2章 あのひとに近づくために(4)
第10話 逃走は街に帰りつくまでが逃走です。
★★★(ウハル)
師匠の立てた策はこうだった。
まず連中の居場所を確認し、火をつけた油壷を投げ込む。
そして火で混乱しているところに、師匠が矢を射掛け、その隙に、俺が捕まっている女の子を助ける。
その後はすぐに脱出し、師匠が去り際に連中へ「波動の奇跡」をブチ込んで、さらに混乱させて、その隙になるべく遠くまで逃げる。
そこでどこまで逃げられるかが勝負のポイントだ。
……一番危険な役回り、つまり突入役は、俺が率先してやらせてもらっていた。
何故なら、言い出しっぺは俺だからだ。
いくら不安であろうとも、ここで「口は出すが働かない」ようなクズには絶対になるわけにはいかないから。
「一応、『限界突破の奇跡』をオヌシに掛けるでござる」
どこまで信頼できるか分からぬがな。
決して「無敵になった」などと思わぬように。
……と言われる。
「限界突破の奇跡とは何ですか?」
俺が訊くと
「オロチ様の神の奇跡でござる。人間の潜在能力を100%全開で使えるようにする魔法でござるよ」
……つまり、火事場の馬鹿力を強制発動できるようにする魔法か……。
すごいな。
オロチ様とは、師匠が信仰している神様の名前で、戦いの神。
とはいっても、何でも暴力で解決しろとか、そんな野蛮な事を言う神じゃない。
戦いと言うのは、挑戦や困難の乗り越えを含んだもの、……いやむしろ、そちらを尊び、司る神様だ。
「効果時間はどのくらいですか?」
「およそ10分」
……結構長いな。
でも、実際使うと短いのかも……?
「分かりました。お願いします」
そして、今に至る。
油壷に火のついたぼろ布をねじ込んで投げ込み、火炎瓶に仕立て上げ。
そこで混乱が起きたところを見計らって、俺は突撃した。
限界突破の奇跡は伊達じゃ無いな。
ハルバードが軽い。
まるで竹竿のようだ。
片手で振るえる。
ハルバードを振るって、あの子の周りに居るノライヌを数匹、まとめてぶっ飛ばす。
面白いように攻撃が決まり、俺と彼女の間に道が出来たので突入。
時間は無駄には出来ない。
★★★(ユズ)
何が……起こったの?
いきなり、周りに居たノライヌたちが吹っ飛ばされて、私は抱きかかえられていた。
所謂、お米様抱っこ。
私を肩に担いでいるのは私と同い年くらいの男の人。
体格のいい人だった。
背は高くて、私より頭ひとつ高い。
腕は太く、硬かった。
そして目付きの鋭さ。
今の私には、とても頼もしく思えた。
助けに来てくれたんだ……どこの誰か分からないけど……
「あ、ありが……」
「脱出するから、喋らないで!」
礼を言おうとする私を、その男の人は厳しくも優しい声で制した。
グンッ、と引っ張られるような感覚。
男性が走り出したのだ。
私一人を肩に抱えて。
その速さ……
まるで私なんて荷物が無いみたいな、すごいスピードだった。
……強い人なんだ。
なんて、頼もしいんだろう……。
どのくらい、走っただろうか。
脱出間際の事はあまりよく覚えていないけど、何度か爆発音が鳴ってた気がする。
そのせいだろうか、追っ手の気配は無かった。
「ここまでくれば大丈夫か……」
ハァハァ言いつつ、私をずっと抱きかかえていた男性が、ようやく私を下ろしてくれた。
「あ……ありがとうございます」
「いや、見捨てられなかったから勝手に助けただけ」
苦しそうだったが、その男性は私に笑い掛けながらそう「何でもないよ」という風に言ってくれた。
……トクン。
心臓が鳴った気がした。
……素敵。
「全く無茶する弟子でござるよ」
並走していた、モヒカンのおじさんが彼にそう苦笑する。
「少し休んだらすぐに出るでござるよ。逃走は街に辿り着くまでが逃走でござる。逃走は闘争とも通じるともオロチ様は仰っていて、手を抜いてはならぬとの……」
「分かってます。ちょっとだけ休んだらすぐ出発ですね」
彼らは師弟らしい。
★★★(ウハル)
最初見掛けた当初、助けた当初はあまり分からなかったけど。
こうして落ち着いてみると、結構可愛い子だった。
髪の毛が丁寧に手入れされてて、日本人形みたいに前髪ぱっつんの長髪。
おしとやかな彼女の感じに、良く似合う髪型だ。
名前を聞くと「ユズ・ミカン」だって。
ユズさんか。
「どこから来たの?」
名前の次に、それを聞いた。
聞いた瞬間、彼女の顔が曇る。
「ど、どうしたの!?」
俺は、慌てた。
泣かせるつもりなんてまるで無かったから。
すると、ユズさんは言ってくれた。
自分は行商人の娘で、両親はあそこに連れてこられる前にもう殺されてしまった。
だから自分にはもう行くところは無い、って。
なんだって……!
あのイヌコロ野郎ども、なんて惨い真似を……!
俺が憤って「ノライヌめ……!」と漏らすと、ユズさんは「違う」と言って来た。
違う?
どういう事なんだ?
混乱した。
が、話を聞くともっと混乱した。
……何でも。
最初、人間の集団に襲われたらしい。
黒づくめの集団だったそうだ。
で、そこでまず両親が殺された。
そして、自分は手を縛られ、連れていかれて……
あの、ノライヌロードの群れに引き渡された。
そういう事だった。
何故そんなことを?
「師匠、そんな事をして、何かメリットであるんでしょうか?」
まるで理解できなかったから、俺は訊いたよ。
何故って……
ユズさんを攫って、売春宿にでも売り飛ばすならまだ分かる。
金銭目的。理由がハッキリしてるものな。
でも、引き渡す相手が、ノライヌ……
無論、ノライヌロードは恐ろしい奴らだから、強大な力を持ってるのは間違いない。
かといって、貢物を渡せば、言う事を聞いてくれる奴らかと言われれば、甚だ疑問だ。
知能は高いかもしれないけど、本性はケダモノ同然の奴らだぞ?
そんな奴ら相手に、取引なんて意味あるのか?
「……まるで分からぬ。愉快犯だったのでは、くらいしか答えは出ぬでござるな……」
愉快犯……それなら、論理をまるで無視できるから、通じはするが。
それを答えにするのは「全く理解できないから」と言ってるのと同義……。
……これは、予感だったんだけど。
俺はこのとき、この謎の黒づくめ集団には何か明確な目的があり、洒落や狂人の酔狂でこんな真似をしたんじゃないと。
そういう事を、根拠は無かったんだけど、なんとなくそう感じていた。
「……これから、どうしたら」
そんな自分の身に降りかかった悲劇について話し終え。
ユズさんはそう言って泣いた。
「辛いのは分かる、なんて言っていいものか分からないけど……」
分かるなんて、軽々しくそんな言葉を言って慰めることはできない。
けれど、それ以外の言葉が浮かばない自分がもどかしかった。
それに。
そもそも、俺は死んだからと泣きたくなるような家族自体居ないしな。
「金が無くなったらムショに行けばいい」
「お金が無くなったら別荘ムショに行きましょう」
……こんなのだから。
ユズさんには申し訳ないけど、まともな家族を持っていたユズさんが、俺はちょっと羨ましかった。
「さぞ辛かろう、というのは理解は出来る。だが、とりあえずは心配は無い」
そこに。
師匠が、助け舟を出してくれた。
スタートの街で、住み込みの仕事を探せばとりあえずの生活は出来る。
あの街は、真面目に生きようとする者は拒まない。
そう、言ってくれたんだ。
俺みたいな若造が言う言葉より、重みがあったんだろう。
ユズさんは
「……ありがとうございます」
そう、言ってくれたんだ。
ありがとう、師匠。
「そうと決まれば、すぐに帰ろうぞ」
師匠は立ち上がった。
そうだな。
休憩はもう終わり。
一刻も早くスタートの街に戻って、ユズさんの今後を……
……そう、思った時だった。
グルルルル……
気づくのが、遅かった。
獣の、唸り声。
それも、ひとつやふたつじゃない。
たくさんだ。
周りじゅう、たくさん。
立ち上がりかけた、俺の手が止まった。
師匠も停止する。
ユズさんは、固まった。
……俺たちは、囲まれていたのだった。
ノライヌたちの、軍勢に!




