1.崖下での出会い。
「アメリア様が国外追放なんて、おかしいです……!」
「でも、王子の決定は揺るぎそうにないわ」
「陛下はなんと仰っているのです!?」
馬車の用意がされる最中、私のたった一人の従者であるニアは涙目で叫んでいた。柔らかな栗色の髪、黒の円らな瞳。小柄な修道服姿の彼女は、拳を震わせて訴える。
そんなニアに、私は残念な報告をすることになった。
「陛下は病に倒れておられるし、とてもお話しできる状態ではないの」
「そんな、それは横暴ではないですか……!?」
とはいえ、現在の最高決定権の保有者はリオン王子。
彼が私を国外追放と言ったのだから、それはもう覆しようがないのだろう。聡いニアのことだから、それは理解した上で感情の行き場を失っているのだ。本人はきっと否定するだろうけど、私の代わりにそうやって怒ってくれる友人の存在は嬉しくて仕方ない。
彼女がいるからこそ、私は次に目を向けることができた。
「きっと、ニュクスもいい場所よ。なにせ、花の都と呼ばれているのだから」
「……身元の保証は、たしかハウンズ様、でしたか?」
「えぇ、年の離れた陛下の弟君ね。いくつくらいだったかしら……?」
「もし、その方に見放されたら? どうるすのですか?」
「うーん……」
話題を逸らすこちらに、ニアは質問を繰り返す。
しばし考えて、私は一つ思い切ってこのように答えたのだった。
「きっと、大丈夫! 生きていれば、どうにかなるわよ!!」
――という会話が、二日前。
私は王都から遠く離れたどこかの崖下で、ぼんやりと膝を抱えていた。雨がぽつぽつと降ってきてはいるが、ちょうど良く洞穴があって濡れるのは避けられている。
それでも気温の低下で指先がかじかむのは、どうにも耐え難かった。
「あー……大見得切ったのに、まさか馬車が転落するとはね……?」
馬車の馭者ともはぐれ、孤立して約半日ほど。
私は正直なところ、途方に暮れていた。旅のさなか、このようなトラブルに巻き込まれるのはさすがに想定外。リュクスについてからのことばかり考えていたから、計画などはいったん練り直し、という状態だった。しかし何はともあれ、空腹になる前に食糧を確保しないと……。
「……あ、雨が酷くなってきた」
そのタイミングで、今まで霧のようなものだった雨が本格化した。
私は思わず苦笑しつつ頬を掻いて、どうしたものか、とまた膝を抱えて考える。
すると、そんな時だった。
「あら、可愛らしいお客さんね?」
同じく雨を避けるためなのか。
あるいはこの洞穴の先住なのかは分からないけど、二匹の可愛らしい小動物が飛び込んできた。不思議な色合いをしたふわふわな毛並みに、微かについた雨粒を舐めとるその子たちの名前は分からない。この地域にだけ生息している種族、だろうか。
私の視線を訝しんだのか、僅かに身体の大きい方の子が威嚇してきた。
もう一方を守るようにしているから、兄妹なのかもしれない。
「あ、ごめんなさい。私はなにもしないわよ?」
と、優しく声をかけてみたけど。
それが伝わるのなら、苦労はないという話だった。お兄さんは震える大切な妹を守るようにして、ずっと警戒を払っている。そんな様子に、私は少しばかりの違和感を覚えた。
「もしかして、その子……怪我してるの?」
そして、今の状況をはっきりと理解する。
この子たちはいま、私よりもずっと危機的な状態だった。このまま放置されてしまえば、命も危ういかもしれない。そう考えたら、いてもたってもいられなかった。
私は深呼吸をして、お兄さんにこう伝える。
「もしかしたら、だけど。私なら貴方たちを助けられるかもしれないから……!」
そして、静かに歌を口遊むのだ。
教会で幾度となく、楽しく歌ってきた讃美歌を。
空模様に反して心が晴れ渡っていくのを感じながら、私は歌い続ける。祈るように、願うように。目の前の小さな命の灯火が、雨粒に消されないようにと。
そのような不幸があるのなら、私がすべて取り払ってあげようと。
お腹の底から響く歌声。
洞穴の奥へと向かい、跳ね返り、まるで教会で遊んでいる日々のようだった。
『キュ、キュキュ……?』
そして歌も終わりへ向かう頃合い、妹さんの様子に変化が起こる。
痛そうにしていた前脚を見つめたかと思えば、その場で力強く立ち上がったのだった。お兄さんはそんな彼女を見て驚きつつ、私と妹さんを交互に見つめる。
どうやら、私の歌は『動物にも』効果があったらしい。
「……よかった。少し、不安だったけど」
以前に、怪我をした大工の棟梁さんが私の歌を聞いて楽になったと、挨拶にきてくださったことがあった。当時は嘘か本当か分からなかったし、眉唾ものだったので笑って流したのだけど。
どうやら、彼の話は真実のようだった。
そしていま一か八かだったけど、上手くいって気が緩んだ。そして、
「くちゅん……!」
今度は私が、ちょっと危ない状態になったらしい。
くしゃみと同時に、背筋に寒気がやってきた。もしかしたら微かながらも濡れた服を着ていて、風邪を引いてしまったのかもしれない。これは、少しマズいかも。
「あ、あはは……どうしようかな?」
とりあえず腰を落ち着け、体力の消費を抑える。
身体の熱を逃がさないように気を付けつつ、考えていると……。
「あれ、貴方たち……?」
怪我から回復した兄妹が、心配そうに私の傍にやってきた。
そして、まるで気遣うように身を寄せてくる。
「もしかして、温めてくれるの?」
困惑しながら訊ねると、彼らは短く鳴いて懐に収まった。
もふもふとしたその身体には十二分に熱があって、冷え切った私を芯から温めてくれる。
「……うん、ありがとうね」
それに感謝して、私は静かに目を閉じた。
さすがに少し疲れてしまったのだ。
でもきっと、これなら夜は無事に越えられそうだった。
◆
「歌声が聞こえたというのは、こちらで間違いないか?」
「は、はい! 本当です、公爵様!!」
――アメリアが眠りについてから、数刻が経過して。
馭者を務めていた者が、一人の男性を連れて崖下へとやってきた。
銀色の長い髪に、精悍な顔つきに相応しい鋭い金の眼差し。細身ながらも無駄のない筋肉がついているであろう、公爵と呼ばれた彼は急ぎ足に前へと進んでいた。
「す、すみません。あっしが上手くやっていれば……」
「気にするな。いま大切なのは、聖女様の安全を確かめることだ」
「……へ、へい!」
そうして、間もなく二人はあの洞穴にたどり着く。
人影を見つけた公爵は、ぬかるみで衣服が汚れるのを気にもせずに駆け付けた。そしてアメリアの姿を認めて、思わず息を呑むのだ。
「ま、まさか……!」
「こ、こりゃ……たまげた!?」
遅れてやってきた馭者も驚きに声を上げる。
何故ならそこにあったのは、アメリアの他に二匹の――『聖獣』の姿だったのだから。ニュウロと呼ばれる彼らは伝説や書物にのみ存在し、人前に姿を現すことはおろか、人と身を寄せ合うことなど決してあり得ないとされている、まさに幻とも呼べるものだった。
そんなニュウロがいま目の前で、しかもアメリアと身を寄せ合って眠っている。
公爵は息を呑み、その場に片膝をついて頭を垂れて告げるのだった。
「お迎えに上がりました。聖女、アメリア・リステンシア様」
――ニュクス領主のハウンズ・エルタ・リュクセンブルク。
彼はあどけない表情で眠る少女の姿を見て、優しく微笑むのだった。
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