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タビス閑話集  作者: オオオカ エピ
十四章 翡翠の残響
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□月星暦一五八六年二月 〈温泉地のチェス大会〉

□イディール


「この部屋には、昔来たことがあるの」


 高級宿屋として改築する前の、貴族の館だった頃のことである。

 部屋を見回して、思わず苦笑が漏れた。


「今の方がよっぽど趣味がいいわ。ゴテゴテと、どこもかしこも飾り付けられていてね。あそこには、大角鹿の首の剥製があったわ。狩りの一番の獲物だったとかで」


 イディールは暖炉の上を指さした。子供心に動物の生首にしか見えなくて怖かったのを覚えている。


「不思議ね。部屋の状態は覚えていても、館の主がどんな顔だったかは思い出せない。空っぽの笑みを浮かべてる口許しか印象にないわ」


「きっと、あんたの『肩書』にしか興味の無い人間だったんだろう」


 アトラスのやけに実感の籠もった言葉に、イディールは頷いた。


 当時、イディール自身ではなく、その後ろを見て話す人間のなんと多かったことか。

 そして、その事実に気づいてもいなかった、かつての自分を引っ叩いてやりたい。

 

 露台に出ると、アトラスも付いて来た。

 イディールは、左手にある大きな温泉保養施設を指さした。


「あそこにお城があったのは聞いてる?」


「話だけなら」


「まさか保養施設になってるとは思いもしなかった。設計した人は賢いわね」


 イディールも実際に家族で行ってみたことがある。


 中は男女それぞれの大浴場。家族で入れる小さな浴室。湯着着用での共用の浴場。足湯や蒸気風呂。

 風呂以外にも食事やお茶を楽しむことができる休憩所。按摩マッサージや藻草《お灸》で身体を解すサービスなど、療養目的だけではなく温泉を一日中楽しめる場所にまで昇華させた施設になっていた。


「産まれた場所をあなたに見せてあげられないのは残念だけど、今の方がはずっとあの場所は役立っているわね」


 口に出してみると、本当にもうとっくに気にしていないのだと実感する。


 振り返って見たアトラスの方が痛みを堪えるような顔をしていた。


(気になんてしなくて良いのに……)


 なにもかも、もう五十年も前の話。

 故郷がこんなに賑やかな街であることが、イディールは純粋に嬉しく思う。

 

 アトラスの表情には気づかなかったふりで、露台の右側に目をやった。


 こちら側は緩やかに傾斜する街並みが一望出来る。

 統一された瓦屋根が更に夕陽で赤味を帯び、白壁に映えて美しい。


 大通りの傍らには、温泉の引かれた水路が通っており、足湯をしながらおしゃべりをする人達の姿が見える。


 温泉は、街の憩いにも一役買っているのが伺える。

 温泉という要素は街の活性化になると活用した設計者は先見の目があったのだろう。


「活気があって、良い街でしょう?」

「そうだな……」

「こうまでしてくれた、あなたのお兄さんには感謝しかないわ」

 そう微笑むと、アトラスははっとした顔をしてやっとぎこちなく笑みを浮かべた。


   ※


「しかし、あんたが塩の商売人になっていたとは。想像もつかなかったよ」


「そうよね」


 塩湖でセル・ハルスに出会わなければ、携わることも無かっただろう。


 塩湖に行くきっかけは、レイナの一言だった。


 何がどう転ぶか、人生は分からないものである。


「『月の雫』って商標の岩塩、知らないかしら?」


「もしかしてこれのことか?」


 アトラスは懐から小さな巾着袋を取り出した。


 中から出てきた片手に収まる直方体の塩塊の一面には、丸に雫の形が型押しされている。


「それよ。そういえば、こんなものは出来ないかって、サイ・ド・ネルトさまが持ってきた仕事だったわね」


 サイに、持ち運びやすい形の塊の塩が欲しいという依頼が王宮からあったのだと言われた。


 王宮の依頼に、ただ大きめに砕いた岩塩をそのまま渡す訳にもいかないと、釜炊岩塩を型に入れて圧縮し商品化したのだ。


 後に、汗をかく労働者が、水とともに摂取するのに持ちやすく、粉砕岩塩より水に溶けやすくて良いと反響があり、売れ筋商品の一つとなった。


「へぇ。あんたのところの商品だったのか。旅の最中にあれば便利だと、サイに言ったことがあったな」


 アトラスの発案だったのかと思うと、なんだか嬉しくなる。


「あなたがうち《ハルス商会》の塩を使ってくれたおかげで、随分儲けさせてもらったわ」


 タビスさまさまね、とイディールは微笑した。



「どこでサイと知り合ったんだ?」


「あなたと別れた島ね、客船が運航していなかったのよ。商船に乗せてもらうしかなくて、運良く竜護星の旗印の船が停泊したからお願いしたの。その相手がサイさまだったというわけ」


 裏書きのおかげですんなり乗せてくれたわと、イディールはアトラスを見る。


 アトラスの一筆は、『御守り』どころか『高額当選券』位のありがたみがあった。

 どれだけご利益があったか分からない。


「ありがとう。あなたの『一筆』には随分助けられたわ」


「あんたの役に立てたなら良かったよ」


 月星におけるタビス効果は、妙なところでも《神官相手でなくとも》作用するんだなと、アトラスは苦笑気味である。


「つまり、竜護星での岩塩の販路はサイの伝手ってことだろ?『ファルタン』をよく説得できたな」


「それは、サイさまとチェスでの勝負に勝ちましたから」


「マジか!俺、サイにチェスで勝ったことなんてないぞ?」


「あら?」


 イディールは口角を上げた。


「なら、私の方が強いのね」


 サイとは長い間チェス友達だった。商談の度に、終了後は『羽魚亭《アンナの店》』でチェス大会になっていたものだ。

 通算で二勝、イディールの方が勝っていた筈だ。


「くっ……。あとで勝負をしよう」


 宿屋には、カードやチェス盤といった遊具の類は、大抵用意されている。


「喜んで。まあ、私が勝つでしょうけどね」

 

「言ってろ!」


  ※※※


 滞在中にアトラスと五戦した。

 結果は三勝一敗一引分でイディールに軍配があがった。




 因みにイディール対アウルム戦は二勝二敗一引分。


 イディール対サクヤはイディールの全勝だった。


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