いただきます」


 取り繕い、澄ましたお手本の様な笑みではなく、素直に喜ぶ顔に私は目が離せなかった。


 あのイディールが、こんなにも感情豊かに笑える女性だったのかと驚いた。

 

 硝子瓶の入った木箱に、受け取った包みも加えて抱えるイディールは、屈んだ時に落ちてきた髪を無造作に耳にかけた。

 

 腰下まであった髪は、今や背中の真ん中ほどしかない。それをスカーフで一つに括っているだけだった。


 時間をかけて櫛梳くしけずり、丁寧に結い上げ、ちょっとでも崩れると結い直させていた城での姿が、まるで嘘のようだ。


 城にいた頃よりも、明らかに生き生きと会話をし、店を出て行くかつての主の背を、私は呆然と見送った。



「女将さん、いまの人は?」

「ハルス商会の奥さんだよ。知らないかい? 『月の雫』って塩」

「最近、よく見るようになりましたよね」


 不純物が少なく、質が良いのでメランも買って使っている。


「若いのに偉いよね。旦那さんと始めた事業なんだって」

「旦那さん⋯⋯。そっか、ご結婚されたのね」

「そう。セルさん。元々塩の行商人だったそうだけど、岩塩の採掘権を買って始めた事業を、こうも安定させたのは奥さんの手腕らしいよ」


 かつて仕えた王女様と、話題の人物が、実際に本人を見たというのにどうしても結びつかなかった。


 私は礼を言い、食事代を支払って店を出た。


 店の前には、幌の無い一頭だての小さな荷馬車があった。

 荷台にはいくつもの木箱が積まれている。


 御者席には、垂れ目の金茶の髪の男性が乗っていた。



「サラ、それは?」

「女将さんから新作メニューのお弁当貰っちゃった」

「いいね。そろそろお腹が減ってきたところだ」


 サラ——イディールが呼ばれた名は、もう一人の空色の瞳の少女の名前だった。

『自分』の全てをイディールに与え、王女の影として死を選んだ少女。


 城から逃げたあの日、サラは王女の服を着て、時間稼ぎをすると私達を送り出した。


 私は彼女が何をするつもりなのかを察していながら、触れなかった。

 イディールにも伝えなかった。


 サラの叔母のミラは、イディールの弟の乳母だった。

 ミラは生後数日で弟王子を死なせた咎で処断された。

 王の直系の王子を死なせた罪は一族にも及ぶのが慣例だが、当時、産まれたばかりだったサラにはお咎めは無く、イディールと一緒に育てられることになった。


 ずっと一緒にいたサラは、おそらくイディールの影となることが役目だった。

 それが罰——サラが生かされていた意味。


 私達が逃げた後、程なくして王女イディールは自室で自害の報が流れたのだ。

 しかし実際は、本物の王女はサラの名でサラの戸籍で生き延びている。


 同僚のサラは文字通りその身の全てをイディールに捧げたが、私はただただ逃げた。



 私のあけすけな視線に気づいたのか、今は『サラ』と名乗る女性がこちらを向いた。

 青灰色そらいろの瞳と、目があった。

 形の良い唇が、笑みの形をとったのが判った。


 取り繕った笑みではない。そこには怒りも蔑みもない。


 純粋に、私の生存を喜ぶ笑顔だった。


 そうだった。

 イディールは悲嘆に暮れることはあっても、他人を恨む人では無かった。

 

 なぜこんな大事なことを忘れていられたのだろう。



「どうした、サラ?」

「⋯⋯知り合いが居た気がしたのだけど。気の所為だったみたい」


 サラと呼ばれた元王女は、馬車の御者席に乗り込んだ。



 私はゆっくりと踵を返した。

 声をかける資格も、必要もない。


 イディールはもう『仕えるべき王女様』ではなかった。


 ただ一人の、強く生きる女性だった。


 空は青く澄み渡っていた。

 私の内で淀んでいた影も、いつのまにか薄らいでいた。


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