第7話 作戦決行
二宮君の引っ越しまで、残すところあと五日。
もうなりふり構っていられない状況で、恭子たちは練りに練った最終作戦を開始した。
部活で忙しい恭子の代わりに、ミースケが神社へ出向き、トラオと共に社殿の中へと潜り込んだ。
「トラオ、上手くやれよ」
「わかってるって。計画どおりにやるさ」
二匹がしばらく社殿の中で待っていると、そのうちに黄色い通学帽にランドセル姿の山田風香が、玉砂利を鳴らせて現れた。
そして、今日も学校帰りに参拝に現れた風香に、まずはトラオが神様のありがたいお告げを与えた。
「えー、オホン、娘よ、今日はお前に有難いご神託を授けよう」
「ゴシンタクって何?」
「貴重な助言じゃ。心して聞くがよい」
トラオは社殿の中から、格子越しに風香の様子を覗き見ながら計画どおり話を続けた。
「そなたの願いを成就するため、あの品のあるトラ猫の他に、助っ人を用意した。明日ここへ来てから、その者たちと合流し、行動を共にするが良い」
「助っ人って誰?」
「この前ここに来ておったあの猫を連れておった娘だ。わしが夢枕に立って、そなたの願いを手助けするよう頼んでおいた」
「あのお姉ちゃん? 何だか頼りなさそうだったけど」
言いたい放題だ。これもチビッ子の特権なのだろうが、誰かれ無しに敵を作る奴だった。
「とにかく、明日もここへ来るが良い。話はそれからだ」
「あのさ、申し訳ないけど、明日は放課後、体育委員会があるのよ。そんで、帰りに友達の家へ寄ってゲームする予定だから忙しいわけ。そうゆうことは、前もって言っといてくれないと」
「ぬぬぬ……このガキ……」
トラオは何とか癇癪を押さえようと、歯をギリギリ言わせながら肉球を力いっぱい握りしめた。
そんなトラオの猫背の背中を、ミースケはポンポンと叩く。
そして癪に障るチビッ子に、トラオは頭の中で罵詈雑言を浴びせかけた。
調子に乗るんじゃねえ! 誰のおかげでこんなメンドくさいことしてると思ってんだこのクソが! 俺様はなあ、そんじょそこらのくだらねえ神様とはわけが違う特別な存在なんだよ! てめえみたいな身勝手なガキの願いを聞いてやってる暇なんてないんだ。分かったかこのブス!
毛むくじゃらなので青筋を立てているかどうかは分からないが、トラオは頭の中で猛烈に罵声を浴びせかけてから、気持ちを落ち着かせようと、ハーと大きく息を吐いた。
「では明後日、またここへ来るが良い」
「分かったけど、今度こそ頼むわよ」
小憎たらしい台詞を残していった風香がいなくなったのを見計らってから、ミースケの後に続いて、トラオが背中の毛を逆立てて社殿から出て来た。
その様子から怒り心頭であることは察しがついた。
「なんて憎たらしい奴なんだ。後ろから蹴りを入れてやりたい気分だ」
「まあそう言うなよ。取り敢えず決行日は明後日に決まりだな。キョウコにはそう伝えておくよ」
「悪いな。頼んどくよ」
普段あまり礼を言ったことの無いトラオが、気弱にそう言ったので、ミースケは少し首を傾げてみせた。
こうして作戦決行日は決まったのだった。
そして作戦決行当日、山田風香と神社で落ち合ったあと、そのまま恭子は風香を自宅まで案内した。
「どうしてお姉さんの家に来たの?」
「フフフ、それはね……」
そして恭子は、やや戸惑いを浮かべる風香に、作戦のあらましを伝えたのだった。
山田風香と恭子、そして二匹の猫は、大逆転を信じて、団地の敷地へとやって来た。
途中この辺りを根城にしている野良猫の一団と遭遇したが、ミースケとトラオの姿を目にした途端、スタコラと一目散に逃げていった。
恭子は隣を歩く風香の様子を窺う。
「どう、風香ちゃん大丈夫?」
「うん。大丈夫……」
声が硬い。緊張が声に現れていた。
そして今日の風香はいつもとは一味違っていた。
パステルイエローのスカートに、刺繍の入ったブラウス、綺麗にブラシをかけられた髪に、デイジーをあしらった髪留め。
そしてその手には、恭子の家の庭で摘んだ、ちょっとした花束があった。
恭子の手による渾身のコーディネートは、お転婆な風香を、見た目おしとやかな女の子に変身させていた。
「自信を持って。とっても可愛いよ」
「ありがとう……」
恥ずかしそうに、うつむいたままお礼を言った風香には、いつものお転婆な雰囲気はない。まるで別人のように変身した風香は、今のところ恭子の狙いどおりだった。
男の子のような快活さが際立つ風香が、おしとやかに変身したのを見て、きっと二宮君は、あらためて山田風香という幼馴染が、女の子であるということを再認識するに違いない。
そしてさらに、変身した風香から、ささやかな花束のプレゼントを受け取ることで、普段乱暴者のイメージとのギャップに、上手くいけばハートを射抜ける可能性があるのだ。
あとは、想いを打ち明けるだけ。
お膳立ては整った。これで駄目なら諦めるしかない。
風香の先導で、子供たちが普段遊んでいる公園の入り口までやって来た。
男の子たちが数人サッカーボールを追いかけて駆け回っている。その中に二宮君の姿もあった。
緊張で表情の硬くなっている風香の肩に、恭子はそっと手をかける。
「大丈夫だよ。ちょっとここで待ってて」
大きな桜の木の陰に風香を待たせておいて、恭子は一度面識のある二宮君を呼びに公園へと足を踏み入れた。
呼びかける前に、恭子に気付いた少年は軽く会釈をしてきた。
「こんにちわ。二宮君」
恭子が小さく手を振りながら近づくと、その場にいた五人ほどの男の子たちも、いきなり現れた中学生に注目した。
知り合いばかりのこの場所に、見かけない女子中学生。子供たちの関心が集中するのは仕方のないことなのだろう。
「大地、知り合いか?」
「うん。ちょっとね」
友達の好奇心を軽く受け流した二宮君を、恭子は話があるからと連れ出す。
意外とあっさり連れ出せたことに安堵しつつ、二宮君を桜の木の陰で待つ風香のもとへと案内した。
「あれ? 風香じゃないか」
少年がそう言ったのは、おしゃれした風香を前にして、一瞬でも誰であるのか認識できなかったからなのだろう。
恭子は作戦が上手くいっていることを確信した。
「二宮君……」
どうも風香はいつもの感じではない。女の子らしく着飾っている自分に恥ずかしさを覚えているせいか、その後の言葉が全く出てこなかった。
恭子は歳上のお姉さんらしく、向かい合った二人を前に静かに退散する。
「じゃあ、私はこの辺で……」
恭子はそそくさと二人から離れると、路駐してある車の陰にいたミースケとトラオと合流した。
二匹の猫も恭子と同様に、事の成り行きを固唾を飲んで見守る。
「いよいよだな」
「うん。風香ちゃん、頑張って」
祈る様に胸の前で手を組んだ恭子の傍らで、二匹の猫たちも手を合わせる。
しかし、それから二人に全く動きがない。
普段余計な憎まれ口をきいている風香が、石仏のように固まってしまっていた。
「おい、あれってマズくないか?」
「ああ、完全に膠着状態に陥ってる。このままだと……」
二匹の猫が危機感を募らせていると、ようやく風香に動きが見えた。
やっと顔を上げた風香が、用意した花束を突き出し、口を開きかけた時……。
「なんだ? 山田じゃねーか」
さっき公園で二宮君と遊んでいた子供たちだった。
なかなか戻ってこない二宮君を探しに来たようだ。
男の子たちは、風香の服装について、思い思いのことを言い始めた。
「スカートなんか履いて、誰かと思った」
「そんな恰好で何してんだ?」
「花なんか持って、ひょっとして大地に告ろうとしてたのか?」
口々に言いたい放題の男子たちを、風香は睨みつける。
それでも歯を食いしばって怒りを抑えようとしているのが見て取れた。
トラオはその様子をじっと見ながら尻尾を左右に振って、そわそわしている。
「あっちへ行って!」
尚もからかい続ける男子たちに、とうとう風香の怒りが噴出した。
手にした花束を握りしめて、リーダー格の男子に向き直る。
男の子はやや怯んだものの、更なる憎まれ口をたたいた。
「そんな恰好してもちっとも可愛くなんかならねーよ。このブス」
「言ったな!」
風香は手にした花束を男子の顔に投げつけると、そのまま突進して突き飛ばした。
仰向けに倒れ込んだ男子に馬乗りになった風香は、大きく手を振り上げてその横っ面を平手で叩いた。
バシッ
甲高い音を立てた風香の掌がもう一度振り上げられる。
咄嗟に顔を庇った男子の腕に風香は構わず掌を打ち下ろす。
「やめろ!」
周りの男子たちが風香の腕を掴んで、そのまま風香を引きずり倒した。
風香はすぐさま立ち上がって、いま引きずり倒した男子に向かって行く。
遠目に見ていた恭子よりも早く、トラオが飛び出した。
そして風香と揉み合う男子に突進して体当たりを食らわした。
「げっ!」
最初の男子を転ばしたあと、トラオは二宮君以外の男子の向う脛を次々に蹴り上げていった。
あっという間に地べたに座り込んでしまった男子たちを一瞥し、風香を見上げたトラオは。何とも言えない口惜し気な表情を見せた。
泥だらけになってしまった洋服。
綺麗にブラシをかけた髪は、揉み合っている間にひどく乱れてしまっていた。
デイジーをあしらった髪留めも、乱闘でどこかへ飛んで行ってしまっていた。
そして足元には、みずぼらしい姿に変わり果てた花束が落ちていた。
「風香……」
二宮君がそう声を掛けた時には、風香は背を向けて逃げ出すように駆け出していた。
「うわーーーー」
大きな泣き声を残して走り去った風香の背に、ただトラオは黄緑色の目を向けていた。