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女王は矢のような勢いで空を飛び、とうとう妖精の国へ辿り着きました。
暖かい日差しと、爽やかな風。緑豊かな草原に、一本の立派な精霊樹。そこはとても穏やかな場所でした。
しかし女王にとっては退屈な所でした。
「妖精の国ったって、何もないではないかえ」
そのとき女王の耳に、楽しそうな鼻歌が聞こえてきました。あの森の妖精が、精霊樹に背中をもたせかけて歌っているのです。
女王は、ずんずんと草を踏みにじりながら彼に近付いていきました。
「やっと見付けたよ。よくも妾を騙してくれたね」
怒りを湛えた女王の顔は、とても恐ろしいものでした。しかし妖精は、その顔をちらりと見ると、まるで気にしていないようにニコリと笑いました。
「やあ、女王。こんな所まで追ってくるなんて、随分せっかちなんだね」
「何がせっかちなもんかい。妾の命令を聞くふりをして逃げだすなんて、今すぐ処刑されても文句は言えないよ」
すると妖精は、意外なことを聞いたように目を丸くしました。
「ちゃんと初めに訊いたじゃないか。みんなとダンスをしてもいいかいって。女王がいいって言ったんだよ」
「おまえは、ダンスはすぐに終わると言ったはずだ」
「だから、まだ『すぐに』じゃないんだよ」
妖精と人間とでは、時間の感覚が違います。つまり人間の『すぐに』と、妖精の『すぐに』では差が出てしまうのです。
「じゃあ、おまえの言う『すぐに』ってのは、いつまでなんだい」
「君たち人間の時間にしたら、百年くらいかな」
「それのどこが『すぐに』なんだい。ばかにするのも、たいがいにおしよ」
女王は、顔を真っ赤にして怒鳴りました。
「とにかく、今すぐに森の木どもが履いている靴をお渡し。それから、精霊樹を切り倒して新しい靴も作るんだ。さもないと、今度は妖精の国を丸ごと燃やしてしまうよ」
「それは大変だ」
妖精は、ちっとも大変じゃなさそうな顔で言いました。
「じゃあ『すぐに』みんなをここに喚ぶね」
「おまえの『すぐに』は信用できぬ。人間の時間で、どのくらい掛かるのかを言え」
「そうだなあ。ざっと一時間ってところかな」
「一時間か。それならいいだろう。でも、なるべく早くおしよ。さっきから足が痛くてかなわない」
そろそろ、足の痛みが限界です。もちろん、子供用の妖精の靴を我慢して履いているせいですが。
「じゃあ、これに座って休んでなよ」
妖精が短く呪文を唱えると、木でできた素敵な安楽椅子が現れました。
「なかなか気が利くじゃないか。よっこいせっと」
女王は安楽椅子に深々と腰かけました。しかし靴を履いたままなので、足が痛いのは変わりません。
女王の誇りとして、人前で靴を脱ぐなんて、はしたないことはできません。しかしあと一時間もこのままでは、足を痛めて歩けなくなってしまうかもしれません。
そのとき、女王の目に、妖精の履いている靴が目に入りました。
「おまえ、その靴を妾にお寄越し。妾の足に、ちょうどいい大きさだ」
「ぼくが履いている、この靴をかい?」
「ぐずぐず言わずに寄越すんだよ。同じ妖精の靴でも、そっちの方がずっとお洒落で、高貴な妾にふさわしいじゃないか」
しかしこれは、女の子の履いていた靴を、呪文で大きくしただけの代物。つまり元々は、女王の国の靴職人が作ったものです。
国民の生活にまったく注意を払っていなかった女王は、これも妖精が作った靴だと勘違いしてしまったのです。
「女王が気に入ったのなら、喜んで献上するよ」
妖精は靴を脱ぐと、恭しく女王に差しだしました。
「やっと素直になったようだね」
女王は窮屈な妖精の靴を脱ぐと、そのお洒落な靴に履き替えました。思った通り、とても履き心地が良くて、女王は満足そうに頷きます。
「こいつは具合がいい」
そして再び安楽椅子に寄りかかると、深く息を吐いて目を閉じました。
「じゃあこの靴は、ぼくが貰うね」
「好きにしな。そんな窮屈な靴は、もう二度とご免だよ」
女王はとても疲れていたので、面倒臭そうに生返事をしました。
妖精が短く呪文を唱えると、その靴が、大人の足にぴったりの大きさになりました。妖精はその靴を履くと、歌を歌って森の木々を喚び寄せました。
その歌があまりに奇麗だったので、女王は椅子に座ったまま、うとうとと居眠りをしてしまいました。
「おお、いけない。つい眠りこけてしまったわ」
ふと女王が目を覚ますと、周りには誰もいません。妖精も、精霊樹も森の木々も、誰の姿もないのです。
「おい、どこへ行ったんだい」
大声で呼んでも、どんな返事もありませんでした。
その代わり、足元に手紙が置いてありました。
手紙にはこう書かれていました。
「女王へ。
起こしちゃ悪いから、みんなを連れて先に戻るね。森の妖精より」
「妖精め。妾を置いて先に帰るなど、なんて無礼な奴だい」
女王は腹を立てつつも、自分の住んでいた豪華な王宮を頭に思い浮かべました。そうすれば、靴が勝手に飛んで運んでくれるはずです。
しかし靴は、ウンともスンとも言いません。
「おや、おかしいな」
飛ぶはずがありません。女王が履いている靴は、人間の靴職人が作った靴なのですから。
「どうした、なぜ飛ばない。妾の命令が聞けないのかえ」
女王は怒って、人間の靴を履いた足で、何度も地面を踏みつけました。
「まさか、この靴は妖精の靴じゃないのかい」
ようやく女王は、自分がとんでもない失敗をしたことに気付きました。
妖精の靴がないと、人間の国に戻ることはできないのです。
「誰かおらぬか」
女王は大声で助けを呼びました。
「誰か、妾を助けておくれ。妾をあの王宮に帰しておくれ」
しかしいくら叫んでも、どんな返事もありませんでした。