真冬、自由の終わり
マイナス六度。
東京でも珍しくキンキンに冷えきった真冬の夜。
残業を終えて、寝るためだけに借りてるような住処に帰る途中で、スマホが着信を報せる。
親父からの電話だった。
もしもし、と言ったはずだけど、乾燥した空気のせいか、俺の喉からは雑音のような掠れた声しかでなかった。
『丁、帰ってこい』
息子の名前を呼んでいるとは思えないほど、親父の声は硬い。
しかもマイナス六度の突き刺すような冷たさに匹敵するくらい、強制力のある物言いだった。
ふわぁーと、吐いた息が白い靄となり、消えていく一瞬を見届けてから、俺は「わかった」とだけ返事をした。
理由を聞かなかったのは、幼い頃から何度も親父に言われてきたことがあったから。
『その時がくるまでは自由に生きることを許す。だがな、その時がきたら、丁、おまえには俺の仕事を継いでもらうからな』と。
だから俺は親父の後釜になる日がとうとうきたんだなって思った。
同時に、耳にこびりついたこの台詞を、もう二度と言われなくて済むことに、少しだけ解放された気分にもなる。
高校を卒業した後、ど田舎の村から上京し、決して短くない歳月を経て二十五歳をむかえた今冬。
天藤家の長男として俺は実家に戻ることになった。
親父の後継者になるのが嫌だとか、やりたくないとか、そういう事を考えないわけでもなかった。
けれどその代償として与えられてきた自由が、あまりにも魅力的で、舌の上でとろけてすぐに消えてしまう甘いお菓子のように、無くなってしまうその時まで味わい尽くす道を俺は選んだ。
いつか終わりが来ると知っていたからこそ、「好き」という欲のまま、大した苦労もせず、我儘に生きてきたわけだから、後悔はない。
だが、積み上げてきたこれまでの諸々を整理するには少々気合いが必要そうだ。
自分が今抱えている仕事の引き継ぎや、引っ越しの手配、お世話になった人達に挨拶もしないといけない。
アパートに着くと、まずエアコンのスイッチを入れた。
着替えをして、インスタントのドリップコーヒーを淹れたマグカップを片手に、テレビをつける。
腹になにか入れたほうが良いとは思いながらも、ぼんやりとトーク番組を眺める。
画面のなかでは、近頃、若手俳優として注目を集めている「鷺田トウヤ」が軽快なトークを繰り広げていた。
……あ、コイツって確か、前はアイドルじゃなかったっけ。
前に深夜の音楽番組で見たことがある。
五人組の素朴な雰囲気のアイドルグループ。ひとりメチャクチャ歌の上手い奴がいたり、パンクっぽい格好の中性的な男がいたり、ダンスがキレッキレの奴がいたりして、見ていて割と楽しかったんだよな。
なんだ、もう歌ってないのか。残念。
今さら惜しんでいる俺とは違って、テレビのなかの鷺田トウヤは眩しいほどの笑顔を浮かべている。
コーヒーを啜りながら、悪くないな、と思った。
仲間とわかれて次のステージへと進む。そこにはきっと彼にしか分からない痛みや苦悩があったに違いない。
それでもこうして笑っているのだ。
俺も……そんな風になれるだろうか。
テレビを消してスマホを手に取る。
検索画面をひらいて、俺は引っ越しの手順を調べることにした。
主人公…天藤丁 25歳。
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