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タビス閑話集  作者: オオオカ エピ
九章 後継者
10/21

[※]●月星暦一五六五年十月〈前髪〉●アトラス独白

●アトラス独白


 レイナが逝ってから五年。

 

 喪失の痛みに気を取られていた間に、私の身体は時間の流れから切り離されていた。


 否。


 レイナが病み衰えていくよりも前から、既に始まっていたのだろう。

 でなければ、年齢が合わない。


 あの頃は自分のことが疎かになっていた。


「随分散髪していない気がしますね」


 従者のサンクに指摘されて、初めて気づいた。

 私は、髪どころか、爪さえもいつ整えたのか思い出せなかった。



   ※※※


 七、八年切っていない前髪は目元を隠す位にしか伸びていない。


 月の大祭に出席するにあたって、流石に見苦しいと後ろは整えてもらったが、鋏を入れたのは五年ぶり位だろうか。


 レイナが逝ってから初めてだったと思う。


 大聖堂での神事を終え、城で行われる宴に滞りなく進行は移った。


 参加はするものの、始まって早々に人目を避けるように露台バルコニーに出た私は、窓越しに会場を伺った。


 五十歳間近のアウルムの顔を見ながら、毎朝鏡に写る自分の顔を思い浮かべる。


 限界だと思った。


 かつて、色は違えど双子のようにと形容された自分たちだったが、隔たりがあり過ぎる。


 客観的に三十歳前後にしか見られない見た目で、四十五歳は言い張れない。


 身体の刻を止められたという実感が、私の心に暗い影を落とす。


 こんなことが出来る者は、一人しか思い浮かばない。

 月明かりの青白い光は、否が応でもあの、人を超越した男の青銀の髪を思い起こさせた。



 この城を、私は一度は逃げ出した。

 もう、戻れない場所だと思っていた。


 だが兄は、いつでも戻って来られる場所にしてくれた。


 次は婚姻という形で去りはしても、ここは故郷だった。

 ちゃんと、自分の居場所になっていた。


 その筈だった。


 胸の中に渦巻くのは、恐らく怒り。

 やり場の無い感情を抱えて、私は満月を睨むように見つめながら、葡萄酒ちびちびと口に含んだ。



「こんな、ところでどうした?」


 突然、背中にかけられる声。

 振り返らずとも誰だかなんて判る。


 どこにいても、アウルムは私を見つけ出す。


 昔からそうだった。


「月を見ていただけですよ」


 月を背に、観念して私は兄を振り返った。


 部屋の灯りに背にしたアウルム。

 お互い逆光の中、向かい合う。


 柔らかくアウルムが微笑むのが判った。


「お疲れ、アトラス。今年も良い舞だった」


 良いわけが無い。

 指先まで神経が行き届いていなかった。

 キレも無かった。

 奏上した祝詞も上の空。


 我ながら無様極まりないなものだった。


「次も楽しみにしている」

「⋯⋯」


 その言葉が、胸に刺さった。

 私は「はい」と言う事ができなかった。


 いつもの笑みでやり過ごせばいい。

 頭では判っていても、表情を作ることが出来なかった。


 何を言っても、アウルムの深い眼差しを前に、見透かされそうな気がして怖かった。

 

 もう、私はもう此処には来られない。


「ありがとう、兄上。⋯⋯私は、もう戻りますね」

「ん? そうか。お休み」

「おやすみなさい⋯⋯」


 語尾が震えないようにするのが精一杯だった。

 気遣う視線に気づかなかった振りで、私は兄の横をすり抜ける。


(兄上。私の金色の王。さよなら)


 背中に視線を感じた。


 振り切るように会場を足早に抜け、廊下に出たところで、走って来た誰かとぶつかりそうになる。


「あ、ごめんなさい!」

「⋯⋯レクス殿下」 


 蜂蜜色の少年が私を見上げていた。


「殿下。廊下は走っちゃいけません」

「ごめんなさい、叔父上」


 しまった、という顔をする少年を、私はじっと見つけた。


「殿下、月星を、陛下を頼みますよ」

「叔父上⋯⋯?」

「おやすみなさい、殿下」


 その後は誰ともすれ違うことはなかった。

 私は足早に大神殿の自室に戻った。


   ※


 翌朝——もう昼に近いが、私は食事の準備をしてくれる従者のサンクに声をかけた。


「サンク、あとで前髪を整えてくれないか?」


 サンクが息を飲んだ。


「よろしいのですか?」


 私が十年以上ほぼ歳をとっていないことも、伴い髪が伸びにくいことも、従者のサンクは知っている。

 変わらない顔を隠そうと、私が前髪を伸ばしていたのを、サンクは察している。


「うん。もういい」


 私は断言した。


「わた——俺はもう、ここには来ない」


 俺の決意にサンクは痛ましそうな顔を浮かべつつ、頷いてくれた。


   ※


 サンクが前髪を整えてくれている間、俺はずっと目を瞑っていた。

 一段と慎重に鋏を操っているのが伝わってくる。


「終わりました」


 やがて、かけられた声に目を開いた。

 サンクが手鏡を差し出してくれる。


 信用していたが、確認をする。

 勿論、長さに問題はない。


 客観的に見ても、三十歳前後にしか見えない顔が皮肉に満たされる。


 レイナは気づいていたのだろうか。

 ふと気になった。

 気づいていたのなら、それはなんて残酷な仕打ちだろうか。


 散った髪を窓辺で叩いてきたサンクに礼を言うと、俺は身支度を始めた。


「すぐに出られますか?」

「ああ。兄にも大神官にも会わない。そのまま行く」

「わかりました」


 俺は大神殿の中庭に直接竜を呼び、サンクを乗せて浮上した。


 旋回する竜の背から、王城を、アンバルの街を見下ろした。

 遮るもののなくなった視界に映るのは、祭りの余韻と活気に溢れる故郷の街並み。

 今の俺には、まるで手の届かない幻のように遠い。


「さよなら、兄上」 

 

 サンクに聞こえないようにそっと呟いた声に反応するように、竜はアンバルに背を向けた。


    ※※※


 それから、十年間。

 俺はこの街(王都アンバル)に足を踏み入れなかった。



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