第4話 ひょっとすると無理かも
探りを入れて恭子の元と戻ってきたトラオは、窓を開けてもらって部屋に入るなり、いきなり泣きついた。
「ムリだ。あいつ、爆弾を隠してやがった。クッソ、騙された」
恭子の胸に飛び込んで泣き出したトラオを、恭子はヨシヨシとなだめてやった。
恭子に甘えるトラオの有様に、すぐさまミースケが怒り出す。
「なに勝手にキョウコに抱きついてんだ! さっさと離れろ!」
「いいだろ。俺だって心の傷を癒して欲しい時だってあるんだ」
「三秒以内にキョウコから離れないと、お前をこの世から消してやる」
本気で波動を集め始めたミースケに、トラオは渋々恭子の胸から離れて行った。
「それでトラオ、何があったわけ?」
「聞いてくれよ。実は……」
トラオは山田風香の二つ目の願いが、一筋縄ではいかないことを説明した。
「なるほどねー、恋のライバルがいたわけだ」
「いや、ライバルってゆうか、相手にもならないってゆうか」
さっぱりやる気の萎えたトラオの肩を恭子はポーンと叩いた。
まあ猫なので、肩と呼べるほどのものではない、肩っぽいその辺りを叩いただけだ。
「なによトラオ、そんなの落ち込むほどのもんじゃないって。女の子はね、見た目よりも中身なの。熱い想いを持っていればきっと気持ちは通じ合うものなのよ」
「そうだぞ、トラオ。あの忠雄だってエレガント美少女の誘惑に屈することなく、明るさだけが取り柄のキョウコを選んだんだ。不可能ではないんだぞ」
軽く言ったミースケに、キョウコはプッと膨れてみせた。
「ミースケ、今ちょっと私のこと馬鹿にしなかった?」
「いいや、その逆だよ。カトリーヌを振り切ったキョウコは特別だって言っただけだよ」
「なんだか言いくるめられてる気がするけど、まあいいわ。ねえトラオ、今度は私とミースケを二宮君のところへ案内してよ。さりげなく二宮君の気持ちを聞いてあげるからさ」
「ああ、頼むよ。俺、何だか自信無くしちゃってさ」
「なあに? 神様なんでしょ。もっとシャキッとしなさいよ」
再びポーンと肩を叩いてきた恭子に、トラオは猫背の背中を丸めて、疲れた笑いを口元に浮かべただけだった。
風香と鉢合わせになったらマズいからと、恭子たちを団地の入り口まで案内すると、トラオは帰って行った。
「確かこの辺りだって聞いたけど」
トラオの言っていた、少年が遊んでいた公園へと向かっていた恭子とミースケは、早速野良猫たちの洗礼を受けることとなった。
「ニャーオ」
威嚇してきたのは、毛足が長いような短いような、白っぽいような灰色っぽいような中途半端な猫だった。
やたらと貫禄だけはあるところを見ると、こいつが大ボスなのだろう。
その後ろには、この前トラオが殴り飛ばした、黒なのか茶色なのかはっきりしない模様のあの猫も控えていた。
今度は仲間の数が増えている。ざっと見ただけで十匹ほど雁首を揃えていた。
そして大ボスの猫が、恭子の腕の中のミースケに威嚇の声を上げ続けている。
「ニャアアーオ」
背中の毛を逆立てて威嚇し続ける変な模様の猫に、恭子は憐みの眼を向ける。
「あのさ、あんましミースケに喧嘩を売らない方がいいよ。大人しくお家へお帰り」
「フニャーーー!」
当然のことながら、全く話が通じない。
先程からミースケは恭子の腕の中で、やや不機嫌そうな目を野良猫に向けている。
「ねえ、ミースケ、あいつなんて言ってるの?」
「ああ、こう言ってる。人間の小娘に庇ってもらって恥ずかしくないんか? ブルってションベンちびってんのかぁコラ。さっさと降りてこんかい、このボケナスって」
「そんな汚い言葉で罵ってるの? フニャーの中にそんな罵倒が凝縮されてるなんて、奥が深いのね」
威勢よく威嚇する野良猫に、恭子は感心しっぱなしだ。
そして昨日トラオに殴り飛ばされた、黒なのか茶色なのかはっきりしない模様の猫が、ボス猫にいい所を見せたいのか、背中の毛を逆立てながら前に出て来た。
「ギニャー!」
その野良猫のひと鳴きで、ミースケの雰囲気が変わった。
「どうしたのミースケ、何か気に入らないことでも言われたの?」
「ああ、そこのケツの青いメス豚にてめえはお似合いだって。あいつはそう言ったのさ」
どうやら中途半端な模様の猫は、ミースケを怒らせてしまったようだ。
ミースケは恭子の腕からぴょんと跳んで、音もなくアスファルトの上に着地した。
そして目にも留まらぬ速さで、口の悪い野良猫を殴り飛ばす。
「ニャウン!」
ミースケのアッパーカットを食らって、はっきりしない模様の猫は、まるでロケットのように垂直に宙を舞った。
ミースケと恭子は知らなかったが、二日連続で世界最強猫ランク、トップツーと対戦した勇気ある野良猫は、宙を舞いながらこの世界の広さを思い知ったであろう。
空に舞い上がった猫の姿を見て、ボス猫をはじめ、取り巻きの猫は蜘蛛の子を散らすように逃走していった。
不躾な野良猫に鉄拳制裁を加えたあと、公園内に目的の二宮君を恭子は見つけていた。
「きっとあの子だよね」
「ああ、間違いない」
トラオから聞いていたが、なかなか可愛い顔立ちの男の子だ。
友達と少年がサッカーボールを追いかけている姿をしばらく眺めたあと、恭子は予め打ち合わせしていた作戦を実行に移すことにした。
「じゃあミースケ、お願い」
「ああ、任せとけ」
ミースケは建物の陰まで走ってゆくと、そこで大きな声を上げた。
「二宮くーん。おーい」
振り返ってキョロキョロしだした男の子は、さっき目星をつけたあの子だった。
しばらくして声のした方に向かった男の子に、恭子はついて行く。ひと気のない場所で恭子は男の子を呼び止めた。
「二宮君」
振り返った男の子は見知らぬ女子中学生に、ちょっと困惑したようだ。
「えっと、お姉ちゃん誰?」
「私? 私は山田風香ちゃんの友達の友達。今ちょっとお話できないかな」
「風香の? いいけど、何の話?」
山田風香の名を聞いた途端、少し二宮君の表情が険しくなった。
違和感を覚えつつ、近くにあったベンチに腰かけて並んで座ると、恭子は落ち着いた感じで、まずは関係のない話からし始めた。
「サッカー上手だね」
「え? そう?」
「うん。かっこよかったよ。二宮君はきっと女の子にモテるんだろうね」
「そんなことないけど」
年上の女の子にそう言われて、少年はやや頬を赤らめる。
「さっき男の子の友達いっぱいいたね。二宮君なら女の子の友達もいるよね」
「まあ、いることはいるよ」
「へえ、誰かな? ひょっとして風香ちゃん?」
軽く誘導した恭子だったが、再びその名を聞いた途端に少年の雰囲気が変わった。
「風香は違うよ。あいついつも僕に意地悪してくるんだ」
「え? そうなの?」
「うん。もうしょっちゅう。いきなり背中を押してきたりするし、水筒のお茶は勝手に飲まれるし、引っ付き虫とか投げてくるし」
「へー、なかなか積極的だねー」
恐らく山田風香は、意中の二宮君に構ってほしくて、そういった行動に出ているのだろう。
しかし、少年はそのことを迷惑と捉えている感じだった。
「風香はいっつも乱暴なんだ。こないだも、ひまりちゃんと遊んでたら、泥団子投げて来たし」
「ひまりちゃんってポニーテールの?」
「うん。お姉さんも知ってるの?」
「え、ええ、風香ちゃんからちょっとね」
ヤキモチを妬いたのだろうが、泥団子はやり過ぎだ。
好きかどうか探りに来たわけだが、風香自身の行いのせいで、完全に逆風が吹いていた。
「えっと、きっと風香ちゃんも悪気があったわけじゃないと思うよ……」
「お姉さんは風香を知らないからそう言えるんだよ」
逆に窘められて、恭子の心は折れそうになった。
小さな恋のメロディみたいな感じで想像していたが、蓋を開けてみたらまるで別物だった。
果たして、ここから恋に発展していくことができるのか。
どう転がっても、そうなりそうもにない雰囲気に、恭子は心の中で頭を抱えていた。