せめて、できること
カロリーナに言われた通りに鍵をかけて、ぴたりと動きを止める。
何故襲われているのかは、わからない。
でも、狙いはイリスだろうとカロリーナは言っていた。
それで、ここにじっと籠っていればいいのだろうか。
イリスのせいでこんなことになっているのだとしたら、一人だけ安全なところに隠れているのはおかしくはないか。
いや、イリスのために剣を交えているのなら、出て行く方が迷惑なのかもしれない。
イリスは、剣を使えない。
かつてはシーロに師事してまで鍛錬した。
なのに、情けないことに結局は剣の保持で手一杯だ。
だから、イリスの剣は役に立たない。
でも、魔法なら。
足止めくらいなら、きっとできる。
せめて、自分ができることをするのだ。
さすがに扉を閉めたままでは,、視界が狭くて事態を把握できない。
扉を開けると、馬車の中から外を見遣る。
ニコラスが、大勢の男達と交戦中。
カロリーナもその中に加わるところだ。
まだ誰も負傷していないが、人数の差は大きい。
少しでも彼らを有利にしなければ。
イリスは集中すると、まずはカロリーナの周囲の男に狙いを定める。
靴と地面を凍結させると、突然両足を動かせなくなった男は、勢い余って転倒した。
「――よし。この距離でも、いけるわ」
次は、複数に挑戦だ。
カロリーナの周囲の男達が次々に転倒し、立ち上がっても動けないでいる。
靴と地面の凍結はそれほど長い時間ではないが、交戦中に動けなくなるのは致命的だ。
最初は男の奇行に距離を取っていたカロリーナも、事態を理解したらしく、転倒した男を放置して他に対応している。
「次は、ニコラスの方も……」
「――魔法を使えるとは聞いていたが、厄介だな」
真横から聞こえた声に慌てて扉を閉めようとするが、一足遅い。
こじ開けられた扉の向こうから太い手が伸び、イリスの腕を掴むと力任せに引っ張った。
男は勢い余って地面に倒れこんだイリスの二の腕を掴み、強引に立ち上がらせる。
変な方向に引っ張られたせいで腕が痛いが、それどころではない。
この男がモレノの関係者でないことは明白だ。
カロリーナは馬車のそばに御者が残ると言っていたが、無事だろうか。
男はイリスの顔を覗き込むと、にやりと笑う。
獲物を見つけた狩人の目だ、と直感した。
「黒髪、金の瞳、魔法を使う……常識を疑うドレスは着ていないが。――おまえがイリス・アラーナだな?」
「常識を疑うって何よ。残念なドレスよ、失礼な!」
恐怖を隠すように大声で叫ぶと、男の瞼を凍結させる。
上の瞼と下の瞼の隙間を狙えば、しばらく目が開けられないはずだ。
「何をしやがった、この女!」
突然視界を奪われた男は、慌てて目を擦る。
イリスを掴んだ手が緩んだ隙に離れようとするが、男の振り回した手が背中に当たり、衝撃でその場に倒れこんだ。
すぐに立ち上がろうとするが、その時には既に男に腕を掴まれ、後ろ手に捻り上げられる。
乱暴な力に、思わずうめき声が漏れた。
瞼は駄目だ。
温かいせいか、擦ったせいか、すぐに凍結が無効になってしまう。
もっと、効果的なところを凍らせなければ。
「面倒をかけさせやがって……」
「――同感だ」
声と共に腕をひねり上げていた力が急になくなり、イリスはよろめく。
転びそうになるところを、背後からすくうように抱きとめられた。
「――怪我はないか?」
頭上から聞こえるその声に、思わず泣きそうになってしまう。
振り返ってみれば、そこには見知った紫色の瞳があった。
「……大丈夫よ」
地面に倒れたせいで土まみれだし、何より腕が痛いが、今はそれどころではない。
「ヘンリー、カロリーナ達が」
「わかっている、大丈夫」
そう言って優しく微笑むと、イリスの頭を撫でる。
足元に大柄な男が転がっているとは思えない穏やかさだ。
いつの間にかヘンリーの侍従であるビクトルもいたが、こちらは疲労の色が見える。
「ヘンリー! 遅いじゃない!」
カロリーナとニコラスが男達をあしらってこちらに駆け寄ってくる。
目立った怪我がないことに、安堵した。
だが、二人は土まみれのイリスを見て、顔が青くなる。
「イリス、大丈夫? ごめんね。離れなければ良かった……」
カロリーナは駆け寄ると、ドレスの土を叩き落とす。
「おまえをつけた意味がないな、ニコラス」
ヘンリーの冷ややかな視線をかわすと、ニコラスは剣を鞘に納めた。
まだ大勢の男達がいるのに、何故だろう。
誰も疑問を持っていないらしいのが、また不思議だ。
「お叱りは後で聞くよ。人数ばかり多くて困る」
そんなことを言っている間に、周囲を男達に囲まれている。
だが、大勢の男に剣を向けられても、ヘンリーは顔色一つ変えることはない。
「カロリーナ、イリスを連れて馬車に戻れ。ビクトルも、下がれ。――邪魔だ」
「じゃあ、俺も……」
いそいそと歩き始めたニコラスの襟首を、ヘンリーが掴む。
「おまえは残れ、ニコラス」
「俺がいても邪魔だろう?」
「逃げたやつを追え」
「ヘンリーが逃がすわけないだろうが。何? 嫌がらせか?」
「黙って、従え」
ヘンリーがそう言って手を離すと、ニコラスは大きなため息をついた。
「……はいはい。仰せの通りに」
「……さて」
ヘンリーは視線を男たちに移すと、静かに微笑む。
「俺の『鞘』に手を出したんだ。――覚悟はできてるだろうな」
ヘンリーは剣に手をかけると、ゆっくりと鞘から引き抜く。
刃に光が反射して、輝いている。
カロリーナに連れられて馬車に向かうイリスが見たのは、そこまでだった。









