第2話 神様会議
翌日も小雨の降る中、またあの女の子はやって来た。
ガラガラとやかましく鳴った鈴の音に、トラオは細く目を開けて不機嫌そうに頭をもたげた。
普段はかび臭くて入らないが、風向きで雨が吹き込んでくる場合は、本殿の中に入り込んでトラオは寝ることにしていた。
きっちり鍵のかかっている本殿も、床下に簡単に穴をあけるトラオにはどうということもないのだ。
トラオは網目格子ごしに、今日も現れた女の子を覗き込むようにして眺める。
「どうか二宮君が引っ越しませんように」
代わり映えしない、いつもの願い事を聞き終えて、トラオは大きな欠伸をひとつした。
もう一度寝ようと体を丸めた時、トラオの耳に再び願い事をする声が聞こえて来た。
「どうか二宮君が振り向いてくれますように」
更なる願い事を口にした女の子に、トラオは思わず反応してしまった。
「チッ、まだあんのかよ」
「誰? 誰かいるの?」
ボソッと言った一言は女の子の耳に届いていた。
トラオは慌てて神棚の裏に身を潜めた。
網目格子に顔をくっ付けるようにして女の子は中を覗き込む。
誰もいないことを確認してから、また女の子は口を開いた。
「ひょっとして神様?」
「……」
「ねえ、神様なんでしょ。返事してよ」
「……」
「返事してくれないんなら、変な声がしたって神主のおじいちゃんに言ってやるんだから」
これは流石にまずい。騒ぎ立てられたりしたらお気に入りの昼寝場所が騒がしくなりかねない。
トラオは咳ばらいをひとつして、ちょっと厳かな感じで声を出した。
「えー、オホン。いかにもわしが神様だが」
「やっぱり。そうだと思った」
「願いは聞いた。さっさと帰るがよい」
「え? じゃあ叶えてくれるの?」
「いや、聞いたと言ったのは聴こえたってことで、叶えるかどうかはまた別の話というか……」
「なによそれ。聞き届けたんならちゃんと叶えなさいよ」
キレられた。神様相手に言いたいことを言うやつだった。
「わかった。善処することにしよう」
「ぜんしょってなに?」
「まあ、対応するってこと。期待しないで待つが良い」
「なによ。適当にやりますみたいに聞こえるんだけど、ちゃんとしてくれるんでしょうね」
何だか疑い深い奴みたいだ。しかも賽銭も入れないで権利ばかりを主張する質の悪い奴だ。
「わかった。ちゃんとするから。気長に待っておれ」
「あのね、引っ越しは来週の日曜日なわけ。気長になんて待ってられないんですけど」
「チッ」
「今舌打ちした?」
「いいや、気のせいだぞよ」
それから女の子は具体的な内容を話し始めた。
引っ越しをやめさせるというのはちょっと手に余る問題ではあったが、神様っぽく一応話だけでもと聞いてやったのだった。
「ふーん。そんなことがあったんだ」
話し終えたトラオの前でそう口にしたのは、片瀬恭子。県立中学に通う、一見普通で実はちょっと普通じゃない、波動を扱う女子中学生だった。
そして恭子の膝の上に鎮座している、白とグレーのハチワレ模様の猫。
この猫も一見普通だが、別の世界から来た超ド級の珍しい奴だった。
恭子の部屋の机の上で、スーパー女子中学生と異世界の珍獣に今日あったことを語り終えたトラオは、素直にアドバイスを求めた。
「まあ、そんな感じなんだ。ちょっと相談に乗ってくれよ」
トラオが二人に相談を求めたのは、勿論あの女の子のことだ。
ちょっとした気まぐれで、神様っぽくあの女児の相手をしてしまったことで、引っ込みがつかなくなってしまった感じだった。
トラオが持ちかけた相談の内容は、いたってシンプルなものだった。
幼馴染で一つ歳上の二宮君は、ちょっとクール系のイケメンらしい。
家が近くで仲の良かった風香は、将来二宮君のお嫁さんになると決めていた。
しかしある日、急に引っ越しするからと告げられ、風香の未来予想図に突然亀裂が入った。
勿論受け容れられようもない風香は、取り敢えず神頼みを決行することにして、トラオの根城である神社に通い詰めていたという訳である。
そして具体的にどういった方法でとかは無いものの、とにかく阻止してくれと毎日願をかけていたのだった。
「なるほどねー、片想いってやつかー。なんだか応援したくなっちゃうなー」
思春期のど真ん中にいる恭子は、こういった恋バナが大好物だ。
実際はどうだかわからないが、勝手に妄想を膨らませている感じがありありと窺えた。
「それはトラオだってなんとかしたくなっちゃうよねー。わかるー」
自分の恋に重ねて勝手に盛り上がっている。
どうやら恭子とトラオには多少温度差があるみたいだ。
「わかってくれるか。俺は神様じゃないけど、絶対者だろ。言ってみればこの世界の使者なわけだ。まあ、異例中の異例ではあるが願い事をされたことだし、叶えてやってもいいかもってちょっと思っててさ」
「ふーん、いいんじゃない。人助けを買って出たわけだね」
恭子はなんだか面白そうにトラオの顔を窺っている。
近頃、人間のすることに色々関心を持ち出したトラオを恭子は歓迎し、そして弄っていた。
基本的に恭子以外にあまり関心を示さないミースケも、この腐れ縁ともいえる長い付き合いのトラオの言うことに、少なからずの関心を示した。
「で、トラオはどうするつもりなんだよ」
恭子に背中を撫でてもらいながらミースケが蒼い目を向けて尋ねると、トラオは机の上に尻を降ろし、器用に腕を組んでウーンと首を捻った。
「どうしようかな。あのガキの言うとおりに願いを叶えてやってもいいんだけど」
「は? その二宮君の引っ越しを止めるってのか? どうやって?」
「まあ、実力行使ってやつだよ」
あっさりとそう返答したトラオに、恭子とミースケはしぶーい顔をした。
「もしかしてあんた、引っ越しのトラックを襲撃しようとか企んでる?」
恭子が一応確認すると、トラオはスッと視線を逸らせた。どうやら図星だったようだ。
「いやいやいや、いくらなんでもそれはマズいって。あんたならやってやれないことは無いんだろうけど」
「駄目か? じゃあ引っ越しの計画をしている親をどうにかするか……」
「それはもっとダメ!」
何の恨みもない善良な人を酷い目に遭わせかねないトラオに、思わず恭子は大きな声を上げた。
「それは完全にアウトだから。一番ダメなやつだから。そうゆう物騒な考えは今すぐ捨てなさい」
「そうだぞトラオ。人間に危害を加えるのは流石にまずいぞ」
当然のようにトラオを窘めたミースケの背中を、恭子はかるくつっついた。
「そう言うミースケは、まあまあ人を殴ってるよね」
チラと恭子を見上げて、ミースケはサラッと受け流す。
「ハハハ。軽く撫でてやってるだけだよ。なあトラオ、引っ越しのトラックをぶっ壊しても別のトラックが来るだけだし、いっそ転居先の家に先回りして住めない程度に荒らしといたらどうだ」
「おお、その手があったか」
「ちょっと待って!」
この中で唯一常識に精通している恭子が立ち上がった。
「あんたたち何考えてんのよ。そんなの駄目に決まってるじゃない。憧れの二宮君の家を奪う気? だいたい願いを託されて神様っぽくなっちゃってるのに、災いをふりまくっておかしくない?」
「そりゃそうだ。キョウコの言うとおりだ」
トラオは納得したのかウンウンと頷いたが、そこそこ教養のあるミースケはひと言つけ加えた。
「まあ神は時に幸運を授け、災いをもたらすものだけどな」
「あんたらのは災いだけじゃない。それじゃあ駄目なんだって。みんなが幸福になれるように頑張るのが神様なのよ」
「そうゆうものかな」
一応二匹を説き伏せて、恭子はある提案をした。
「まあ、引っ越しに関してはどうしようもないことだと思うけど、もう一つの願いに関しては力になれることもあるんじゃないかな」
「振り向いて欲しいってアレだな」
「そう。引っ越しの日までに二人の仲を取り持ってあげたり出来ないかなって。トラオの話では二人は仲はいいけど、二宮君にその子の気持ちは届いてない感じなんだよね」
恭子は目を輝かせてやる気をみなぎらせている。
引っ越しの方を実力行使で何とかしようとしていた猫どもとは、根本的に方向性が違うようだ。
「だけど、今のトラオの話だけでは情報不足ね。どうにもならないかもだけど、私がその二宮君って子に直接会って話を聞いてあげようか?」
「ホントか? 行ってくれるのか」
「うん。あんたがペラペラ喋り出したら相手は腰を抜かすでしょ。ここは私が行くしかないでしょ」
「そうか。恩に着るよ。今度チクワでも奢らせてくれ」
「いや、それはいいかな……」
気持ちだけ頂いておくねと、恭子は遠慮した。
そしてミースケが天井に肉球を突き上げた。
「よし、決まりだな」
こうしてトラオが持ち込んできた、ちょっとしたイベントはスタートを切った。
お気楽に円陣を組んだ恭子たちは、狭い部屋の中で盛り上がっていた。
しかし、軽く考えていたこの女児の願いが、これから大きな騒動に発展していくことを、まだこの時の一人と二匹は知らなかった。