番外編 ダリアの心配
「お嬢様、また氷の魔法ですか? 体が冷えますよ。紅茶をどうぞ」
冷気の漂う庭のテーブルに、ダリアがお茶の用意をし始める。
イリスは最近、特に魔法の鍛錬に力を入れている。
侯爵令息のヘンリーと婚約するというのに、何のためなのかはよくわからない。
剣の鍛錬は、何ひとつ習っていないダリアの方がマシなのではないかという有様で、剣を持って立っているのがやっとだ。
だが、魔法の資質はあるらしく、独学でも何だかんだと上達している。
やたらと氷を使うのは魔力との相性だろうから、別に良い。
だが、イリスの魔法はどうにも珍妙だった。
氷の塊を出している内はまだ理解できたのだが、段々とよくわからない所を凍らせ始めた。
ティーカップとソーサーを凍結させてくっつけたかと思えば、扉の鍵を凍らせてダリアが部屋に入れなくなることもあった。
しまいにはダリアの靴と地面を凍らせたらしく、危うく転ぶところだった。
ダリア自身は魔法を使えないが、氷の魔法の使い方としてポピュラーではないと思う。
それでもイリスは魔法の鍛錬をやめない。
やるならとことんやる性質と魔法の資質が合致してしまった結果、凍結の魔法をどんどんと上達させていた。
おかげで、練習場所の庭は最近常に気温が低い状態だ。
体力のないイリスが体を冷やせばどうなるかなど、目に見えている。
温かい紅茶を用意するのが、ダリアにできる応援だった。
「お嬢様は昔から、やるとなるととことんやりぬくので、見ていて心配になります。氷も程々にしませんと、風邪をひきますよ?」
そう言ってポットを傾けて出てきたものは、無色透明の液体だった。
湯気も、まったく出ない。
誰が見ても、温かい紅茶ではなさそうだった。
「……お嬢様、これは何ですか」
「うーん。微妙に失敗かしら」
そう言ってイリスがポットのふたを開けると、中で茶葉が凍っていた。
「タイミングも大事ね。見えないから、難しいわ」
どうやら、イリスが茶葉を凍らせたらしい。
見えない茶葉だけを凍らせるというのは凄い気もするが、意味がわからない。
大体、これでは紅茶が飲めないではないか。
「何度も言いますが、程々になさってくださいませ。お嬢様は魔力の資質は高いようですが、体力は恐ろしく情けないほど低いのです。冷えだって馬鹿にできないのですよ?」
本当に、困った主人だ。
冷えで体調を崩す前に、鍛錬をやめてくれれば良いのだが。
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モレノ侯爵家から連絡を受けてダリアが向かってみれば、ベッドの中のイリスは高熱を出していた。
氷の魔法で冷えすぎたらしく、反動で熱が出ているようだった。
――だから、冷えだって馬鹿にできないと言ったのに。
「こんなことになってすまないが、今イリスを動かすのは負担が大きいだろう。今夜はここで休んでもらおうと思うんだが」
「はい。こちらこそ、お嬢様がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「いや。俺達……俺が、もう少し気を付けてやれば良かった」
ヘンリーの顔色も良くない。
きっと、イリスの凍結で冷えているのだろう。
「ヘンリー様もお疲れの御様子です。お嬢様は私が看ていますので、どうぞお休みください」
「……ああ」
返事も覇気がない。
ヘンリーをここまで弱らせるとは、イリスはどれだけ凍結しまくったのだろう。
嫁ぐとはいえ他家ですることではない。
回復したら、きっちりと叱らなくては。
ダリアはため息をつくと、イリスの看病を始めた。
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イリスは時々目を覚ますが、すぐに眠ってしまう。
まだ熱も高いので、もうしばらくはこの状態が続くのだろう。
タオルを冷やす水を替えるために扉を開けて、ふとダリアは違和感に気付いた。
「ヘンリー様?」
扉の横に隠れるような位置で、ヘンリーが壁にもたれて立っていた。
「イリスは、どうだ?」
「まだ熱が下がりません。時々目を覚ますのですが、すぐに眠ってしまわれて」
「……そうか」
ヘンリーはそう言って、同じ姿勢で動かない。
もしかすると、ずっと扉の前にいたのだろうか。
何度か部屋を出入りしたが、急いでいたので扉の横までは見ていなかった。
いや、きっとイリスを心配して見に来てくれたのだろう。
だが、ヘンリーまで体調を崩しては申し訳ない。
「あの、お嬢様が起きるようならお伝えしますので、ヘンリー様もお休みください」
「ああ。大丈夫だ」
やはり、顔色が悪い。
気にはなったが、今はイリスの看病で手一杯だ。
ダリアは礼をすると、部屋に戻った。
********
「……ヘンリー様。もしかして、ずっとそこにいるのですか?」
その後も何度か部屋を出ると、ヘンリーは扉の横に立っていた。
最初はたまたま様子を見に来たのだろう思ったが、これだけ続くとさすがに違うとわかる。
「ああ」
「あの、お嬢様が起きるようなら、ちゃんとお伝えしますので」
「うん、わかってる。……でも、そばにいたいから」
恋する乙女か、と思わず突っ込みそうになったが、ヘンリーの顔色の悪さに何も言えなくなる。
もうすぐ夜明けだ。
結局ヘンリーは一晩部屋の前に立っていたということになる。
その体力も凄いが、それだけ心配するというのも凄い。
イリスはヘンリーのことを『面倒見の鬼』と言っていたが、こういうことか。
もしかすると、イリスが貧弱な体力の持ち主だと知らなかったのかもしれない。
だったら、自分の魔法で高熱まで出すのを理解できずに心配にもなるだろう。
「……寝顔だけでも、ご覧になりますか?」
本来、嫁入り前の女性の寝室に男性を入れるなどありえない。
たとえそれが婚約する間柄でも、褒められたものではない。
だが、このままではヘンリーは徹夜でイリスの回復を待つのだろう。
それでは、ヘンリーも体調を崩しかねない。
ダリアが一緒にいて、ちょっと見るだけならばイリスも許してくれるだろう。
ヘンリーは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに首を振った。
「イリスが俺を呼ばないなら、行けない」
イリスの許可なく寝室に入ることはできないという、紳士としてはもっともな返答にダリアも納得する。
「では、お嬢様が起きたらお伝えしますから、せめて座って待っていてください」
「……わかったよ」
ヘンリーは苦笑すると、壁にもたれて座り込んだ。
イリスといい、ヘンリーといい、どうしてこうもやるならとことんなのか。
嫁いだ後のイリスに誰がつくのかはわからないが、どうか上手く諫めて休ませてほしいものだ。
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「ダリアも、モレノについてきてくれる?」
何度目かの覚醒で、イリスがそう呟いた。
ダリアはイリスの侍女だが、アラーナ伯爵に雇われた身だ。
イリスが嫁いだ後にどうするかは、まったく決まっていなかった。
もちろん、手塩にかけてお世話してきたイリスのそばを離れるのは寂しかったが、嫁ぎ先は侯爵家だ。
優秀な人材は沢山いるだろう。
ダリアとしては、そのままアラーナ家に残るのだろうかとぼんやり思っていた。
だが、イリスの言葉に思わず笑みがこぼれた。
「私以外の誰が、お嬢様に残念な化粧をするんですか? ……どこへでも、お供しますよ。お嬢様」
「……うん。ありがとう」
やはり、この困った主を誰かに任せることなどできない。
ダリアはイリスに湯冷ましを手渡すと、小さなため息をついた。