急襲されました
「……そう言えば、イリスはオリビアの『毒』を解除したんだって? ロベルト様とドロレス様が嬉しそうに話してたよ」
「一応、そうなるのかしら。氷漬けの一歩手前だったけど」
「何であれ、解除できるなんて相当だよ。魔力が強いと効きにくいということはあっても、解除はない。少なくとも俺はドロレス様しか知らないし、それだって万能じゃない。ヘンリーは『毒』がアレだから、ずっとドロレス様に心配されてたんだよ」
「心配って、何を? 『鞘』がいると、何か変わるの?」
「それは……ヘンリーに聞いてみると良い」
「……ニコラス?」
一瞬表情が陰ったニコラスは、すぐに明るい笑顔に戻る。
「そういうことで、これからもよろしく。とりあえずは、帰り道が一緒だね」
「帰り道?」
イリスは昨日来たばかりなのだが、もう帰りの話とは気が早い。
「……あ、それでイリス。二つ目のお知らせなんだけど。今日、帰ることになったわ」
「――ええ?」
「疲れているのに、ごめんね。でも、帰って来いって言われたのよ」
「まあ、それは仕方ないわよね」
帰って来いとは、シーロの要望だろうか。
確かに、急にカロリーナを連れ出したのだから、驚いただろう。
イリスは無理を言って連れてきてもらった立場なので、文句など言いようがない。
問題は、疲労回復できていない令嬢ボディが帰路に耐えられるかどうか。
それから、心が落ち着く前にヘンリーに会わざるを得ないということだ。
「今日って……今から?」
「すぐに準備して、午前中には出るわ。夜にはモレノの宿に着くように、飛ばすわよ」
それは、なかなかの日程だ。
よほど急ぐ必要があるのだろう。
「忙しいのに付き合ってくれてありがとう、カロリーナ」
「いいのよ。お祖父様にも会えたし。イリスと一緒で楽しいわ。また一緒にでかけましょうね」
あわただしく出発したが、馬車に乗ってしまえばすることもない。
話していないと寝てしまいそうということもあり、必然的におしゃべりに花が咲いた。
「ニコラスには『毒の鞘』はいないのよね?」
「うわ。直球だね、イリス」
イリスは、ドロレスが現在唯一の『鞘』だと聞いている。
継承者の伴侶のことをそう呼ぶらしいから、ニコラスは結婚していないということだ。
ニコラスはカロリーナの少し年上くらいだろうから、結婚していなくても不思議はない。
「俺は、もうしばらくの間は、『鞘』はいらないかな」
「そうなの?」
「『鞘』は、狙われる。……まあ、次期当主のヘンリーの『鞘』には比べるべくもないだろうけど。それでも、危険はあるからね。俺がしっかりと守れるくらいになるまでは、持たないつもりだよ。仕事も忙しいけれど、楽しいしね」
「そんなこと言っていると、良い人がいても逃げられるわよ」
カロリーナの指摘に、ニコラスは困ったように笑う。
「良い人でもいれば、また変わるだろうさ。……ヘンリーみたいにね」
「ヘンリーは、変わったの?」
何度か似たようなことを聞いたが、イリスにはよくわからなかった。
「最初から面倒見が良かったし、親切だったわ。『毒』を使った時はちょっとあれだったけど。……でも、変わったのかよくわからないんだけど」
「そりゃあ、変わった原因から見たら、変化はないだろう。イリスが見ているヘンリーは、変わった後だからね」
それでは、イリスのせいでヘンリーが変化したということだろうか。
他人に影響を与えるようなことと言えば、思い当たるのは一つしかない。
「……残念の影響が、こんなところにも出ているのね」
「残念?」
首を傾げたニコラスが、何かに弾かれるように窓に顔を向けた。
「――情報よりだいぶ早いな。あいつが遅いのもあるが。……モレノの宿まで、間に合いそうにないな」
真剣な表情のニコラスに、カロリーナがうなずく。
「来たものは仕方ないわ。そのためにいるんでしょう? ニコラス」
「……まったく、『毒』使いの荒い姉弟だよ」
馬車が急停止するや否や、ニコラスは扉を開けて飛び出す。
その手には、いつの間にか剣が握られていた。
「カロリーナ、大丈夫?」
カロリーナに抱きしめられる形で庇われたおかげで、急停止した馬車の中にいたのに、イリスはどこも体をぶつけていない。
「大丈夫よ。それより、イリスは何があっても馬車から出ちゃ駄目よ」
イリスから手を離すと、椅子の肘掛部分を外して、剣を取り出す。
この馬車もまた、モレノの宿と同じようにいつか起きる何かに備えられているらしい。
「何があったの?」
「いわゆる襲撃ね。私も久しぶりだわ」
「襲撃って……何で?」
「理由は向こうに聞いた方が良いわ。嫉妬から恨み、八つ当たりに勘違いまで色々よ。ただ……」
「ただ?」
「今回は、イリス狙いだと思う」
そう言うなり、ドレスの腰の辺りを掴んで引き剥がす。
どうやら巻スカートのような状態だったらしく、下にはズボンを履いていた。
「やっぱり、ドレスは機能性よね。イリスの残念ドレスも面白いけれど、私は実用的な方が好みなのよね」
唖然とするイリスに微笑むカロリーナは、何だか楽しげだ。
ファティマはかつて、カロリーナは機能的なドレスしか着てくれないと言っていたが、こういうことなのか。
その瞬間、馬車の外から声と物音が聞こえてくる。
窓から覗いてみれば、大勢の男とニコラスが剣を交えていた。
ざっと見て、二十人はいるだろう。
ニコラス一人で相手にするには、いささか相手が多すぎやしないだろうか。
突然のことに理解が追い付かず、イリスはただ窓に張り付いていた。
「窓から離れて。危ないから」
イリスの腕を引いて窓から引き離すと、カロリーナは剣を鞘から抜いた。
「御者は馬車のそばに残るから、何かあったら呼んで」
手慣れた仕草とぶれることなく構える様子から、カロリーナは剣が使えるのだと理解した。
「ちょっと多いから、手伝ってくる。私が出たら、すぐに鍵をかけてね」
驚くイリスに微笑むと、カロリーナもまた外に飛び出して行った。