心の傷痕 1
「レティ! レティ!」
呼んでも、彼女は反応しない。
心臓は動いているが、その鼓動はとても弱かった。
それなのに、体は燃えるように熱い。
(魔力が暴走している……顕現してしまったのか……)
孫娘を腕に抱き上げ、彼はその体をベッドに寝かせる。
レティシアは魔力を制御するすべを何も身につけていない。
今の今まで顕現することがなかったからだ。
このまま顕現せずにいてほしいと、魔力についての知識を彼女に与えなかったことを後悔する。
ついさっき、彼は副魔術師長サイラスとレティシアとの話し合いについて聞かされ、急ぎ部屋に入ったら彼女が床に倒れていた。
何を話したのかは、レティシアしか知らない。
が、レティシアの魔力が顕現したのはサイラスとの話がきっかけだろう。
(ジークを付けておくべきだった)
「た、大公様……レティシア様は……」
サリーの震える声に、彼はハッとなった。
今は悔やんでいる場合ではない。
愛しい孫娘の命を救うことが先決だ。
このままでは、体が内側から壊れてしまう。
ジョシュア・ローエルハイドは、己の力を正しく把握できる。
同じように、他の者がどの程度の魔力量であるかも正確に感知できた。
レティシアの魔力量は、自分と同じか、それ以上だ。
そんなものが体の中で暴れ回っている。
制御方法を知らない彼女が無事ですむはずがない。
「サリー……悪いが、力を使ってくれないか?」
孫娘を助けるためなら、なんでもすると決めていた。
それが周りを巻き込むことでも、躊躇はしない。
サリーには魔力があり、少ないながらも魔術が使える。
王宮魔術師になる気がなかったため、ひたすら隠してきたと知っていた。
この屋敷は王宮に近い。
おそらく監視もついているだろう。
力を使えば、サリーの魔力が感知される可能性は高かった。
わかっていて、頼んでいる。
「もちろんです! 私にできることなら、なんでもいたします!」
「ありがとう、サリー」
サリーの隣にはグレイ、扉の向こうには屋敷の者が集まっていた。
みんな、レティシアを心配している。
彼の緊張が全員に伝わっているようだ。
誰もが深刻な顔をしている。
レティシアが命の危険に晒されていると、わかっているのだろう。
「この部屋ごと冷やす。サリー、頼む。それから、レティの体も、直に冷やす必要がある。誰か用意をしてくれ」
みんなが、ザッと動き始めた。
この屋敷に勤める者たちは連帯感が強い。
役割分担は、おのおのでするだろうと判断する。
すぐに部屋が冷たくなり始めた。
サリーが使える魔術は主に氷結系なのだ。
「サリーの魔力が付きかけたら……グレイ」
「わかっております」
グレイは元魔術騎士で彼の直属の部下でもあった。
魔術師ではないため、王宮からの魔力分担はないが、代わりに彼がグレイに魔力を与えている。
自分の力そのものを与えることはできなくても、魔力を「分配」することはできたからだ。
この屋敷にとどまってほしいと頼んだのも、孫娘のためだった。
グレイなら分配された魔力により、いざという時に魔術で彼女を守れる。
遠くから見守るしかできない自分の代わりに。
「サリー、魔力が尽きる前に言うんだぞ」
「わかってるわよ、グレイ」
魔術騎士は魔術師とは違う。
その決定的な差は、魔術師は基本的に国王からしか魔力が受け取れないということだった。
常に契約に縛られている。
けれど、魔術騎士は国王とは契約していない。
今、王宮に魔術騎士が存在していないのは、ジョシュア・ローエルハイドが王宮を辞したからだ。
魔術騎士とは、すなわちジョシュア・ローエルハイドの部下を意味する。
魔術騎士は契約なしに、彼から魔力を分配されていた。
そしてグレイは、立場的には魔術師長や副魔術師長と同じ。
サリーがグレイに魔力を分配することはできないが、グレイは契約に縛られていないサリーに魔力を分配することができる。
とはいえ、意思の力だけで魔力分配を行使できる、彼や彼らとは違い、相手の体の一部にふれていなければならない。
同時に、相手の魔力が尽きていると分配できないのだ。
(絶対にお前を死なせはしないよ、レティ)
ガドが部屋に、水の入った大きな樽を運び込んでくる。
マルクは、そこに氷を流し込んでいた。
マリエッタとアリシアは盥を、マギーは両手に布をかかえている。
マギーは盥に入れた氷水に布を浸し、枕元にいたマリエッタに渡した。
マリエッタがそれでレティシアの額に浮かんだ汗をぬぐう。
後ろで控えているアリシアはマリエッタとマギーの交代要員だろう。
「パット! 氷はどうなってる?!」
「今、テオとジョゼットが作ってます!」
マルクとパットの声に、バタバタという足音。
全員がなにかしら彼女のために動いているのだ。
彼は、ふうっと息を吐いて、レティシアの首元に手を置く。
大きな魔力が彼女の中に渦巻いているのを感じた。
すぐにでも魔力を吸い上げ、暴走を止めなければならない。
ジョシュア・ローエルハイドは、自然から魔力を吸収し、その魔力を自然へと還している。
その循環の中、誰に魔力を分配しようと、彼の魔力量は一定に保たれていた。
簡単に言えば、常に「満タン」状態なのだ。
だからこそ彼は、吸い上げた魔力を自分の身の裡に留めておくことができない。
しかし、今、彼女から魔力を吸い上げなければ、その命の火は消えてしまう。
(ジーク)
(あいよ)
姿を消していても、ジークが傍にいるとわかる。
彼女から吸い上げた魔力をどこかに逃がす必要があった。
(耐えられるか?)
(オレは食い意地が張ってるんでね)
彼女の魔力量は尋常ではない。
一定量に落ち着くまで、繰り返し吸い上げなければならないのだ。
その魔力をジークに流す。
半端な魔術師なら、簡単に「壊れる」ほどの量になるのは間違いない。
ジークにとっても危険なことではあった。
大事な者を守るために他者を犠牲にする。
その中に、自ら助けたジークも含まれているのを感じた。
自分の本質は、愚かで冷酷なものからできている。
それでも、そうせずにはいられなかった。
(オレにはアンタの力が宿ってるんだぜ?)
漆黒の髪を持つ少年。
ジークは、なにもかもわかっていると言いたげだ。
意識を集中して、レティシアの体から魔力を吸い上げる。
それを、そのままジークへと流した。
(うへえ、こりゃすげーな! さすがアンタの孫娘だ)
ジークの口調は軽い。
大量の魔力に溺れそうになっているはずなのに。
(そうだ。私の愛しい孫娘。この娘のためなら私はなんでもするのだよ)
彼はもう躊躇しなかった。
善悪の区別も捨て去る。
誰を、何を犠牲にしてでも、彼女を救うのだ。
それだけを考える。
彼女の魔力量は凄まじく、常に一定量の魔力を保有している彼にとっても吸い上げた際に危険な領域に達していた。
ともすれば制御が外れそうになる。
額に汗を浮かべながら、繰り返し魔力を吸い上げ続けた。
まるで毒を吸い出すように。
(レティ……レティ……駄目だよ。逝かないでおくれ。頼むから……私の可愛い孫娘……私は、お前を失いたくない)
正妃選びの儀を辞退した日。
彼女は彼の腕に飛び込んできた。
きらきらした目で自分を見つめ、そして「大好き」と言ってくれた。
(もう1度……お祖父さまと呼んでくれないか、レティ……)
エリザベートを失った時は病だった。
憎むべき相手はいなかった。
けれど、もし彼女を失うことになったら?
今度は憎むべき相手が、いる。
彼が手を置いている場所の少し下で、鈍色のロケットが揺れていた。




