同調、揺らぐ感情
「さあ、上がっておくれ。今日からここが丁くんの家になる」
「お邪魔します」
外観と同じ趣きを感じさせる長い廊下を、小さな背中のあとに付いて歩く。二人分の揃わない足音と、着物が床に擦れる音だけがやけに響くのは、都会では当たり前だった環境音がないことと、俺たち以外の人の気配がないから。
父親を亡くしたこの子は、お屋敷のような広い家に、一人きりで住んでいるんだろう。
……寂しいよな? 絶対。
いずれ、それにも慣れてしまう日がくるんだろう。
でも、どれくらいの時を生きれば、喪失の哀しみや寂しさに、いちいち心を痛めなくて済むようになるのか。
朝を迎え、ひとりで喪服に袖を通す時、飯を食う時、一日を過ごして、夜がやってきた時。この小さな背中が寂しさに震え泣いているのを、俺は想像して胸が苦しくなった。
なんでこんなにも感傷的になるのか、自分でも不思議なくらい心が騒ついた。
守り人の血……。
そんな言葉がふと頭に浮かぶ。
廊下を進みながら、凛胡は時折足を止めて、台所や風呂場、居間の場所を俺に教えてくれる。
「我が家は地下室もある。この階段から降りられるけど、立ち入らないでほしい」
「わかりました」
「うん。では、つぎは丁くんの部屋にいこうか」
小さな背中が離れていくのに何故か俺の足は動かない。前へ進みたいのに、まるで金縛りにあったみたいに、全身が強張っている。
「当主様、俺は……」
寂しげで小さな背中。
漠然と、何か言葉をかけなければと思った。哀しみを労わる言葉を。
でも何を言っていいか分からない……。
動かない俺を訝しんた凛子が、踵を返し戻ってくる。
「丁くん、きみは思っていたより、とても優しい人のようだ……わたしの哀しみに心を寄せてくれたんだね?」
微笑を浮かべた凛胡が、着物の袖を揺らすように腕を振り上げると、背伸びをして、俺の両肩を交互に撫でた。たったそれだけの行為なのに、俺は訳のわからない縛めから解放される。あんなに重たかったはずの胸の内も、なんだか急に軽くなった気がした。何故、あんなに思い詰めていたんだろうと不思議なくらいだ。
「一体、俺、どうなって……」
「共感体質。とでも言おうか」
「エンパス?」
「都会で暮らしてきた若者だと聞いていたから、他人に無関心なのかと思っていたら、わたしは大きな誤解をしていたみたい……」
凛胡が、着物の袖口で、俺の頰を優しく擦る。
涙を拭かれたのだと気付いて、途端に恥ずかしくなる。
いい歳した男が……かっこ悪すぎだろ。
「共感体質の人間は、他人の感情を、まるで自分の感情のように感じてしまうんだよ」
「あーー」
「ふふ、心当たりがあるといった顔をしているね。でも、この呪われた槻眞手では危険なことだよ。負の感情に同調しすぎると、この土地に根深く染みついた良くない想念が群がってきて、自分を見失ってしまうから」
「……槻眞手が、呪われてる?」
「そう、人が住むのも躊躇われるくらい禍々しい土地だよ槻眞手は。『現世にとどまる怨霊と怨念が最後に行き着く場所』ーーと言えば、想像つくかい?」
「そんな……」
「驚くのも当然だね。真実を知る者は少ないから」
「俺は……なにも知らないまま生きてきたのか……?」
ショックだった。
それじゃあ、今まで俺が見てきた槻眞手はなんだったんだ。
真実か嘘かということよりも、身近だと思っていた槻眞手という世界が、根底から覆されてしまったみたいな気分だった。
「ーー……なんで槻眞手が……」
「ここは終焉の地。かつてこの槻眞手で大きな戦があった。「剛鬼」と恐れられたとある武将と、武将の同胞達がここで非業の死を遂げた。夥しい血と怨念が、槻眞手の土地に記憶として残り、武将は怨霊と化した。それから槻眞手は、現世にとどまる怨霊をつぎつぎと引き寄せるようになった。……これは真実だよ。須々上家は、代々、怨霊退治屋として槻眞手を守護してきた一族だ」
「怨霊退治屋……!?」
「そして、天藤家とは運命共同体。天藤家は「剛鬼」と戦った先祖を祀ることで力を得て、「守り人」として、ともに槻眞手を守護してきたんだ」
「だとしたら、俺はこれから……」
「共感体質であることは、同時に「守り人」としての素質があるということだよ。さすが天藤家の者だね」
怨霊退治。
それが「守り人」としての役目。
先祖代々の習わしーー……まじか……。
なんかちょっと言葉にならない。
「共感体質のことなら、まずは相手の感情に同調しすぎないことだよ。嬉しいことも、哀しいことも、その感情はその人だけのもの。……わたしの哀しみも、わたしだけのものだから。寄り添いはしても、引き受けることまではしなくていいんだ。でも……気持ちは嬉しかったよ。ありがとう」
お読みいただきまして、ありがとうございます。