□月星歴一五八六年二月〈祖母譲り〉
□フィリア
「フィリア!」
馬車から降りたフィリアを、宿屋のロビーから見ていたらしいフィリアの、母のマレーアが飛び出してきた。
「フィリア、あなたひとりだけ? おばあちゃんは?」
「神殿の人に名指しで探されて、おまえ迄連れて行かれるし、なにがなんだか」
マレーアの後からでてきた次兄のサラートも安堵と困惑の表情で問いかける。
「なんでタビスさまがおばあちゃんを探すの?」
「それはね!」
勿体ぶるように言葉を切って、フィリアは自分を指差した。
「じゃーん、わたし、明日の記念式典で花を渡す係に選ばれちゃいました!」
「「はぁ??」」
マレーアとサラートの声が見事に重なった。
フィリアが乗ってきた馬車から降りた、砂色の髪に苔色の瞳の男性が近づいてきた。
優雅に一礼して口を開く。
「私はルネ・アンバー・ブライトと申します。叔父達の急な呼び出しに、お騒がせして申し訳ありません」
「ブライト……さま……!?」
この国でブライト姓を名乗るのは、前王の妹アリアンナが嫁いだハイネ・ブライトの直系しかいない。王家の色を名前に賜り名乗る、王族の縁戚である。
「じゃ、じゃあ、叔父って、まさか……」
ルネが叔父と呼ぶ人物に思い当たったらしいマレーアが青褪めた。
「ホントにタビスさまからの招集だったって言うの?」
「今、この人『達』って言ったよ。『達』って言うことは、もう一方は……。おれ、腰がぬけそうなんですけど! なんでばあちゃんが?」
サラートの声も震えている。
「おばあちゃんね、若い頃タビスさまと会ったことあるんだって。さっき、中央広場でたまたま会ったんだよ」
フィリアが、茫然としている母と兄に説明した。
「明日の式典のお花の係の人が一人足りなくなって、急遽手配しなきゃならなきゃってなったんだって。それで、タビスさまが、おばあちゃんと一緒に居たわたしのことを思い出して、頼もうって話になったんだって!」
《《そういう》》話《理由》になった。フィリアだけでは説得力が無いので、ルネが同行してくれている。
「わたしの名前が分からなかったから、おばあちゃんの名前で探したんだって」
「そうなのです。朝方は、説明不足で驚かせてしまい、大変失礼致しました」
ルネの口調は、ゆったりと深い。
ルネは持参してきた書簡を母に手渡した。
大層上等な紙に、紫の封緘にはタビスの印。
母は震えながら受け取り、封を開いた。
フィリアが粗方話したことが、アトラスの筆跡で記されている。
書簡の最後にはアトラスの署名に加え、アウルムの署名まで入っていた。
「王様まで……」
正しくは前王だが、月星の王様といえば、三年程前に退位したアウルムの印象の方が強い。
蒼くなったり、白くなってりと忙しい母と兄の百面相を楽しんでいたフィリアの横で、ルネが追い打ちをかけた。
「書面にもあったと想いますが、お詫びも兼ねて、宿はこちらで用意致しました。どうぞ、お二人も一緒にいらしてください」
「そ、そんなこと言われても」
「そうだよ、服もないし」
声が上ずるマレーアに、顔が引きつるサラート。
そんなに動揺する理由がフィリアには判らない。
「素敵なお宿だよ。ご飯も美味しいんだって!スイーツも絶品なの」
「フィリア、お前、図太いなぁ」
あんぐり口を開けてサラートが呆けた。マレーアが笑い出す。
「我が家で一番おばあちゃんに似てるだけあるわ」
「えー!? おかあさんの方が似てると思うけどな」
フィリアは理由がわからず、首を傾げる。
「そうだ。おばあちゃんといえば、これ、預かってきたんだ」
フィリアはイディールからのメモを、二人に見せた。
『ルネさまを困らせるんじゃないの! つべこべ言わず、さっさと荷物をまとめて、こちらに来なさい!』
絶対ごねるから、見せなさいと言われていた。
こんな時フィリアは、祖母が預言者なのではないかと思うことがある。
※
景雲閣で出迎えたアトラスにかちこちになって挨拶をした母と兄を温かな目で眺めながら、フィリアは、用意してもらった『二一七号室』に二人を案内した。
部屋の窓辺には、イディールが一人佇んでいた。
夕陽を受ける横顔は、歳を重ねていてもどこか美しい。
「おかあさん!」
説明してと、すごい剣幕でマレーアはイディールに詰め寄った。
「仕方がない。とうとうこれを見せる時が来ちゃったか」
イディールが懐から取り出したのは、小さく畳まれた『サラ・ファイファー』の身分証明書。
その裏側には二人の人物の署名と一筆が記載されていた。
「な、んで、こんなものを!?」
「さっきの書簡と筆跡が一緒だよ。本物だよ、母さん」
絶句するマレーアの横で、サラートがアトラスの署名を見比べて青褪めた。
「おばあちゃん、昔、竜護星のお城で女官をしていたんだって」
イディールの視線を受けて、フィリアが説明する。
「退職時に、餞別に書いてもらったのよ」
イディールが補足した。
これ以上は踏み込むなという気配に気づいた母が、黙り込む。
「これ、今も有効なの?」
「残念。もう、ハルスを名乗ってるから無効よ」
使う気も使わせる気も無いと、イディールが妖艶に口角を上げる。
貫禄の笑みに、サラートが一歩後ずさった。
(これは『王女様の微笑み』だったのかぁ)
イディールの微笑にたじろいだ人間を、フィリアは今まで何度も見てきた。
今や秘密を知ったフィリアは、妙に納得して一人で頷いていた。
————————————————————
マレーア︰潮
サラート︰塩辛い
フィリアの図太さが判る一話になったかと