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理想の男性(ヒト)は、お祖父さま  作者: たつみ
第1章 暗い闇と蒼い薔薇
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お屋敷事情 2

 執事のグレイストンは、公爵家の1人娘が帰ってくるのを待っている。

 非常に、苦々しい気分で、だ。

 隣にいるメイド長のサリンダジェシカも同じ気持ちだろう。

 

(あの自分のことしか考えていない、自分勝手で我儘な小娘から、ようやく解放されると思っていたのに)

 

 屋敷に勤めて20年。

 この屋敷の娘、レティシア・ローエルハイドのことは生まれた頃から知っている。

 可愛かったのは6歳の頃までだ。

 以降、彼女はどんどん自分勝手になり、横柄になり、我儘になっていった。

 1人娘だからと両親が甘やかし放題し過ぎたせいかもしれない。

 けれど、要因はそれだけではないだろう。

 どれだけ甘やかされても、あれほど酷くなるとは限らないからだ。

 生来の資質に問題があったのではないかと思っている。

 

 彼女は贅沢をすることに躊躇がなく、見境なく人を見下していた。

 屋敷の者たちを人だと思っているのかも疑わしい。

 この十年、屋敷の者たちは地獄の日々を過ごしてきたのだ。

 彼女の気まぐれや身勝手さに、毎日、振り回されている。

 夜会や貴族令嬢が催すお茶会に頻繁に出席してくれれば、どれほどありがたかっただろう。

 しかし、なぜか彼女は外出を好まず、屋敷にいることが多かった。

 

 貴族令嬢だけが通うことを許される専門の学校に行くことも拒否したため、家庭教師を雇っている。

 もちろん長続きした試しはなく、家庭教師の入れ替わりは激しかった。

 彼女が解雇を言い渡すたび、代わりを見つけるために奔走していた公爵の姿は涙なくしては語れない。

 にもかかわらず、彼女はそんな公爵を平気で罵倒した。

 (ろく)でもない家庭教師ばかりを選んでくる、と言って。

 

 そんな彼女も、つい最近16歳の誕生日を迎えている。

 自分の判断で婚姻関係が結べる歳だ。

 屋敷の者全員が「やっと」と思ったのは間違いない。

 彼女のせいで、毎日のように「辞めたい」と思ってきた。

 それでも辞められなかったのは、大公そして公爵への恩義があったからだ。

 さりとて地獄は地獄。

 いなくなってほしいと願ってしまうのもやむを得ない。

 だから、彼女が「正妃選びの儀」に行くと言い出した時には、心の底から喜んでいた。

 これで「やっと」地獄から解放されると、みんなもそう思っていただろう。

 

「……最悪だな」

 

 ぽそりと呟く。

 隣で身じろぎする気配を感じた。

 

「グレイ、わざわざ言葉にしないでくれる?」

「きみだって思っていることだろう、サリー」

「思っているから言わないでって言ってるのよ」

 

 2人して、ため息をつく。

 ようやく手にいれた平穏が半日ともたずに露と消えた。

 知ったのは、ついさっきのこと。

 王宮から公爵の遣いが来て知らされたのだ。

 心なし屋敷全体の空気がどんよりと濁っている気がする。

 その報せを受けて喜んだ者は誰1人いない。

 公爵と公爵夫人、それに大公は喜んだだろうけれど。

 

「でも、おかしいわよね」

「ああ、そうだな。あれほど強硬に正妃になると息巻いていたのに、なぜ気が変わったのか、わからない」

「いつもの気まぐれ……かしら?」

「それにしては度が過ぎている」

 

 レティシアが正妃選びの儀に行くことを公爵も夫人も反対していた。

 今は疎遠になっている大公ですら公爵を通じて反対の意を示してきたほどだ。

 それに対し、彼女はひどく癇癪を起こして、誰の指図も受けないと言い放ち、聞く耳を持とうとはしなかった。

 目の当たりにしたグレイとしては、そこにある種の本気を見たのだ。

 色々とわめいていた言葉の中に、以前から決めていたらしき雰囲気も感じた。

 だから、気まぐれで正妃選びの儀に行ったのでも、気まぐれで辞退したのでもない気がする。

 

「短い平和だった」

「この国はもうずっと平和なのにね」

 

 この屋敷だけは平和とは無縁。

 言外にこめられたサリーの皮肉を察した。

 

「きみなんかまだいいほうだ。私は彼女が生まれた時からここにいるんだぞ」

 

 グレイは15歳から、この屋敷に勤めている。

 当時はまだ大公が屋敷の主だった。

 レティシアが生まれた時のこともよく覚えている。

 屋敷中が喜びにつつまれ、その先の日々の幸せを信じられた。

 生まれたてのレティシアは、とても愛らしかった。

 成長していく姿を、グレイも微笑ましく見守っていたものだ。

 たどたどしいながらもグレイの名を呼び、とことこと駆け寄ってくる姿を思い出し、胸の奥がちくりと痛む。

 

「6歳くらいまでは、本当にかわいらしい姫君だったんだが」

「私は、愛らしい姫さまなんて想像もできないわ」

 

 サリーは勤めはじめて5年。

 その頃レティシアは11歳、今と変わらぬ傍若無人ぶりを発揮していた。

 どうしてそんなふうに変わってしまったのか。

 今もってグレイは、わからずにいる。

 7歳の誕生日を迎える少し前から、だんだんに我儘になり、よく癇癪を起こすようになった。

 宥める公爵たちの言葉も、それ以降、どんどんとどかなくなっていったのだ。

 レティシアを変えてしまうような大事件があったとも思えない。

 そんなことがあったのなら屋敷の誰かが気づいていただろう。

 少なくとも大公は間違いなく気づいたはずだ。

 けれど、大公からは何も聞かされていなかった。

 そして「私はレティに嫌われてしまってね」と言い、大公が屋敷を去ったのが十年前。

 本当には、その際にグレイも大公と共に屋敷を去るつもりだった。

 もとより大公の役に立ちたくて屋敷勤めをすることにしたのだから。

 

(大公も、お人が悪い……彼に頼まれて私が断れるはずがないと知っていて、後のことは頼むだなどと……)

 

 そう言われてしまっては、とどまるしかない。

 どんなに日々が地獄でも辞めることすらできなくなっている。

 屋敷の者たちのほとんどが、そんなふうでもあった。

 大公や公爵に救われたとの恩が、なにかしらあるのだ。

 その上、彼女に地獄を見せられている同志ともいえるので、強い連帯感も生まれている。

 そうでもなければ屋敷を出る者は後を絶たなかっただろう。

 そして、晴れて厄介娘がいなくなり平和がもたらされると希望を持った矢先。

 レティシア帰還の報に、全員が絶望のどん底に叩き落されていた。

 

「……姫さまのお帰りよ?」

 

 言われなくてもわかっている。

 馬車の音が聞こえていた。

 すぐに見えはじめ、2人の立っている前で止まる。

 もうずっと、グレイを含め、誰も作り笑いさえ浮かべられなくなっていた。

 レティシアも気にしていないらしい。

 誰に笑いかけられずとも、いつも平然としている。

 気分が滅入り、肩がずしりと重くなった。

 やがて馬車の扉が開き、レティシアが姿を現す。

 

(そのまま王宮暮らしをしてくれれば、みんなが幸せになれたものを)

 

 苦い気分になりながらも近づいてくるレティシアの姿を見つめた。

 サリーとともに頭を下げる。

 

「お帰りなさいませ、姫さま」

 

 すぐには言葉が返ってこない。

 しかたなく2人は頭を下げっぱなし。

 しばしの間のあと、ようやく声が聞こえてくる。

 彼女らしくもない小さな声だった。

 

「あ……はは……た、ただいまぁ……」

 

 言葉にグレイは顔を引き締める。

 なんのつもりか知らないが、長らくしたことのない挨拶をレティシアがしたからだ。

 新手(あらて)の嫌がらせでもしようとしているのではと疑ってしまう。

 サリーも背筋をピンと伸ばし、レティシアからの攻撃に備えている。

 もちろん、こんなところで長話などするつもりはなかった。

 なにを言われるかわかったものではない。

 

「姫さま、どうぞ中にお入りください」

 

 扉を開き、手で中を示す。

 憮然とした態度で歩いてくるかと思いきや。

 レティシアはなぜか、おずおずと居心地悪そうに歩を進めていた。

 

(まさか、とは思うが……正妃選びの儀を辞退したことに気後れしている? いや、考え過ぎだ。あの姫さまに限ってありえない)

 

 一瞬、浮かんだ疑問をすぐさま切り捨てる。

 彼女は、そんなことで気後れするようなタマではない。

 今はなぜか大人しくしているが、地獄はこれから始まるのだ、きっと。

 それほど長く、彼女が癇癪を抑えていられるとは思えなかった。

 気を許せば手痛いしっぺ返しを食らうのは目に見えている。

 彼女はもう6歳の頃の愛らしい姫さまではない。

 黙って立っているレティシアに冷たい視線を向けた。

 出迎えた屋敷の者たちの全員が同じ目をしている。

 希望を持たせておいて絶望に叩きこんだのだから当然だ。

 悪意を振り回すのにもほどがある。

 グレイはこれ以上ないくらい冷たい声でレティシアに問いかけた。

 

「姫さま、これから、いかがなさいますか?」


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