□月星暦一五四一年〈痩せ我慢〉
後から本編に組み込んだ閑話集。
見落とし防止にこちらにも作りました。
内容は変わりません。
〈継承者〉直後のエピソードです
□ハイネ
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「じゃあお大事に」
「おぅ!」
レイナが退出し、扉が閉まった。足音が遠ざかっていく。
「行ったか?」
「はい」
モースの返事を聞くや、アトラスの身体がぐらりと揺れた。
慌てて身体を支えるモース。
ハイネも、背中に挟んでいた枕を拭き取って、アトラスが横になるのを手伝った。
アトラスの息遣いが荒い。
先ほどまで普通に話していたとは思えないほど、酷い顔色。
額には油汗が浮かんでいる。
「どういうこと?」
「まだ起き上がっていられる身体じゃないのですよ」
ハイネの質問に、苦りきった表情でモースは応えた。
「まったく、無理をなさって……」
「こんなの、無理のうちに入らない。それに、痛みには慣れている」
「そんなものに慣れる人なんていません!」
モースがピシャリと言い切った。珍しく怒っている。
「貴方は死にかけたのです。自覚を持って下さい。しばらく絶対安静ですよ」
ふふっと笑みを漏らしてアトラスは目を閉じた。
「俺の、痩せ我慢ひとつで、あいつの気持ちが楽になるなら、安い、もん、さ……」
「アトラス?」
「眠ったようです」
モースはため息をついて患者衣を捲り上げた。
包帯には新しい血が滲んでいる。
アトラスの身体には、他にも古い傷痕がか見えた気がしたが、ハイネが把握する前にモースは衣を戻した。
血の気の引いたアトラスの白い顔に、呆れた視線を落としてハイネは口を開いた。
「一体、どういう育ち方をすれば、体に嘘なんてつけるんだ?」
「痛みを悟られないように過ごす日常が、この方にはあったということですよ」
眉根を寄せて、モースが呟いた。
「おいたわしい……」
「じいちゃん……?」
「いえ……」
ハイネの呼びかけにモースが動揺した。失言だったという顔。
どういうことか尋ねようとして、モースのそれを許さない気配にハイネは押し黙る。
レイナを連れてきた月星人。
名はアトラス。
相当な剣の使い手らしい、というくらいしか今のところ、この男の情報は無い。
なんとなくだが、祖父は彼が何者か知っているのでは、とハイネは思った。
アトラスに対する態度がやけに丁寧な気がする。
だが尋ねても教えてはくれないだろう。今のやりとりからも察せられる。
(くそっ!なんなんだ、こいつは!)
こんなカッコいい痩せ我慢見せられちゃ、レイナが頼りにするのも解る気がして、面白くない。
ハイネはもやもやするものを胸に抱いて、病室をあとにした。
〈痩せ我慢〉完
□月星暦一五四一年七月㉒〈継承者〉の直後
□月星暦一五四一年七月㉓〈忠臣 前〉の前