もともと鈍感みたいです
「どうせ馬車をもう一台出すのなら、ゆったり座りたいんだ。年寄りに長旅は堪えるからね」
ドロレスの一言で、イリスとカロリーナとオリビアは一緒の馬車に押し込まれた。
ゆったり座りたいというのはあるかもしれないが、たぶん、本音は違うのだろう。
オリビアと話せという意図はわからないでもない。
だが、突然密室からの交友スタートというのは、ハードルが高い気がする。
「……ヘンリー兄様とは、どうやって知り合ったんですか?」
「え?」
突然のオリビアの質問に、思わずカロリーナと顔を見合わせてしまう。
元々は『碧眼の乙女』との戦いの一環で、残念作戦の協力者として紹介してもらった。
だが、それは言えない。
「私が、弟が同級生になるからよろしく、って紹介したのよ」
カロリーナの機転に合わせてうなずくと、オリビアがため息をついた。
「そうですか。じゃあ、最初からカロリーナ姉様公認だったんですね」
「公認?」
「ヘンリー兄様は色々事情があるから、普通に近付こうとする女はあしらっていました。カロリーナ姉様も絶対に紹介なんてしなかったんです。……だから、安心していたのに」
公認というのは、またちょっと事情が違う気がする。
人材派遣というのが一番しっくりくるが、それを言うとややこしくなりそうなのでやめておく。
だが、オリビアの様子や今までの言動を振り返れば、自ずとわかることがあった。
「……オリビアさんは、ヘンリーが好きなのね」
オリビアの頬がさっと朱に染まった。
何故、今まで気付かなかったのだろう。
羞恥心ゼロで残念ブーストが効いていたにしても、自分でも不思議だ。
カロリーナが言う『イリスはもともと鈍感』というのは、相当に高いレベルということか。
「……私、将来はヘンリー兄様の『毒の鞘』になるのが夢でした。そのために、頑張っていました」
オリビアは小さな声でゆっくりと話し始める。
最初に会った時にはイリスを睨んでいたオリビアだが、今日は何だかしおらしい。
「ヘンリー兄様は特定の女性を寄せ付けなかったし、私には優しかったから。だから……勘違いしていました」
「ヘンリーは身内には甘いから。あんたもその範疇だったのよ。……この間までは、ね」
カロリーナの言葉に、オリビアは唇を噛んだ。
「わかっています。ヘンリー兄様はもう、私を身内とは思っていないんでしょう?」
「そうね。今のあんたは、モレノの同志で、ヘンリーの手足。……つまり、形は変わっても信頼はしているのよ。応えてあげて」
涙ぐんでうなずくと、オリビアはイリスに向かって頭を下げた。
「イリスさんも、すみませんでした。まさか、あんなことになるとは思わなかったんです。ちょっとヘンリー兄様がイリスさんに負の感情を持ってくれれば、って。ただの八つ当たりでした」
「怪我と寝込んだのは、私がやったことだから気にしないで」
オリビアがしたことは良くないとわかっていたが、あまりにも落ち込んでいるのでかわいそうになってくる。
実際、怪我も寝込んだのも直接の原因はイリスだ。
だが、オリビアは何だか困ったような顔でこちらを見ている。
「……イリスさんは、知らないんですね」
「何が?」
「イリスさんが気を失った後、ヘンリー兄様がどうなったか、です」
「どう、って?」
そう言えば、オリビアは『あんなに怒るなんて』と言っていた。
ヘンリーに注意されることは多々あるが、あまり怒るというイメージがない。
大声で叱りつけた、ということだろうか。
だが、そう問うと、オリビアは首を振った。
「ヘンリー兄様は怒鳴ったりしていません。ただ静かに『毒』が、漏れかけました」
「『毒』って、『モレノの毒』のこと?」
「はい」
そう言われても、どういうことなのかよくわからない。
「……イリスに心配をかけるから、言わなくても良いかと思っていたけど」
カロリーナはそう言って、肩をすくめる。
「ヘンリーはちゃんと自分の立場をわかっているし、自らを律している。それが、オリビアに返答した一瞬、『毒』の魔力を感じたの。ヘンリーが『毒』を抑えきれなかったのなんて、初めて見たわ」
「それくらいイリスさんが大切で、それくらい怒ったということです」
「イリスは、ヘンリーに『モレノの毒』について、聞いている?」
「精神に作用する魔法の一種だ、って」
「そうね。生来の資質が大きくて、誰でも継げる力じゃないの。継承者は紫色の瞳をして生まれてくるからすぐにわかるわ。モレノは『毒』の継承者が当主になる。だから、ヘンリーは小さい時から当主になると決まっていたわ。そのためにありとあらゆることを仕込まれている。もちろん、感情のコントロールも含まれているわ。継承者が不安定だと、『毒』も不安定になるから」
『身の内に毒を飼う継承者にとって、精神の安定が何よりも重要。バランスを崩せばそれは自らを蝕む』
確かに、ドロレスもそんなことを言っていた。
『モレノの毒』は、使用者の精神状態が大切だということか。
「今いる継承者は四人。その中でも、ヘンリーの『毒』はかなりの強さなの。だからこそ、お祖母様はヘンリーに『鞘』が必要だと心配していた。……イリスのことで『毒』が漏れかけたことといい、オリビアの『毒』を解除したことといい、イリスはヘンリーにとって貴重で特別な存在だってことよ」
そう言われても、よくわからないしピンとこない。
イリスのせいで『毒』が漏れかけたというのなら、かえって負担になっているのではないだろうか。
「――だから、私はヘンリー兄様の手足になります。ヘンリー兄様は好きですけど、『鞘』であるイリスさんの重要性を理解した以上、それを害した責任は取らないといけません。私だってモレノの一員で、『モレノの毒』の継承者ですから」
薄紫の瞳は、まっすぐにイリスを見つめて、そう告げた。