心象、見えぬ未来の先の風景
そこまで言うと親父は口を噤んだ。
俺もそれ以上は何も言わなかった。まだまだ聞きたいことは沢山あったけれど。ただ、さっきよりも親父の表情が和らいでいることに、俺は安堵していた。
車は舗装されていない山道をゆっくりと登っていく。道を挟んで広がっている山林は、落葉樹が雪衣を纏い、吹く風で辺りを白く烟らせる。フロントガラスからのぞく視界もまた、細かい雪の粉が塵のように舞い、明瞭ではなかった。
まるで先の見えない未来を手探りで進む、俺自身の心象そのもののようだと思う。
五分ほど走ったところで道幅が広くなる。
山道に交差するように川が流れていて、そこに短い橋が架っている。車で橋を渡るときに下方を流れる川を見下ろして、俺は驚く。
「なんで川から湯気でてるんだ?」
「温泉だ。川に流れ込んでいる」
「槻眞手に、温泉!?」
「ああ、驚いただろう。ここらの山一帯は当主様の私有地だからな、いくら温泉が湧いていても知らない者のほうが多い。当主様の屋敷では、蛇口をひねれば源泉が出てくるようになっている」
「……まじか。うらやましぃ」
思わず漏れた本音に、親父がフッと笑う。
「もうじき着くぞ」
その言葉通り、視界が一気にひらける。
——雪原。
陽光を反射した大地は、光の粉を振り撒いたかのようにキラキラと瞬いている。
綺麗だ……。
これだ、こういう風景が、俺は好きだ。
人の手が作り出せない自然が織りなす奇跡としかいえない風景に、胸の奥にある、心なのか魂なのか、そういったものが震える。
停車すると同時に、俺は外に飛び出した。
昼間なのに肌を突き刺す空気。吸い込むとヒリヒリと鼻腔が痛むけど、澄みきったなかに、凍りついた大地と、樹木の爽やかな香りがする。
「ん〜、帰ってきたんだなぁ……」
しみじみと呟いて視線を巡らせると、等間隔に並ぶ雪をかぶった石灯籠と、さらにその先に古民家のような趣きのある家構えが目に入る。
ここが当主様の屋敷か……。
よく見ると珍しい造りだし、デカいな。
まるで神社の拝殿のような玄関口に、そこから左右に連なる平屋の棟。高層マンションと較べたら、だいぶ質素に見えるけど、歴史的に価値のありそうな建築様式だ。時代物のアニメーションで描いたことのある、建造物の特徴と重なる部分がある。確か「霊廟建築」の一種、「権現造り」といったか……。
背後でバタンと音がして振り向くと、親父が車のトランクから、俺のスーツケースをおろしている。
「なんで、俺の荷物……」
「今日からおまえは当主様と一緒に住むんだ。残りの荷物は明日持ってきてやる」
「はっ!? ……住む? 俺がっ!?」
待て。そんな話は聞いてないぞ。
呆然とする俺を置いて、親父はスーツケースを軽々と持ち上げて歩いていく。
慌ててその後を追いかけようとして、脛のあたりまで積もった雪に足を掬われてしまう。溶けかけの雪でパンツの裾がぐっしょりと濡れてしまったが、今さらだ。それよりも。
「親父! 守り人ってのは、一緒に住まないとやっていけない仕事なのか!?」
ずんずんと歩く背中に向かって訴えてみる。
「せめて通いじゃ駄目なのか? 一応、免許はあるし、必要なら車だって購入する……そもそも、「守り人」って何をしたらい、」
「 ——当主様!」
何をしたらいいんだ? と聞こうとしたところで、急に叫んだ親父はスーツケースを放り投げ、慌てて走っていく。
当主様。今、確かにそう言ったよな?
まるで「こっちだよ」と教えてくれるように風が吹いてきて、視線を巡らせると、そこには真っ白な大地と同じくらい、真っ白な着物を羽織った女の人が歩いてくるのが見えた。
あの時の女の子、須々上凛胡だ。
濡羽色の長い髪。
ふわりと舞い上がる雪の粉に、陽光が反射し、エフェクトをかけたように、彼女のまわりに光が集まっていく。
とても神秘的な光景なはずなのに、俺は苦しくなる。胸が締めつけられるようなこの痛みは、おそらく「哀しみ」だ。
凛胡の纏う白装束。
それは死者を悼むための喪服だ。「明治」より前の時代では黒ではなく、白い着物を身につけるのが一般的だったと思い出す。
今、この瞬間も、喪失の哀しみを抱えて生きているのだと想像して、喉元が苦しくなる。
そういった、どうしようもない哀しみを、俺も知ってるから。
お読み頂き有難うございます!
ちょっと忙しくなりそうなので少し離れます。
感想もちょっと閉じときます。
また復活しますので、よろしくお願いします(^^)