羞恥心は歯がゆいです
「そういえば、ここの人達は私を見て驚いていたみたいだけど」
「ああ。縁談を片っ端から断っていたヘンリーが選んだ『鞘』に、驚いたんでしょう。……可愛いから」
「……良いのよ、カロリーナ。正直に言って。残念が滲み出ているのよね? 私は元々鈍感だったというし、きっと元々結構な残念だったのよね」
でなければ『碧眼の乙女』に対して、残念に応戦するのが最適解だと思わないだろう。
結果的には正解だったのかもしれないが、令嬢としては不正解のはずだ。
「鈍感で残念な『鞘』なんて、申し訳ないわ。……やっぱり、魔法に力を入れないと。せめて『隙間を凍らせたら右に出る者はいない鞘』を目指すべきよね」
ヘンリーからの逃避という勢いでここまで来たが、モレノ邸でも鍛錬を忘れないようにしよう。
「何それ。別に隙間を凍らせれば良い『鞘』というわけじゃないわよ。それで、……隙間って何?」
「それもそうね」
では、『隙間をそれなりに凍らせて右に出る者もそこそこいる鞘』を目指すべきなのか。
……駄目だ。
まったく役に立ちそうにないし、何がしたいのかわからない。
唸るイリスを見て、カロリーナがため息をつく。
「……あのね、イリス。『モレノの毒』を解除できる人間なんて、ほとんどいないのよ? 十分凄いから、心配しないで良いの」
「でも、あれは偶然というか」
上手くいくかわからないし、上手くいっても高熱で寝込むのなら使い勝手が悪すぎる。
「偶然でも普通は解除なんてできないの。ヘンリーが『毒』を使うところ、見たことはある?」
「一度、ルシオ殿下で。……何かわめきながら、床をのたうち回っていたわ」
「……ヘンリー、だいぶ盛ったのね。怒ったのはわかるけれど」
「仕方ないから加減した、せいぜいひと月、って言ってたわ」
「加減してひと月って」
頭を抱えるカロリーナを見る限り、どうやら普通のことではないらしい。
「ヘンリーはもう、アレだから置いておいて。……とにかく、鈍感で残念だとしても、イリスは十分に凄いのよ。心配しないで」
鈍感と残念は否定されないところをみると、やはりイリスの懸念は当たっているようだった。
モレノ別邸に到着したのは翌日の夕方。
本邸とよく似た外観の建物に入ると、使用人と共に白髪の男性が待っていてくれた。
「ドロレス、早かったな。カロリーナ、オリビアも久しぶりだな」
「早く帰れと言ったのは誰だい。本当ならもう少し、あっちでのんびりしたかったんけどね」
じろりと睨むドロレスを見て、白髪の男性は楽しそうに笑っている。
「それは悪かった」
「笑顔で言っても説得力がないよ、まったく。……イリス、この困った爺さんがヘンリーの祖父で先代当主だよ」
ドロレスに笑顔を向けていた男性はイリスに視線を移すと、しばらくじっと見つめる。
ヘンリーと同じ紫色の瞳が美しい。
「……なるほど」
何かに納得したようにうなずくと、イリスにも笑顔を向けた。
「君がイリスか。ロベルト・モレノだ、よろしくな」
「イリス・アラーナです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「ああ。長旅で疲れただろう。お茶でも飲んで話そう」
「どうも最近、モレノの周囲をうろちょろしている輩がいてな。その調査もあって、婚約披露パーティーには行けなかったんだよ。悪かったね」
「いいえ、気になさらないでください」
「もったいないことをしたね、ロベルト。イリスのドレス姿は可愛らしかったよ。……特に、あの紫色のドレスは、良かった」
ドロレスがにやりと笑う。
「紫色のドレス……?」
ロベルトは一瞬何のことかわからないようだったが、やがて得心がいったらしい。
「……なるほど。縁談という縁談を片っ端から断っていた、あのヘンリーがなあ……」
これは、まずい。
二人共あのドレスがヘンリーの瞳の色に合わせて作られた、と思っているのだろう。
実際は残念ドレスとの対比のためであり、職人見習いとなったラウルが選んだ生地なのだ。
だが、下手にそれを言えば、ヘンリーの時のように問題視されかねない。
恥ずかしいが訂正もできずに困っているイリスを見て、ロベルトが微笑みながらうなずいている。
絶対、何か勘違いされている気がするが、どうにもできないのが歯がゆい。
いっそ羞恥心ゼロだったなら、こんな気持ちになることもなかったのだが。
「『鞘』の試験も終えているんだろう? ドロレス」
「ああ。オリビアが予定外の暗示をかけたが、イリスはそれを解除したよ」
オリビアがびくりと肩を震わせたが、ロベルトは気にすることなくイリスだけを見ている。
「――解除? 本当か。……なら、適性は問題ないどころか、相当な逸材というわけか」
ロベルトの表情が生温かい笑顔から、真剣なものに変化している。
どうやら、カロリーナの言うように『毒』を解除するというのは珍しいようだ。
まあ、イリスの場合は解除したというよりも、氷漬けになりかけたと言った方が正しい気もするが。
「ヘンリーには早く『鞘』を持ってもらおうと縁談を勧めていたが。……自分で最高の『鞘』を見つけたか。さすがは、俺の孫だな」
「そうだね。イリスが寝込んだらそばから離れないあたり、誰かさんにそっくりだね」
何か心当たりがあるらしく、ロベルトは気まずそうに頭をかいている。
「……と、とにかく。ヘンリーの『毒の鞘』に相応しいのは間違いない。歓迎するよ、イリス。ゆっくりしていきなさい」
そう言って笑うロベルトの紫色の瞳を見て、イリスは少しだけヘンリーが懐かしくなった。