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世界で二番目に強い猫と女の子  作者: ひなたひより
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第1話 トラオと女の子

 何日も降っていた雨が止んだ。

 異様に蒸し暑い六月の半ば、住宅地に隣接する地元の神社の一角に、古い木の匂いのする立派な社殿があった。

 そして、降り続いた雨のせいで湿り気を帯びた木製の賽銭箱の裏に、一匹のキジトラ猫が腹を上に向けてだらしなく眠っていた。

 野良猫に餌をやるのを習慣にしているこの神社の神主は、このキジトラ猫のことをトラオと呼んで可愛がっていた。

 トラオはその日暮らしのいわゆる野良猫で、この地域を根城にしているボス猫だ。

 そして今日も猫らしく、陽の当らない涼しい場所で、ダラダラと寝て過ごしていた。


「またか……」


 耳をピクリと動かして薄っすらと目を開け、そう呟いたのは他でもないキジトラ猫のトラオだった。

 実はトラオはただの猫ではない。

 猫の姿に擬態してはいるが実は特別な存在で、自分のことを絶対者と呼んでいた。

 自己申告ではあるが、トラオはなかなかお目に掛かれない凄い存在らしい。

 しかし、キジトラ猫に精巧に擬態し過ぎて、身も心もオス猫のトラオになり果ててしまった残念な奴なのだった。

 トラオは何者かの足音に耳をピクピクと動かして大きな欠伸をひとつした。

 住宅地に隣接するたいして大きくもない神社だ。特にこんな平日の午後など、滅多に人が来ることはない。

 しかしここ数日、雨が降っていたのにも拘らず、毎日通い詰めている女の子がいた。

 恐らく小学校低学年ぐらいだろう。

 学校帰りなのか、紅いランドセルを背負った女の子は、おかっぱ頭に黄色い通学帽を載せて、今日もガラガラと耳障りな鈴を鳴らした。


 パンパン。


 拍子を二度打って、女の子は毎日同じお願いをする。

 昼寝を邪魔されたトラオは、やや不機嫌な面持ちで、女の子の願い事に耳を傾ける。


「どうか二宮君が引っ越さないようにして下さい」


 こうして今日も、女の子は同じ願い事をしていく。

 熱烈にお願いしていく割には、一度も賽銭を入れている感じはない。まあ、チビッ子なのでその辺は仕方ないのかも知れない。

 しかしこう毎日、昼寝を邪魔されるというのがトラオには大問題だった。

 自由気ままな野良猫ライフを愉しんでいるトラオは、定刻にガラガラとアラームみたいに鈴を鳴らされるのが気にくわなかった。

 そもそも無料で願い事を叶えてくれる神様なんておらん。

 さらに言えば、自分で努力をせず得体の知れない神様に丸投げしようとしている根性も気にくわなかった。


 まあ、ガキだし、その辺はこれからおいおい経験していくんだろうけどな。


 さっさと帰りゃあいいのにと、大きく伸びをした時だった。


「あっ。猫だ」


 賽銭箱で死角になっていたはずだったのだが、伸びをしたことで脚でもはみ出したみたいだ。


 まずった。俺としたことが。


「おいでー。ネコちゃん」


 おおよそ子供というのは猫などの小動物にやたらと関心を持つものだ、そして、世の猫の殆どは子供が嫌いだ。それはトラオも例外ではなかった。

 まず五月蠅いし、せわしない。大きな声を出すし、とにかく猫の扱いが雑だ。

 逃げ出したら全力で追いかけてくるし、反撃しようものなら大声で泣きわめくし。

 とにかくしつこいのだ。生理的に受け付けんのだ。


「おいでー、怖くないよー」


 怖くはない。ただうっとおしいだけだ。


 手を伸ばして触りに来た女の子の手に猫パンチを食らわせようとしたトラオだったが、泣きわめかれたら余計にうっとおしいので、さっさとこの場を退散することにした。


「にゃーお」


 不機嫌に一声鳴いたあと、トラオは女の子に背を向けてスタスタと歩き出した。


「ねえ、待ってよー」


 女の子はしつこく追い縋ってくる。このしつこさはチビッ子の専売特許だ。

 トラオは少し振り返って黄緑色の眼を女の子に向け、鋭い眼光でひと睨みした。


「キャーかわいい」


 は? いま俺、睨んだんだけど。


 表情筋の乏しい猫の顔色は、相当なベテランでないと見分けがつかない。

 小学校低学年の女児にそれを求めたトラオの方がいけなかった。


 まあいいや。その気になったら走って逃げればいいだけさ。


 とんでもない身体能力を有するトラオは、本気になれば時速百キロ超で走ることができる。

 この地上に生息するあらゆる足の速い動物と対決したとしても、負けない自信がトラオにはあった。

 いかにもどんくさい、ランドセルが歩いているような小柄な女児に捉まえられることなど、絶対にないと断言できた。

 そして駆け出そうとした時だった。


「きゃっ」


 小さな悲鳴を上げたのを耳にしてトラオが振り返ると、女の子は思い切り毛躓いてこけていた。


「あいたたた」


 うつぶせに盛大にこけた女の子は、顔をしかめながら手をついて起きあがった。

 膝小僧に血が滲んでいる。

 女の子は自分の膝を見て、涙目になっていった。

 その様子をじっと観察していたトラオは、猫らしからぬ大きなため息を吐いた。


「はーーー」


 何となく見捨てて行き辛くなった。

 これも普段から、あの特異点の猫と女子中学生に絡んでいるからなのだろう。

 野良猫のプライドを持っているトラオだけれど、なんとなく人間に肩入れするような習慣が出来てしまっていた。


 まあ、ついてこい。


 何となくそう背中で語りかけて、トラオは敷地内にある神主の自宅まで女の子を誘導していった。


「にゃー」


 玄関の硝子戸にガリガリ爪を立てると、程なくして戸が開き、白髪の神主が顔を見せた。


「どうした、トラオ。お腹減ったのか?」

「にゃー」


 神主のおじいさんは、ようやく膝を擦りむいた女の子に気が付いて、少し驚いたような顔をした。


「どうしたんだいお嬢ちゃん。ささ、こっちにおいで。絆創膏を貼ってあげよう」


 玄関に座らせて、手際よく消毒をして大きめの絆創膏を貼ってやったあと、神主は女の子にいくつかの質問をした。


「他に痛い所はないかい?」

「うん。大丈夫」

「どうして怪我をしたんだい? 転んだのかな?」

「猫ちゃんを追いかけてたら躓いて……」

「そうか、気を付けないとね。学校の帰りみたいだね。何年生かな?」

「つばめ台小学校二年生。山田風香です」


 トラオが少し開いた戸の間から中の様子を窺っていると、訊かれてもいないのに、女の子は百点満点の自己紹介をした。


「家はすぐ近くかい?」

「うん。十分くらい」


 女の子は神主にお礼を言ったあと、今度は自分から質問を投げかけた。


「ねえおじいさん、ここの神様ってどんな神様なの?」

「どんなって、神様は神様だよ」

「願い事、ちゃんと叶えてくれる神様なのかな」


 その質問に、神主は白い口髭を少しだけ動かして困ったような顔をした。


「そうだね。願い事にもよるかな」

「あたしね、二宮君が引っ越さないようにってお願いしたの。叶えてくれるかな」

「うーん、どうだろうね。お嬢ちゃんは二宮君に引っ越して欲しくないんだね」

「そうなの。引っ越して転校するって言ってた。遠くに行っちゃうからもう会えないかもって……」


 女の子の声が震えて、それほど大きくない目から涙がポロポロと溢れ出した。

 話を聞き、その姿をじっと眺めていたキジトラ猫は、おじいちゃんと女の子に気付かれないように、また大きなため息を吐いた。

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