帰郷、俺を育んだもの
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一週間後。俺は故郷に向かう新幹線のなかにいた。
不思議なくらい、すべての物事が順調に片付いて、予定よりもずっと早く帰ることができた。
まるで最初からこうなることが宿命付けられていて、それに合わせて周囲が動いているような、偶然にしては出来過ぎなことが重なった。
仕事の引き継ぎもそうだ。
アニメーション制作の下請けのさらに下請けのスタジオで働いていた俺は、進行形で幾つかの仕事を抱えていた。納期もあるため、急な退職は周りに迷惑がかかるだろうと、しばらくは遠隔で続けるつもりでいたが、タイミング良く経験豊富な人材の補填があったのだ。
煩わしく思っていた引っ越しのことも、不動産屋から契約更新について連絡がきたことで、退去の手続きもスムーズだった。
東京から出発して約八時間後。
新幹線を降りて私鉄に乗り換え、途中、雪の影響で遅延はあったものの、無事に帰り着く。
——槻眞手村。
四方を豊かな山林に囲まれた、東京に比べて文明の発展が極端に遅い田舎村。
でもソコが良いところなんだって思う。お金で買えないものが、確かに、此処にはあった。
例えば……安心して眠れる場所。
育んできた信頼できる人間関係。
美味しい空気。
広々とした空から降り注ぐ星明かり。一瞬一瞬の残しておきたくなる風景。
東京にいて大事になったものはあったし、胸が締めつけられるような美しい風景にもたくさん出会った。
だけど、俺の始まりはこの槻眞手だ。
ど田舎で、閉鎖的で、面白いことがなんも無くても、生まれてはじめて吸った槻眞手の空気は、俺をみたして、外へ踏み出すために必要な力を与えてくれた。
親父は『その時がくるまでは自由に生きることを許す』と言った。だとしたら、これからの俺に「自由」は無いってことだ。
……だとしても、俺は槻眞手で生きていくことを、今は前向きな気持ちで受け止めていた。
「うわっ、やっぱさみー!」
私鉄を降り、まるで洗礼を受けるかのように、槻眞手の空気を全身に浴びる。
東北の冬は寒く、真昼だというのに、空気もなにもかもが凍てついていて、身体中の皮膚がぎゅっと絞られる。
大きなビルもなにもない、がらんとした駅前には、乗合バスが一台と、見覚えのある軽自動車が止まっていた。親父の車だ。迎えにきてくれたんだろう。
スーツケースを押しながら向かっていくと、運転席から、体格の良い筋肉質の男が降りてくる。
今年で五十五歳の親父。
長身で、特別に鍛えているわけでもないのに、贅肉なんて無さそうな逞しい身体つきをしている。ひょろっとした俺とは大違い。うらやましい。
「きたか、丁。荷物はそれだけか」
「ああ、コレだけ。あとはウチに送った」
「そうか。……なら行くぞ」
助手席に乗り込むと、親父がじろりとこっちを見るから何かと思えば「そんな薄着で寒くないのか」と聞いてくる。
確かにこの季節の槻眞手はめちゃくちゃ寒い。
親父はなにげに高級なインポートダウンを着ていた。買おうとすれば軽く十万以上するやつ。それにくらべ、俺は去年適当に買った羊毛地のハーフコート。
やはり槻眞手の冬は防寒を重視したダウンコートが必要か。などと思いながら、車窓から懐かしい景色を眺める。
ほんと、なにも変わってないな……。
最近できたばかりっぽい、一軒屋の小洒落たカフェが目に付いたくらいで、他に変わったところは無さそうだ。
何も変わらない、ど田舎村。
生活必需品を備えるスーパーやホームセンターはあっても、ショッピングモールはない。車で一時間半かけて隣町まで行かないと娯楽施設もないのだ。
俺も学校のない週末は、隣町に遊びに行きたいと強請っていた記憶がある。でも、それも小学校くらいまでで、それ以降は別なコトに没頭していた。
周囲になにも無かったからこそ、目の前に在るものに対して興味を持ち、心を奪われていった。
俺は、槻眞手の自然が好きになった。
なににも抗わず、太陽の光に向かうように力強く枝葉を伸ばす樹木や、枯れ落ちてひっそりと眠るようにして冬を越す植物の姿、夜長に囁く虫の声、明け方の空の色。すべてが神秘的で、言葉では到底表せないほどの美しさに、ただただ感情が揺さぶられた。
中学に上がる頃、俺はひたすら絵ばかりを描いていた。槻眞手の鮮やかな風景が好きで、残しておきたくて……。
隣町に行って遊ぶことより自然と一秒でも長く向き合っていたかったし、実際に俺は、筆を動かすことに夢中だった。
アニメーション制作の仕事についたのも、槻眞手の自然があったからこそだ。
俺は「背景」だけをずっと描きつづけてきた。ビルばかりの街並みや、海や、川、学校の花壇、雨の日の公園、とりわけ植物や山を描くのが好きだった。
これからもそれは変わらないんだろうと思う。
ただ、当分の間は、絵を描く余裕なんてないはずだ。親父の仕事を覚えないといけないから。
代々、天藤家が受け継いできたという仕事について、正直俺は詳しく知らない。
親父は昼間に仕事をしに行く時もあれば、夜遅くに「呼ばれた」と言って出掛けていくこともあった。特に決まった休みもなさそうで、俺は勝手に「なんでも屋」みたいな、田舎の不便さに困った人を助ける仕事をしてるんだと思っていた。
以前、どんな仕事なのか、お袋に聞いたことあるけど「説明しづらい。お父さんに聞いて」と躱されてしまったんだよな……。
流れていく景色が不意に知らないものに変わった。
あれ? と俺は首を傾げる。
「……親父、どっか寄るのか?」
真っ直ぐ自宅に向かっているのかと思っていた。
けれど国道を真っ直ぐに進んでいた車は、枝のように脇に伸びていた細い道へと進路をかえる。
車がぎりぎり擦れ違えるかどうかの、除雪もされていない悪路だった。
「こっちは家に行く道じゃない、よな?」
「家へは行かない。おまえを当主様のところへ連れていく」
「ふぅん」
……当主様って、誰だっけ?
お読み頂きまして有難うございます。