面倒見の鬼
剣の稽古が始まっても、ヘンリーは帰らずに椅子に座っている。
どうやら、相当に暇らしい。
羨ましい限りだ。
イリスは時間の許す限り体を動かすようにしているのだが、令嬢ボディはなかなか手強い。
未だに素振りだけでも息が切れるが、それでも筋肉痛は段々と落ち着いてきた。
木製の剣から金属製の剣にレベルアップして、再び筋肉痛地獄に見舞われているが、成長の証だと自分を叱咤激励する日々である。
「イリス、切っ先が下がってきてるよ。しっかりと剣を握って」
シルビオの指摘に、意識して剣を握り直す。
ごく基本的な型を繰り返しているだけだが、姿勢を保つのは意外と筋力がいるし、握力が続かなくて剣が傾いてしまう。
金属製の剣になって重量が増したことで、手の血豆も増えたので、手袋越しでもかなり痛い。
「握り方が甘い。こうしてごらん」
シルビオがイリスの手の上から包み込むようにして、握り方を教える。
「あ、滑りにくくなったわ、ありがとう」
「うん。あとは、もう少し背筋を伸ばして」
肩と腰を支えられ、姿勢を修正する。
今日はいつもよりも体に触られている気がするが、それだけイリスの姿勢が悪いということなのだろう。
維持するのは大変だが、正しい姿勢の時は剣が振りやすい。
やはり、基本が大切なのだと実感させられた。
「……おい。いつもこんな感じなのか」
大人しく稽古を見ていたヘンリーが、眉間に皺を寄せている。
何か不服なのだろうか。
「男性から見たらつまらない内容かもしれないけど、これでもなけなしの筋力で頑張っているのよ。私だって、もっとムッキムキの筋肉が欲しいわ」
「そういう意味じゃない」
ヘンリーが答えると、何故かシルビオが笑いを噛み殺している。
ヘンリーはため息をつくと、イリスのそばにやってきた。
「その手袋、血が滲んでるぞ」
「大丈夫よ。替えは沢山あるから」
見れば確かに手のひらに血が滲んでいる。
このままでは滑るので、手袋を交換しようと外すと、ヘンリーが息を呑んだ。
イリスの手は血豆が破れて血だらけ。
皮下出血もあり、所々赤黒く変色している。
とても深窓の伯爵令嬢の手とは思えぬ汚さだ。
「そんな手になってまで、何で剣をとるんだ」
至極真っ当な質問だと思う。
普通に生きていれば、イリスも剣をとることなどなかった。
「生きるための戦いです」
ただそれだけのために、イリスは奮闘しているのだ。
「……せっかく稽古するなら、相手がいた方がいいだろう」
ヘンリーはそう言って置いてあった予備の剣を手にすると、イリスの正面に立った。
「手合わせなんて、まだまだ無理よ」
何せ、金属製の剣を保持しているだけでフラフラなのだ。
「俺の持っている剣に当ててみるだけでも、ただの素振りとは違う」
試しに向かい合って剣を構えてみると、人に向かって剣を持つというのはそれだけでストレスだった。
武器を向けるというのは、攻撃の意思。
稽古とは違う緊張感に、イリスの手に力が入った。
「いくわよ」
ゆっくりとヘンリーの剣に当ててみると、その衝撃で剣を落としてしまった。
止まっている剣に当てただけなのに、手が痺れる。
イリスは手をさすりながら、愕然とした。
剣で殺される場合には、当然相手がいる。
これでは、反撃どころか、身を守ることもままならない。
「……全然足りないってことは、よくわかったわ。ありがとう」
断罪イベントは春。
それまでに、間に合うだろうか。
「まだまだ稽古しないと駄目ね」
「それなら、俺も付き合ってやる」
ヘンリーは地面に落ちた剣を拾うと、イリスに返す。
「もう十分迷惑をかけているから、これ以上はいいわよ」
「別に迷惑じゃない」
ヘンリーが頑として譲らないので、たまに参加するということで落ち着いた。
シルビオは笑いを隠そうとすらしていない。
これは、暇つぶしに使われているということだろうか。
残念な扱いともいえるので、まあ良しとしよう。
「ついに来たわね」
『碧眼の乙女』序盤の山場、夏の夜会である。
シナリオでは、レイナルドをパートナーに参加したイリスが、リリアナに仲を見せつけるところだ。
イリスはヘンリーをパートナーにして参加するのだから、前提条件から変わることになる。
これが吉と出るか、凶と出るか。
過去三作の友人達を見る限り、このゲームの強制力は凄まじい。
気を引き締めて応戦しなければいけない。
手始めにドレスには気合いを入れた。
色も形も残念で揃えようと用意をした。
色は流行色のパステルカラーを嘲笑う、赤。
それも、ワインレッドのような大人の色合いではない。
南国の花も霞む、ビビッドカラーだ。
おかげでイリスも目が痛いが、残念のためだから我慢する。
形はもちろん流行遅れを選び、詰め物の必要がないくらいフリルとレースを悪趣味につけてやった。
ドレスがビビッドな赤なので、反対色のビビッドな緑だ。
色合いを逆にすればクリスマスツリーのようだと気付いて後悔したが、仕立てが間に合わなかった。
残念だ。
次はもう少し検討してから仕立てよう。
本当は露出しまくったり、物議をかもすほど短い丈にしても良かったのだが、ボリューム調整ができないのでそこは諦める。
かわりに顔以外一切肌を出さない、イカれた淑女風のドレスに仕上がったので、一応満足した。
だが、意外な敵がいたもので、ダリアの猛反対にあった。
傷の化粧をストライキされそうだったので、イリスは泣く泣く普通のドレスを取り出した。
胸元から足元までドレスを切り刻んで、葡萄ジュースを撒き散らした。
残念というより事件なドレスになってしまったが、普通のドレスよりはマシだろう。
だが、今度はダリアがビビッドドレスにしてくれと泣いてきた。
最近のダリアは情緒が不安定で困るが、なんとか予定通り参加できたので良しとする。
今回はドレスの仕立てでダリアと揉めていたおかげで、アクセサリーなどには手が回らなかったのが心残りだ。
髪型も普通に結い上げられてしまった。
せめてもの残念に、蜂の巣がついた枯れ枝を刺していたのだが、ヘンリーにいつの間にか引っこ抜かれて捨てられた。
ドレスを見て渋柿でも食べたような顔をしていたから、残念な方向性を理解してくれたのかと思っていたのに。
酷い裏切りだ。
なんて残念な乙女心のわからない男だろう。
イリスはため息をついた。
「そんなに緊張するなよ。仲が良いアピールをすればいいんだろう?」
ヘンリーが動きの固いイリスの肩をポンポンと叩く。
「ええ。……ええ? いえ、私がヘンリーに夢中なアピールをすればいいだけよ。ヘンリーはそれを否定しないでおいてくれれば、十分なんだけど」
「同じようなものだろう。だったら、仲が良い方が婚約阻止につながるんじゃないか?」
「確かに、そうかもしれないけど」
カロリーナからも『イリスがヘンリーを好きだと公言するのを一年間許す』という約束で、伝えられているはず。
それでも、ヘンリーの出会いも恋も一年間阻まれる形になるというのに。
どれだけサービスが良いのだ。
面倒見が良いとは思っていたが、もはや面倒見の鬼である。
「ヘンリーって、変な女につかまりそうよね」
「……否定はしない」
ヘンリーはそう言って、うつむいた。
ヘンリーと共に会場内に入ると、周囲の視線を肌で感じる。
感じるというか、明らかに多数の令嬢に睨まれている。
「ヘンリー、モテモテみたいよ?」
「やめてくれ」
心底うんざり、という顔である。
今までどれだけ女性からアピールされたのかは知らないが、本人は嬉しくないようだ。
周囲を見回してリリアナとレイナルドを探すと、リリアナの顔を見つけた。
だが、リリアナは金髪碧眼のヒロインカラーなのに対して、金髪に琥珀色の瞳だ。
「どうした?」
「あっちにいるの、リリアナさんかと思ったんだけど、何か違うのよね」
「ああ。双子の令嬢だろう? リリアナとセシリアだったかな」
双子。
さすがにヒロインの家族構成までは覚えていないが、そんな設定があったのか。
悪役令嬢はイリスなのだから、セシリアはリリアナ側の人間だろう。
ここはひとつ、セシリアからも『イリスはレイナルド以外の男が好きですよ』という情報をリリアナに流してもらいたい。
「ヘンリー、詳しいわね」
「珍しいから、噂になってる」
「可愛いから、の間違いじゃないの?」
「どうかな」
何せ、ヒロインと同じ顔なのだ。
問答無用の美少女である。
「……ところで、そのセシリアがこっちを凄い睨んでるんだけど。ヘンリー狙いなのかしら。別行動にする? チャンスでしょ?」
「はあ? 何でだよ」
「あんな可愛い子、なかなかいないわよ? あ、でも、私が好きだって言うのは許してね。否定さえしないでくれればいいから」
「いいから、行くぞ」
少し不機嫌になったヘンリーに手を引かれて会場の奥へと移動する。
確かに、ここでセシリアといい感じになっても、イリスとの約束があるから足枷になるので、かえってつらいかもしれない。
ヘンリーには申し訳ないことをしているが、こちらも命がかかっているので許してもらおう。