当主、凛胡という女の子
「当主様!!」
駆け寄る親父に向かって手を振る女の子。着物の袖が捲れ、のぞいた細い腕は、冷気のせいで赤くなっている。
頰も、小さな鼻先も真っ赤。髪と同じ濡羽色の瞳は、小動物を思わせるように円らだ。
「当主様、なんて恰好で歩いてるんですか!」
「やあ、先代の守り人。昨晩からなにやら騒ついているから、念のため「結界」の様子を見に行ってきたんだよ」
「一人では危険です!」
「案ずることはない。結界に問題はなかった」
「そうじゃなくて、御身になにかあってからでは遅いと言ってるんです!」
「……まったく、おまえは昔から心配症なんだから」
「これが普通の感覚です、当主様」
「ふん、つまらない。もう、わたしのことを「凛胡ちゃん」とは呼んでくれないんだね」
「……それは、お互い様というものです」
親父は、着ていた高級インポートダウンを脱ぐと、それで凛胡の身体をくるむ。そのまま足元に目線を落としたところで、ギョッとする。素足が雪に埋まっていたからだろう。どう見たって寒そうだ。
「風邪を引いたら大変です。家のなかに入りましょう」
「そうだね。さすがに足が冷たい……」
まるで幼い子供が甘えるように、凛胡は両腕を親父に向かって伸ばす。
「……抱っこ」
親父は躊躇うことなく言われるまま抱き上げる。鼻緒のついた下駄のような履き物が二つ、雪の上にぽとりと落ちた。
なんていうか、この状況を、俺はどう受け止めたらいいんだろうか。
滑稽だと笑い飛ばすこともできない。
主人に傅く下僕のような親父の言動も。俺より歳下の女の子の、誰かの物真似をしているような独特な喋り方も違和感しかない。二人の会話の内容だって深い事情がありそうだし、抱っこをせがむ下りも……。
「丁。ついてこい」
「あ、ああ……」
急いでスーツケースと、凛子の落とした履物を拾ってあとを追う。
巨体の親父に抱きかかえられた凛胡が、ここにきてはじめて俺のほうを見る。
「やあ、新しい守り人さん」
「どうも。天藤丁です」
浅く会釈をすると、凛胡は微笑みを深める。
「一度、会ったことがあるけど、覚えているかな?」
「じいちゃんが死んだ時に……」
「そうそう。物覚えはいいようだね」
「はぁ、どうも」
「それに良い名だね。「丁」くんの名は誰がつけたんだい?」
「じいちゃんが」
「丁くんは今、何歳だい?」
「二十五歳」
「! まだまだ若いじゃないかっ!」
おまえのほうがな。
一体、なに目線で喋ってるんだこの人。
「じゃあ、丁くんは「守り人」が何をする者か知っているかい?」
「……知りません。ただ、天藤家の習わしだと」
「正解」
一瞬、親父の肩がびくりと震えた気がした。
拭えない違和感が、俺のなかで降り積もっていく。
歴史のある建築様式の住居は、近くにいくと改築されているようで、玄関にはインターフォンが付いているし、引き戸には丈夫そうな硝子がはめられている。
なかに入ると、温い空気に、強張っていた身体が自然と緩んだ。
「では当主様、愚息が迷惑をおかけすると思いますが、どうかよろしくお願いします」
無事に凛胡を降ろした親父は、どうやら本気で、俺を置いて帰る気らしい。
「もう帰ってしまうんだね。お茶くらい出すのに、残念だよ……」
「色々と、やらなければいけないことがあるので」
「そうか……。ならばひとまず、先代のかわりに言わせてもらうよ。 ——天藤鷹人、これまでの守り人として役目、ご苦労だった」
「っ……もったいない、お言葉です……」
「あとのことは心配せず、わたしに任せて、これからはゆっくり休んで欲しい」
「……はい。大変、お世話になりました」
そう言うと、親父は深く頭を垂れた。
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