第3話 神様の使い、トラオ
恭子が二宮君に直接話を聞くためには、まずはどこに住んでいるのかを突き止める必要があった。
そこでミースケは、とあるアイデアを思いついた。
それは神様の存在を信じる女の子に、こちらにとって都合のいい情報を与え、円滑に動き回れるようにしようというアイデアであった。
ガラガラガラ。
今日も現れた女の子は、鈴を鳴らしてから拍子を二回打つ。
「どうか二宮君が引っ越しませんように」
声に出して言ったあと、女の子は賽銭箱越しに社殿の中を覗き込む。
「かみさまー、いますかー」
「ここにおる。あんまし大声出すな」
またちょっと威厳のある感じでトラオは返事してみせた。
「ねえ、なんか進展あった?」
「まあ、ちょっとな。他の神様と話し合って計画を立てた」
「えー、計画だけー」
「まあ聞け、娘よ。まあ結論から言うと、引っ越しを阻止するのはやめとくことにした」
「どうして? 神様なんでしょ。天罰で何とかできないの?」
「あのなあ、天罰ってのは悪いことした奴に落とすものなの。引っ越しをするだけの人間にいちいち落としてられるかっての」
カチンと来て思わず言葉が乱れた。トラオはまた少し威厳を取り戻して女の子を説得する。
「一つ目の願いは叶えられなくとも、二つ目の願いには力を貸そう」
「じゃあ二宮君が私のことを振り向いてくれるわけ?」
「まあ確約はできんが、最大限の努力はしよう。だがわしはここを動けぬ身だ。そこで代わりにわしの使いとして、猫を一匹お前に貸してやることにしよう」
「猫を?」
「ああ、おまえも知っておろう、ここに住み着いているあの品のある猫だ」
女の子は口元に手を当てて首を傾げた。
「品のある猫……そんなのいたっけ」
「いただろ! 賽銭箱の裏に!」
またカチンと来て冷静さを失いかけた。
いちいち腹の立つガキだった。
「ああ、トラオね。品は無さそうだけど強そうだった」
「ああ、そのトラオをお目付け役として貸してやる。日に三度チクワを食べさせてやったら、きっとご利益があるぞよ」
「へー、幸運を呼ぶ招き猫みたいだね」
ミースケの計画どおり、こうしてトラオは山田風香のお目付け役になった。
神の使いという肩書をかざし、トラオは堂々と風香のあとをついて回って情報収集に励むのだった。
そして風香に付いて、団地の敷地に入ってすぐ、トラオは野良猫の洗礼を受けた。
「ニャーオ」
背中の毛を逆立てた黒なのか茶色なのかはっきりしない微妙な模様の猫が、なにやら凄みながら近づいてきた。
その声を聴きつけてか、仲間の猫が三匹程どこからともなくやって来た。
「フーッ!」
仲間が現れたことで、微妙な色の野良猫はさらに勢いづいたみたいだ。
大きく見せようと体を開いて、おかしな格好で近づいてくる。
「あ、あっちへ行きなさいよ。シッシッ」
風香はやや怯えながら、威嚇する猫を追い払おうとした。
しかし野良猫たちは一向に怯まない。
一触即発のムードの中、トラオはすたすたと風香の前に出て行った。
尻尾をピンと立てた余裕のあるその姿に、野良猫たちは多少ビクついてはいるものの、数の優位で勝る猫たちは一歩も引かなかった。
「フギャー!」
一気に飛び掛かって来た微妙な模様の野良猫に、すかさずトラオの猫パンチが飛んだ。
「ニャウン!」
ちょっと間抜けな声を上げて、微妙な模様の猫は五メートルほど宙を舞った。
その圧倒的な猫パンチの一振りで、取り巻きの猫たちはあっという間に四散していった。
「すごい。やっぱり神の使いだけはあるわ」
感心して手を叩く風香に、トラオはちょっと自慢げに鼻を鳴らした。
「フッ、どうってことないぜ」
油断してポロリと余計なことを口走ってしまったトラオに、風香の顔が見事に豹変した。
「あんた今、何か話さなかった?」
思い切り顔を近づけてくる風香に、トラオは目を泳がせる。
マズい。マズいぞ。この状況をなんと切り抜けるか……。
そしてトラオは、ありありと疑惑の目を向ける風香に向かって、いかにも苦しい言い訳をした。
「神様……そう神様がお目付け役の間だけ話せるように計らってくれたのさ。コミュニケーションが取れた方が便利だろ」
「そうか。神様の計らいだったのか」
単純な奴で良かった。
あっさりと納得してしまった風香に、そんなわけねーだろと思いつつ、トラオは危機を回避できて胸を撫で下ろしていた。
野良猫を返り討ちにしたあと、団地の敷地にある公園に差し掛かった時、風香はぴたりと脚を止めた。
風香と同い年くらいの男の子たちが、サッカーボールを追いかけて走っている。
その視線の先にいた一人の男の子に、風香はくぎ付けになっていた。
「トラオ、あれが二宮君だよ」
風香の指さした先にいたのは、すっきりとした顔立ちの優しそうな男の子だった。
人間の容姿の良し悪しにあまり関心のないトラオも、若干納得できるくらいのモテ顔だった。
成る程、高嶺の花といった感じか……。
しばらくそこで突っ立ったまま眺めていると、女の子の一団が公園の前を通りがかった。
その中にいた少し背の高いポニーテールの女の子が、サッカーボールを追いかける男の子たちに手を振った。
「だいちー」
そう呼ばれて手を振り返したのはあの二宮君だった。
こういった人間の機微にめっぽう疎いトラオでさえそう思ったくらい、どう見てもポニーテールと二宮君はちょっといい感じだ。
トラオが風香を見上げると、感情を抑えられないように唇を結んで。ポニーテールの女の子に目を向けていた。
おいおい、何だかややこしくなってきてないか。
トラオは突然現れたポニーテールに黄緑色の眼を向けて、風香と比べてみる。
快活さが売りの、ギリギリ可愛いと言えないこともない風香に比べ、ポニーテールの方はなかなかの美少女だった。
これはちょっとマズいな……。
ひょっとして貧乏くじを引いた?
嫉妬に燃える風香の隣で、トラオの頭の中は真っ白になっていた。