560 進化と進歩と進展と
「明らかに異常だわ……」
「ん、でも正常」
燐音さんの体調がおかしい、しかし正常ですわ……。ディープダイバー症候群を発症していてもおかしくないレベルでVRダイブを使っていますし、そもそもこんなにぶっ通しでプレイをしていては体調になにかしらの異常が出ておかしくないはず……。でも診断結果は、全て正常……。
「燐音、これがずっと?」
「いいえ、ここに来る前は長時間プレイをしていると流石に疲労が出ていましたわ。現にここへ来てから熱中症で倒れましたし……」
遺伝子情報が近いレーナさんにも、燐音さんのデータを見て貰っていますが、やはりこのデータは正常すぎて異常のようですわね……。リフレッシュカプセルを利用してから、燐音さんはずーっと絶好調。むしろ絶好調すぎて不気味なほどですわ。
「ん……。熱中症になってから、どうしたの?」
「医師の診断の後、リフレッシュカプセルで休息を……」
「それから、ずっと元気?」
「ええ、そう……ですわね……」
「肉体の回復機能が、急激に促進されてる?」
リフレッシュカプセルは簡易的な病状や症状を治療することが可能な医療器具、しかしここまで回復機能が促進されるはずは……。
「ほら、今も。食べ物の分解と吸収とかも、全部高数値」
「昔、燐音さんは重傷を負ったことがありますの……。その時も、物理的外傷が早く治って……」
「多分、適応能力が高い。極限の状態に陥った時、その状況を乗り切るために急激に回復してる」
「もしかして……」
「恐らく、進化してる。私がそうだったように」
ユリアさんは昔、過去に飛行機の墜落事故に巻き込まれ、その際に大規模な手術をして一命を取り留めている。その際に片目を失明、表情筋がほぼ動かなくなり、精神的ショックからか言葉使いも幼いようなものになった時期があったとか。今ではある程度回復しているものの、ストレスが溜まると拒食症を引き起こしてしまうのでしたわね。
その時の手術から数カ月後に特殊な身体的異常が確認され、体が成長せず老化もしない、その代わりに急激な再生能力が活性化することが判明した。この症状によりユリアさんは理論上、推定250歳まで生きられるとされているのでしたわね。本人は100歳まで生きたら死ぬ気でいるそうですが。
「遺伝子情報も近い、事故の規模は私より小さいけど、生命の危機に晒されたのは同じ。だから多分、同じ症状……。燐音も、凄く長生きすると思う」
「どう、伝えたらいいのかしら……」
「ん? 多分、燐音のことだから『へえ~そうなんだ~』ぐらいで流すと思う。別に重大なことでもないとばかりに、飄々とした表情で」
「本当にそうなるかしら……」
「でも、燐音はまだ成長してる? だから、違う症状かも」
「いいえ、身長の成長は止まり、胸囲が大きくなったのは筋トレの成果ですわね……。ですから、止まっていると見られていますわ」
「じゃあ多分、一緒。ん、ふふ~ん。一緒、燐音と一緒~」
本当に、表情一つ動きませんわね……。相当にご機嫌なのでしょうけれど、お顔に全く変化がありませんわ……。これでも燐音さんはどういう表情なのか、微妙な変化で見極められるそうですけれども。燐音さんぐらいわかりやすく表情に出てくれれば、わたくしにもわかりますのに。
「でも、表沙汰にはしないほうがいい」
「そうですわね! そんなに長生き出来ると知られたら、大変な大騒ぎに」
「人の生への執念は凄まじい。長生きしたい、死にたくない、もしも今死にかけてて長生きできるかもしれない方法があったら、人はなんでもする」
「なん、でも……?」
「血を欲しがったり、肉を食おうとしたり、なんでも」
「まさか、そんなこと」
「する。私がそうだったから、絶対にそう。貴方のお父様が私を守ってくれなかったら、今頃は金持ち専用の血液ドリンクサーバーにでもなってる」
そんな……。長生き出来るのは突発的な身体異常であって、血を飲んだり肉を食らったりするから長く生きられるわけではありませんのに……。
でも、実際にユリアさんがそうであったのなら、間違いなくそうなのでしょうね。燐音さんはわたくしが守らないと、必ず守らないと……!!
「え……っと。ところで、お父様がユリアさんを……?」
「そう。珍しい症例を集めていた時に、私のデータをたまたま入手したみたい。医療機器を作るための一環で、それらのデータが今こうしてこのカプセルになった」
「なるほど!! では、体の急激な再生機能を解析、流用して……?」
「ううん、完全な解析は出来なかった。今も出来てない。でも、促進させることは出来た」
知りませんでしたわ……。お父様が、これを……。こんなに偉大な装置を、どうして大々的に広告宣伝もせずに『日々の疲れを癒やす!』程度の広告で済ませていますの……?
「ん、わかってない顔をしてる。もしも、この装置で寿命が伸びるかもしれないなんて発表したら、まゆまゆは……どうする?」
「え、もちろん買うと思いますわ!」
「そう、お金持ちは絶対に買う。大量に生産されて、お金持ち全員に行き届く。寿命の長いお金持ちと、寿命の短い貧困層。国民の間に広がる格差、そして高まる反発。だから、宣伝しなかった」
「…………なるほど」
わたくしもまだまだ知らないことが沢山ありますわね……。何もしていない父だとばかり思っていましたけれど、まさかこんなものを作っていたなんて……。
「多分、まゆまゆに長生きして欲しいんだと思う」
「え?」
「あの人は、違う。血を欲しがってた奴らと、違う目だった。強い意思を宿してた」
「お父様が……」
もしや、わたくしに七瀬財閥の行く末を任せたのも、このリフレッシュカプセルを作り出すために集中したかったから……? だとしたら、最初からそう言えばよろしかったのに!! いえ、それは出来ませんわね……。あの頃のわたくしは、七瀬グループの商品を如何に多く売るかしか考えていなかった。リフレッシュカプセルのことも耳に入ったら、間違いなくユリアさんが先程言っていた過ちを犯していたに違いありませんわ……。
「お父様は、わたくしの成長を待っていてくださったのかしら……」
「きっとそう。口数の少ない人だけど、良い人だから。まゆまゆは、仲直りすべき」
「出来るかしら……。無能な父だと罵倒して、酷いことばかり……」
「出来る。誰だってやり直せるし、チャンスは無限にある。お互いに生きている限り」
「…………ありがとうございます。感謝致しますわ」
「他人に感謝できるように育ったなら、絶対出来る。私が保証する」
お父様と、やり直せる……。今まで考えたこともありませんでしたわ。もう一生涯会わないと、無能な父だと追放してしまった時から、ずっと……。謝れるかしら……。
「――もしもし、ユリアです」
「え? ユリアさん?」
「真弓お嬢様が、話したいって。ライブ通話に切り替えるから、ゆっくり話して」
「え? え!?」
え、嘘!? 今、今ですの!? 嘘でしょう!? この場でやりますの!?
「明日やろうは馬鹿野郎。今すぐやろうよ勧善懲悪?」
『真弓……か……?』
「え、何か違う! いえそうですわ、えっと……えっと……!!」
本当にお父様に繋がっているんですけれどもー!! どうして、心の準備というものが必要ではなくって!? えっと、えっと、何をお話すれば……。
『すまなかった……。お前が財閥のことで悩み苦しんでいる間、放っておいてしまった……』
「お父様……。いいえ、わたくしのほうこそ、謝りたいことが沢山ありますわ。だから、その……」
どうしましょう、言いたいことが沢山あるはずなのに、何も言葉が出てきませんわね……。
「ごめんなさい。酷い言葉でお父様を侮辱して、ごめんなさい。お父様は、わたくしの自慢のお父様ですわ。だからその……」
『…………近い内に、会えないか。直接、話がしたい。久しぶりに』
「え、ええ……! 近い内に、必ず!!」
『すまない、本当にすまないが、来客中でな……。またかけ直す……ああ! 今度は直接、真弓に』
「ええ、待っていますわ。いつでも!!」
こんなにあっさり、ずっと胸の奥でズキズキと痛かった悩みが、こんなに……。
「ん、ほら。出来た」
「ユリアさん!? 物事には、心の準備というものがありましてよ!?」
「まゆまゆ、まだ通話切れてない」
「え!? 嘘!? お父様、いつもはもっとお淑やかですのよ!? 今のは……あ!?」
「嘘。もう切れてる。やーい、やーい、ふふ~ん」
ああ!? わたくしにも今の表情はわかりましたわよ!? 絶対にわたくしを小馬鹿にする、おちょくっている表情をしていますわ!! 絶対に赦さない、今度の写真集はとびっきり露出の多いセクシー路線にしてやりますわ!! 絶対にしてやるんですからね!!
「燐音に追いつかないと。いこ、バビオンやらなきゃ」
「あ、ちょっと!!」
「ふんふんふ~ん」
ぐぎぎぎ……!! とっちめたいのは山々ですけれど、バビロンオンラインでこれ以上燐音さんに置いていかれたら、今度はわたくしが役立たずの無能として燐音さんに愛想を尽かされてしまいますわ。そうはなりたくない!! わたくしだって役に立ちたい!!
「お待ちになって!! わたくしも行きます、行きますから!!」
「追いつかれたらお仕置きされる~」
「しませんわ!!」
「お尻を百叩きにされる~」
「しませんから!!」
んもう!! ユリアさんったら、わたくしのことをなんだと思っていますの!? 後でお尻を百叩きにしますわよ! まったく、人を暴力ゴリラか何かだと勘違いしていませんこと!?